「世界史をつくった海賊」竹田 いさみ 著

パイレーツ、バッカニア、ヴァイキング、コルセア、海乞食、倭寇、など様々な呼び名で呼ばれて歴史上に名を知られる様々な海賊たち、特に英国の黎明期に活躍した海賊たちに焦点を当てて政府と海賊とがともに協力して海賊国家を作り上げ、後の大英帝国の繁栄の礎を築く姿を描き出した一冊。

一六世紀のイングランド王国は、後の大英帝国の影も形も見えぬ、羊毛や毛織物を細々と輸出してわずかばかりの外貨を稼ぐだけの弱小国だった。軍事的にも百年戦争に敗北し、ヘンリ八世がイングランド国教会を独自に設立したことでカトリック教会とも対立し、欧州への橋頭堡であるカレーをフランスに奪われ、いつ大陸からスペイン・フランスがなだれ込んできてもおかしくない、さらに隣国スコットランド女王メアリが虎視眈々とイングランド王位を狙う。資源なし、財政破綻、軍事力弱小、外交的孤立・・・エリザベス女王即位当時のイングランドは滅亡寸前と言っていい。

そんな危機的状況にあってエリザベス女王が活路を見出したのが「海賊」であった。海上で略奪行為を行う彼らを使って新大陸から高価な品々を運ぶスペイン船やポルトガル船を次々と襲撃し、その略奪した金品がイングランドの財政を支えていた。代表的な海賊の一人フランシス・ドレークがイングランドにもたらした略奪品の総額はおよそ六〇万ポンドで、当時のイングランド国家予算の三倍にものぼるという。

とはいえ堂々と海賊を使ってスペイン船を襲わせるのは色々とまずい。そこで民間主導で海賊のプロジェクト毎に出資者の組合を作り、そこに秘密裏に女王が出資するシンジケート方式が取られていた。出資額に応じて略奪品の取り分の配分が変わる。特に女王は海賊による奴隷貿易のシンジケートに加わっていたという。そのようなシンジケート方式での資金を元に、歴史上名高いキャプテン・ドレークの世界一周航海は行われたのだった。

一六世紀半ば、エリザベス女王が即位してすぐの頃の海賊は女王陛下の集金マシーンとしての役割を担っていたが、やがて一六世紀後半になると、スペインとの直接対決が避けられない情勢になり、戦争マシーンとしての役割をも担うようになっていった。

一五七三年、国務卿に任命されたウォールシンガムの下に、情報収集や対スペイン攪乱工作、スペインのスパイから女王が密かに使う海賊の行動を探られないようにする任務を背負う諜報機関が誕生する。この予算ももちろん海賊からの”あがり”であった。以降、ドレークやホーキンスといった海賊たちは秘密裏にイングランドから出航して次々とスペイン海軍の拠点を襲い、あるいは航行中の軍船に奇襲をかけるなど海上でゲリラ戦を展開する。

一五八八年、海賊の跋扈とそれを放置し、おそらくは陰で操っているであろうイングランド王国に対して業を煮やしたスペイン国王フェリペ二世はついにスペインが誇る無敵艦隊を差し向ける。無敵艦隊が英国艦隊を掃討してドーバー海峡の制海権を確保する間にオランダ総督パルマ公率いる精鋭陸戦部隊三万が合流してイングランド上陸作戦を敢行し、その上陸に呼応したスコットランドの旧メアリー派が蜂起して一気に制圧するという計画だった。

この重要な軍事情報をイングランド側がキャッチし、パルマ公の足止めのためオランダの反スペイン勢力に働きかけて港湾封鎖を実施することでパルマ公軍を身動きできないようにし、海賊たちが無敵艦隊へのゲリラ戦を展開、進路を妨害する。一五八八年七月二八日、カレー沖で無敵艦隊とほぼ海賊で構成されたイングランド艦隊が激突する。世に名高いアルマダの海戦である。

