明治政府成立直後~廃藩置県前の諸藩財政の逼迫っぷりについて

幕末の借金踏み倒しと武士の困窮 – Togetter

こちらのtogetterまとめが面白かったので関連して、明治維新直後から廃藩置県にかけての諸藩の財政の逼迫っぷりについて簡単にまとめ。以下勝田 政治著「廃藩置県―「明治国家」が生まれた日 (講談社選書メチエ)」より。

廃藩置県―「明治国家」が生まれた日 (講談社選書メチエ)
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明治二年に戊辰戦争が終結してから、明治四年に廃藩置県が実施されて藩が消滅するまでの間、諸藩の財政は悪化の一途を辿った。

幕末時点で諸藩の財政はどこも火の車だったが、それに戊辰戦争の戦費が重くのしかかる。例えば、『熊本藩では兵器や弾薬などの費用をふくまない出兵費だけで約一〇万九〇〇〇両を要し、この額は年間収入の半分を占めたという』(P43)。あるいは肥前藩の場合、『幕末以来発行した藩札の八五パーセントが軍艦購入費と出兵費にあてられ』(P43)、さらにそれでも賄いきれず、明治二年に同藩で新たに発行された藩札の額は『同年の家禄をのぞいた藩財政額に近いものとなっており、藩札は償還不能な発行額に達してい』(P43)た。

また朝敵とされた敗戦諸藩は、会津藩二三万石と請西藩一万石の全領地没収を始め、全二五藩二三二万余石中一〇三万余石が没収され、各藩とも自主改革が非常に困難な状況に追い込まれていた。

新政府側の諸藩は戦費と借金が、敗戦側は戦後処理に伴う領地没収が藩財政にダメージを与える中で、明治二年には東北地方を中心として東日本全域を凶作が襲い、東北地方の太平洋側では前年の三割程度の収穫しかなかったという。『仙台では元年一〇月から三年三月にかけて、米価が三倍』(P86)となり、米不足によって中国から米を輸入することで凌いでいたという。これが藩財政に追い打ちをかけた。

『明治三(一八七〇)年における諸藩の借金(藩債と藩札の合計)の平均は、じつに収入の三倍に達している。諸藩の財政は破綻していた。大・中藩(五万石以上)の平均が二・六三倍、小藩(五万石未満)の平均が三・五八倍である。』(P86)

収入≧借金の藩は大・中藩ではわずか二藩(静岡藩、佐倉藩(現在の千葉県佐倉市))で、薩長土肥の新政府側の最有力藩でも薩摩一・七七倍、長州三・六一倍、土佐二・一二倍、肥前二・三倍と長州を除いて平均を下回るものの、どこも藩財政は大幅な赤字であった。

借金まみれで収入増が望めなければ支出をギリギリまで切り詰めるしかない。

維持費がかかる大規模な固定資産をまずとっぱらおう。ということで明治三年、長州藩や熊本藩などの名だたる藩を始めとした計一九藩が城郭の取り壊しを政府に申請している。城郭の多くは後に明治六年(一八七三)の「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」通称、廃城令で軍事転用するものを除いて大部分が廃棄あるいは売却処分となっているが、やはり明治政府としても維持コストがバカにならないというのが大きな理由であった。

次に人件費。士族への給与である家禄の削減が全藩で実施された。実施内容には各藩で違いがあるものの、上層士族を大幅に削減し、下層士族は低削減率あるいは維持される「上損下益方式」が取られた。明治三年九月の藩制にともなう禄制改革にともなって家禄の削減は以下の通りであったという。(P89より作成)

五割以上  九藩
四~五割 一九藩
三~四割 三六藩
二~三割 六八藩
一~二割 五五藩
一割未満 四四藩
変更なし  五藩
増加   二六藩(下層士族の増録によるもの)

それでもダメなら人員削減。朝敵として七万四〇〇〇石から二万四〇〇〇石(実収一万石)という最大の石高減を強いられた長岡藩では士族八二二五人に対し、諸経費を差し引いた人件費として当てられる額は一七〇〇石しかなく、給与として必要なのはその一〇倍の一万七〇〇〇石、不足分は一万五三〇〇石にも上った。それなんて無理ゲ?である。

かくして明治三年一月、長岡藩は藩内の士族に対して『他への移住、蝦夷地の開拓、帰農帰商策など』(P90)を諮問、同年七月六日には『大参事以下の藩庁官員と兵士以外は全員が農・商業の職に就くこと、農・商業への転職を命じられた者(農士・卒士と称す)には平均七俵の米を支給すること、士族には米七俵(卒には米四俵)を支給する』(P90)なととした藩政改革方針が示された。

ところが、その支給分すら準備できず、政府に一万六〇〇〇石の無利子貸与を申し出るがそれも断られ、『士族には家族一人につき一日当たり三合七勺、卒には二合二勺ずつ支給することとし、追々「生活の道」が立つよう「勉励」するよう士族卒に求め』(P90-91)た。もう雇えない、ごめん、ということだ。

このような状況下で明治三年五月に長岡藩の支藩三根山藩から米一〇〇俵が届けられ、士族はその分配を求めたが、大参事小林虎三郎は士族への分配ではなく学校教育に充てるべきだとして「国漢学校」の書籍・機材購入費に充てた。有名な「米百俵」のエピソードがそれである。このような背景を考えればわかる通り、百俵=四〇石弱では分配に必要な額に対し焼け石に水にすらならない。美談というよりは究極の条件下で至極妥当な使い道を選択したというお話である。何故か近年このエピソードが自己責任を重視する訓話として某総理大臣の口から飛び出していた気がするが、まぁ忘れた方がみんなのためだと思う。

これらぎりぎりの削減策を打ってもだめなものはだめで、廃藩を申請する藩が続出する。廃藩置県実施前までに長岡藩や盛岡藩など一三の藩が自主的に廃藩を申し出て他の藩や県に統合された。長岡藩はほぼ政府から見捨てられる形で、盛岡藩はあれこれと言いがかりをつけられた果てにそれに答えることが出来ず廃藩に追い込まれている。

このような火の車、というか火だるま状態の藩財政に油を注ぐ決定が明治政府でなされる。明治三年九月に公布された「藩制」では歳入の使途や借入の処理方法などの規制を定め藩財政の自主権が大幅に制限されるとともに、藩の歳入の九パーセントを海陸軍費として政府に上納することが定められた。さすがにこの決定は各藩の猛烈な反発を招き、その議論の過程で廃藩置県という案が政府内で浮上していくことになる。

廃藩置県についてもそのうち。

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