政治家の大罪「知的道化師のロマンティシズム」

『政治家にとっては、情熱(Leidenschaft)――責任感(Verantwortungsgefühl)――判断力(Augenmaß)の三つの資質がとくに重要であるといえよう。ここで情熱とは、事柄に即するという意味での情熱、つまり「事柄」(「仕事」「問題」「対象」「現実」)への情熱的献身、その事柄を司っている神ないしデーモンへの情熱的献身のことである。それは、今は亡き私の友ゲオルグ・ジンメルがつねづね「不毛な興奮」と呼んでいた、例の精神態度のことではない。

インテリ、とくにロシアのインテリ(もちろん全部ではない!)のある種のタイプに見られた――ジンメルの言葉がぴったりな――態度、また現在「革命」という誇らしげな名前で飾り立てられたこの乱痴気騒ぎの中で、ドイツのインテリの間でも幅をきかせているあの精神態度。そんなものはむなしく消えていく「知的道化師のロマンティシズム」であり、仕事に対する一切の責任を欠いた態度である。

実際、どんなに純粋に感じられた情熱であっても、単なる情熱だけでは充分ではない。情熱は、それが「仕事」への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な基準となった時に、はじめて政治家をつくり出す。そしてそのためには判断力――これは政治家の決定的な心理的資質である――が必要である。

すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受け止める能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である。「距離を失ってしまうこと」はどんな政治家にとっても、それだけで大罪の一つである。』

マックス・ヴェーバー「職業としての政治」P77-78

マックス・ヴェーバーによる一九一九年一月の講演。政治家の皆様、特に最近ネットで勇名を馳せておられる一部の先生方にはぜひ一度、基本に戻っていただきたく切に願う次第ですが、まぁ無理なんだろうな。「知的道化師」として振る舞い、殊更ロマンティシズムを強調することこそ政治家の本業になっているわけだし。せめて知的道化師として振る舞う自分と、ヴェーバーの指摘する政治家のあるべき姿との間には決定的な”ずれ”があるという認識だけは持っていて欲しいわけです。

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