無敵艦隊は出航直前にレパントの海戦でトルコ軍を撃破した名将として名高い海軍提督サンタ・クルス公が急死し、海戦経験の無いシドニア公が率いていた。また精鋭といってもスペインの影響下にある諸国から動員された混成部隊で、意思疎通を欠いていた。その弱点を見抜いていたイングランド艦隊は奇策を用いて混乱させる作戦を立てる。火船攻撃は、帆船に可燃物を満載して火をつけて追い風に乗せて敵に突撃させるもので、海賊上がりの海軍将校ウィンターが発案したと言われる。この作戦が見事に的中した。

一五八八年七月二八日夜、天候の悪化により無敵艦隊一三〇隻は帆船同士ロープで結びつけてカレー沖に投錨しており、そこに火だるまの火船が次々と突っ込む。不意打ちの夜襲に無敵艦隊はたちまち大混乱に陥った。ロープを急いで解き、四方八方に逃げ惑う。翌朝から合流を図ろうと集まって来るスペイン艦船を、海賊たちが小回りの利く中型・小型船でゲリラ的に各個撃破していく。無敵艦隊は指揮命令系統が寸断され、やむなく退却を図るが折からの悪天候で次々と難破・大破し海の藻屑と消えた。

以降、一六〇一年までの間に五回に渡って英西艦隊は戦火を交えるが全てイングランドの勝利に終わり、制海権を失ったスペインの没落が始まることになる。アルマダ海戦で副司令をつとめたドレーク、ホーキンスら海賊たちの貢献はイングランドにとって激しく大きいものだった。

一七世紀に入ると海賊たちはより一層イングランドに利益をもたらした。東インド会社の設立メンバー七人は全員が海賊で、同社の保有する船舶も設立時の第一船団五隻のうち食糧輸送船一隻をのぞく四隻全て海賊船だった。香辛料貿易と他国船の略奪が主な目的で、東インド貿易を通じてイングランドに富をもたらした。やがて東インド会社は権力機構そのものとなり、一九世紀以降インド植民地支配を担うことになる。

また、海賊たちは奴隷貿易を手掛け、これがイングランドに多大な利益をもたらした。エリザベス女王の指示下で海賊たちは当時ポルトガルが独占していた西アフリカからの奴隷貿易に食い込んだ。英国本国から銃・火薬・鉄などを西アフリカの黒人王国へ輸出し、西アフリカからカリブ海諸国の砂糖農園へ奴隷を輸出し、カリブ海から砂糖やタバコを本国に持ち帰って高値で売却する。海賊ホーキンスが開拓したこの三角貿易は、当初密輸として始まり、一七世紀後半以降カリブ諸国を英国が植民地化したことで公認となり本格化させていった。

一六世紀から一八世紀初頭にかけてのイングランドは海賊からの資金に依存する海賊国家そのものだった。やがて、その資金を元に貿易立国の道を模索しはじめる。ロンドンがアムステルダムやハンブルグなどに次ぐ貿易都市に成長し、オランダ・フランスとの長い抗争の果てにそれを打ち破って大西洋の制海権を握ると、次第に海賊は邪魔者になっていった。一七二一年、国益に背く海賊を対象とした海賊取締法が制定され、国の英雄から犯罪者へとその地位が一変する。一八世紀後半の産業革命を経て一九世紀半ば以降英国は大英帝国として絶頂期を迎えるが、近代国家が形成されていく過程で海賊はその枠組みから排除されていった。一八五六年、パリ宣言にて国際的に海賊行為が禁止され、海賊たちは歴史の表舞台から去って行った。

現代になって再び、海賊たちが憧憬のまなざしで見られるようになったのは、グローバリゼーションの進展に伴う社会の流動化と主権国家の地位低下という社会情勢の変化が大きく影響しているのではないか。既存の枠組みが揺らぎ、資本が高速に移動して、国境は徐々に無意味化していく。強力な権力に抗う反体制のヒーローがもてはやされた時代から、弱体化する秩序や権力から距離を置いて独立独歩、自分の力で世界を切り拓くアウトサイダーの時代へと、人々の理想像が変化し、そのアイコンとして海賊が再発見される。

もっと自由をと叫ぶ様々な社会・政治運動と海賊ブームとの間はその奥底に同じ心象風景が広がっているのだと思う。

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