「沖縄」と「琉球」という呼称の由来

「沖縄」と「琉球」という呼称はどちらも歴史的に長く使われてきた。以下、外間 守善著「沖縄学への道 (岩波現代文庫―学術)」より簡単にまとめ。

『大昔(日本史のほぼ縄文・弥生時代)はオキナパ、オキナファ、オキナハといっていたが、日本史の古代、中世、近世に対応する頃、中国との交易が盛んになってからは、為政者や有識者たちが積極的に琉球という呼称を使うようになった。一四世紀から一九世紀頃のことである。特に琉球王国が成立した一五世紀以降一九世紀に王国が解体されるまでは琉球というのが通称である。ただしそれは王府や、役人達を中心にした有識者達が好んで使った呼称で、一般庶民はやはりオキナファ、オキナハ、オキナワ、ウチナーといっていたことが民間伝承や古文献などからうかがうことができる。』(P2)

「リュウキュウ」という語の初出は六五六年の「隋書」に登場した「流求」で、以後中国の史書には「流?」「流鬼」「留求」「留球」「留仇」などが登場するという。また「夷邪久(いやく)」「邪久(やく)」も「流求」と同一のものを指すとされる。「夷邪久(いやく)」は「日本書紀」推古二四年(六一六)の条に登場する「掖玖」「夜久」と同じであると言われ、以降日本の文献には『大和朝廷へ入貢したり帰化したりした南島の人々』(P3)として「邪久(やく)」「多禰(たね)」「阿麻彌(あまみ)」「度感(とかん)」「信覚(しがき)」「球美(くみ)」という地名が登場し、それぞれ屋久島、種子島、奄美大島、徳之島、石垣島、久米島と考えられている。一三七二年、明で「琉球」という表記に統一され、日本や朝鮮も表記をそれに合わせるようになっていたという。

「オキナワ」という語の初出は七七九年の「唐大和上東征伝」の「阿児奈波(あこなは)島」で、他様々な文献に「倭急拿(うちな)」「屋其惹(うちな)」「悪鬼納(おきなわ)」「浮縄(うきなわ)」などの文字が見られるという。「沖縄」という文字の初出は新井白石が享保四年(一七一九)に著した「南島志」とされている。「おき」は大きいもしくは沖という意味で、「なは」は漁場もしくは場所という意味であるとされている。沖縄古語の原則では語頭にr音が立たないという特徴があり、それゆえに「リュウキュウ」は外国からの呼称で、「オキナワ(オキナハ)」が固有語であったと考えられているという。『小さな島々を冒険的に渡ってきた人たちが見た大きい島』(P4)、それがオキナワ(オキナハ)である、と外間守善は書いている。

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