火と穢(ケガレ)

古来より、日本では火事は宗教的犯罪の結果とみなされてきた。なんらかの罪がケガレを生み、ケガレが火災を生むという因果関係が信じられており、火はそのケガレを浄化するものと見なされていたが、一方で、火災を起こした当事者は放火であれば重大な罪を犯したと、失火であればケガレの状態に陥るとされてきた。

波平美恵子「ケガレ」によると日本社会においては『火というもの、あるいは火の制御、制御の失敗ということを次のように認識してきた』(波平P198)という。

(1)火の制御(コントロール)に失敗すると、社会的かつ文化的な秩序を乱すこととみなされ、社会的に大きな犯罪を犯したことにもなるが、また当事者はケガレの状態に陥り、火事の現場や周囲もケガレの状態になる。
(2)放火によって人や器物、建物や動物を破壊し害することが許されているのは、天皇のような絶対的権力者が、自らの権威(それは神聖視されている)を脅かそうとする者を処罰する場合のみである。天皇の権威ははじめ、神聖であるものを侵すと、それに対して火刑という形で処罰が与えられる。火災を神の処罰と考えるのはそれと同じである。

火を起こす行為そのものに罪やケガレがあるわけではないが、『不浄なものを焼いた火、あるいは不浄な場所にあったり不浄な人間の触れた火は、逆に不浄な存在へと変わる』(山本「穢と大祓」P76)という。神事の火を隔離する、葬家の火を忌む、出産前後の妊産婦は別邸で食事の煮炊きする、などの別火の風習や、他者と同じ火で煮炊きしたものを食べる合火という行為を穢れた状態にあるとされる人と行ったことで穢れが伝染するとされる風習などがあった。

古来より火は神聖性を与えられてきた。制御された火は文化と秩序とを作り上げる力を持っており、秩序はその火を使いこなすことで権威立てられる。記紀の伝承にある叛乱、特に天皇の権威に対する挑戦に対する罰は火刑が用いられている例が多くみられるという。

また、江戸時代の刑罰において、放火は最高刑であり、かつ放火に関してのみ火刑をもって罰せられた。火罪(火刑)の対象となった犯罪は火付け、火付け未遂、火札貼り(放火予告の脅迫文を貼る)であった。明暦三年(一六五七)~元禄一二年(一六九九)の間に放火について判決が下された計四九件の刑罰の内訳は、火罪(火刑)三八名、獄門八名、死罪一名、流罪二名、牢死四名、放免一名で、火付け道具を所持していただけで火刑にあった女性などの例もあり、他の刑罰と比較にならないほどの厳罰が徹底された。(波平P191-192)

一方で失火はほとんど罪に問われなかったという。天保六年(一八三五)の史料によると、失火の処罰は押し込め、手鎖村預け、叱り置き、寺入りなど二〇日~五〇日程度の軽い禁固・謹慎刑で、『どの事例においても、必ず火元の家が他人の遺恨を受けるようなこともなく、「怪しき風聞も之無き」こと』(波平P193)が強調されている。『放火でも失火でも失われる人命や財産の大きさに違いがあるわけではない』(波平P194)にも関らず、放火と失火についてはその刑罰に激しく落差があり、また放火に対してのみ火刑が適用されるところから、放火が特殊な罪であると見られていたという。

ただし、失火に対しては村落内で社会的制裁が与えられる例が多くみられた。波平によると昭和五十年代の『東北地方のある地域では』(P194)、『失火した家の世帯主は自分の属する村落はもちろん、消防団の協力体制を組んでいる数カ村落の全戸を数日がかりで詫び言を言ってまわっていた』(波平P194-195)。また、同じ村では『戦前までは、失火者は笠を被り、はだしで、荒縄の帯をすることになって』(波平P195)おり、調査当時でも類似の『笠は被らず、ズボンのベルトを外して荒縄に代え、靴は門口まで履くが、門から玄関までははだしになる』(P195)という習慣が残っていたという。

失火者に対する村落内での社会的制裁は他にも多く見られた。(波平P196)

(1)財産没収の上、その家・屋敷跡は「不浄屋敷」と呼ばれた(長野県和田村、岐阜県羽鳥郡川島村、三重県森村、滋賀県東小椋村)
(2)金鍋をかるわせる(鍋釜を背負わせて村を追放する)。
(3)庄屋と寺の帳面から除籍されて追放される(和歌山県上山路村、長野県日間村他)

但し、波平書で挙げられている放火への刑罰の例は江戸中期、失火への罰の軽微さの例は江戸後期、失火者に対する社会的制裁の例は明治以降~昭和後期と時期的にずれがあるため、むしろ、江戸期の秩序が崩壊して近現代の法秩序へと移行する過渡期で村落内での社会的制裁が強化されていたということかもしれない。村八分という習慣が江戸後期~明治初期以降に発達したのと同様に。

『人間が作り出す火は、つまり制御された火は人間の文化そのものであり、先述したように、かまどやいろり、あるいはそこで焚かれる火は文化である。しかし、制御されない火あるいは野火のように自然の中に生じる火は「自然」そのものであり、人間の文化を破壊しつくす力を持つ。火はすべての物を焼きつくし跡かたもなくするので、それは秩序を破壊し、人間が作り出したさまざまな範例(パラダイム)をゼロ状態にしてしまう。したがって、放火が財物の破壊だけでなく、社会的秩序に対する大きな犯罪とみなされるわけである』(波平P202)

火を制御する職業にたたらや鍛冶がある。彼らが火を制御することで生み出される様々な製造物はそのまま文化を切り拓いた。制御された火によって彼らが生み出した製造物の中でも刀剣は特に二律背反性を持つ。神話世界において『刀剣は天と地、山と海など二大原理の対立するところにあって、その原理が対立することによって引き起こされた混乱を、刀剣が備えているその霊力によって鎮める役割を負わされている。』(波平P200)

刀剣は、『それが文化に牙を向けたときには秩序を破壊し混乱をもたらす』(波平P201)が、『自然に立ち向かった時は、自然と文化、天と地の二大領域が結びつき秩序がもたらされる』(波平P201)。刀剣も刀剣を生み出した火も制御されているかされていないかの違いは破壊と生産という二つの対立する概念そのものであり、ゆえに火は神聖なるものであると同時に不浄なるものであり、その取扱いは社会的秩序の維持と強く結びついてきた。

文化が自然と対立する秩序世界であった時代から、文化が自然をその秩序世界に内包し、強く影響を与えられるほどに発展してきた過程で、巨大化する一方の社会的秩序を支える火=エネルギーもまた、かつてないほどに膨大な力を持ってきた。かつての火と穢(ケガレ)の関係は、社会を構成する我々がケガレという概念を克服していないのだとすると、制御されない火が生み出す社会的混乱の様相を、現代社会においても強く示唆することになると思う。

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