イラク-アフガニスタン戦争におけるオバマ戦略の転換について

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1.米軍の伝統的な戦略文化とイラク戦争の行き詰まり

米軍の伝統的な戦略文化は福田毅論文「米国流の戦争方法と対反乱(COIN)作戦―イラク戦争後の米陸軍ドクトリンをめぐる論争とその背景―」によると「一種の効率万能の工学的戦争観」だという。つまり「戦争は、相手との交渉の延長ではなく、問題の合理的解決を相手に強制するための最終手段」であり、「戦闘における勝利のみを追い求め、戦闘の勝利を戦略的・政治的な勝利へと結び付けることを怠る」特徴がある。「政治と軍事の分離、他国文化への理解の浅さ、技術依存、火力重視、物量での圧倒、攻勢作戦への愛着、迅速な勝利の追及、人的コストの忌避」などが挙げられる。

第二次世界大戦から湾岸戦争に至るまで一貫してこのような戦闘重視の戦略が取られてきた。ところが、二〇〇〇年代以降のイラク戦争、アフガニスタン戦争においてはこの伝統的なスタイルの限界を露呈することになった。純軍事的に圧倒的勝利を収めてもイラクでは大量破壊兵器は見つからなかったし、住民からの苛烈な抵抗に見舞われて泥沼の戦争に突入してしまっていた。

フセイン政権崩壊後、スンニ派武装勢力とアルカーイダ系組織が協調して米軍に抵抗し、シーア派民兵がそれに呼応して多国籍軍に対して攻撃を仕掛ける。初川満編『「国際テロリズム入門」所収門司健次郎論文「イラクの治安状況及びテロ対策」』によると、二〇〇四年一月に二〇〇件だった米軍および政府施設への攻撃は二〇〇五年秋には五〇〇件、その後右肩上がりに急増して二〇〇六年末から二〇〇七年三月にかけて一八〇〇件近くまで増加した。また二〇〇六年二月にシーア派の聖廟が爆破されたことで宗派対立が勃発し対米軍攻撃と同時進行で民間人殺害が増加、二〇〇六年一二月には月に三七〇〇人超の死亡者が出るほどだった。

2.イラク戦争と反政府活動鎮圧戦略(COIN)

既存の米軍のやり方では最早事態を打開することは出来ない情勢となり、方向転換を余儀なくされる。そこで浮上してきたのが対反乱=反政府活動鎮圧戦略(COIN)である。これは民衆の支持が反乱勢力の活動に不可欠な点に注目して民衆と反乱勢力の分離を図るため、『敵部隊への攻撃よりも民衆の保護を優先し、復興支援等を通じて民衆からの支持を獲得する』ことを軍の最優先目標とするものだ。一九六四年にフランスの軍人D・ガルーラが提唱し、ベトナム戦争時にケネディ大統領が導入を図ったが、現場との意思疎通が上手くいかず機能しないまま敗戦を迎え、ベトナム・シンドロームもあって米軍ではCOINドクトリンに対する忌避感が強いという。

イラク戦争においてCOIN戦略の導入を提唱したのがイラク戦争で空挺師団を率いた後、教育・訓練やドクトリン作成を担当するコンバインド・アームス・センター(CAC) の司令官に就いていたデヴィッド・ペトレイアス陸軍中将(当時)で、彼はCOINドクトリンを作成し、その重要性を広くアピールした。

同時期、イラク戦争の行き詰まりが明らかになり、政権内でもCOIN作戦の重要性が認識されつつあった。二〇〇六年一二月、COIN作戦導入反対派の急先鋒だったラムズフェルド国防長官が出口の見えないイラク戦争の責任を問われて更迭され、代わって元CIA長官でCOIN作戦推進派のロバート・ゲーツが後任となり、同時にイラク駐留米軍のケイシー司令官を更迭してペトレイアスが新イラク駐留米軍司令官に任命され、COIN作戦の実施へと大きく方向転換する。

二〇〇七年一月一〇日、ブッシュ大統領は二・四万人の増派と新作戦の実施を決定し、翌月から実行に移された。当初、治安はさらに悪化したが、二〇〇七年六月をピークに治安が劇的な改善に向かう。ペトレイアス司令官が実施した「clear、hold、build(掃討、保持、建設)」を方針とするCOIN作戦の概要は以下のようなものだった。

『米軍とイラク治安部隊は、民衆保護のために市街地の中に小規模な前線基地を多数設置した。民衆の中で軍が活動することで民衆の信頼を勝ち取った結果、民衆からの情報提供も増え、これが敵の隠れ家や武器の隠し場所の発見につながった。また、対立勢力間の和解促進や、反乱勢力の政治プロセスへの取り込みも実施した。復興面では、米軍はイラク政府と協力して、電気や水道等の基本サービスの提供、民間投資の促進、職業訓練、少額ローンの整備、雇用創出等に努めた。』(福田P96)

また、反米勢力のスンニ派とアルカーイダとの路線対立が生じつつあった状況を利用し、多国籍軍、国防軍、警察以外に反米スンニ派の受け皿として自治的な治安組織を立ち上げて、住民からの情報提供を自発的に行わせる体制を整えた。

『米及び多国籍軍は、スンニ派地域の各県やバグダッドでスンニ派部族長や地元の有力者と協力し、要因1人当たり月300米ドル支払うことにより、覚醒評議会と呼ばれる自警団的組織を立ち上げるに至った。その多くはかつて米軍に抵抗した武装勢力であり、武器を持って自らの地域の警護に当たり、米・多国籍軍と強調してアルカイダに抵抗することとなった。後に覚醒評議会は、「イラクの息子たち(Sons of Iraq)」と呼ばれるようになった。』(初川、門司P137)

これらの施策によって、米軍及びイラク政府施設等への攻撃件数は二〇〇七年六月の週一七〇〇件超から二〇〇八年七月には二〇〇件へ、民間人の死亡者数は二〇〇六年一二月の三七〇〇人超から二〇〇八年六月の五〇〇人へと改善し、その後もさらに下がって低水準を維持し、二〇〇八年秋から米軍一部撤退が開始、二〇一一年八月の米軍完全撤退へと繋がっていった。

オバマ政権成立に際し、ペトレイアス将軍はイラク駐留軍司令官から、アフガニスタンを含む中東・アジア地域全体を統括する中央軍総司令官に昇進し、ゲーツ国防長官も共和党政権から民主党政権へと政権交代がありながら異例となる留任になり、当初アフガニスタン戦争に対してもCOIN作戦の展開を前提としていた。

3.アフガニスタン紛争の混迷

二〇〇八年時点でタリバーンはアフガニスタンの一〇%以上を実効支配し、その支配地域は拡大の一途を辿っており、それに対する米軍を中心とした多国籍軍は著しく兵力を欠いていた。オバマ大統領は就任直後の二〇〇九年二月、まずアフガニスタンに一万七〇〇〇人を増派して三万八〇〇〇名規模に拡大、その上でアフガニスタン戦争の出口戦略を模索する。

アフガニスタンが混迷を続ける根本的問題はパキスタンにあった。二〇〇一年一〇月の多国籍軍によるアフガニスタン侵攻作戦によって追われたムハンマド・オマル師率いるタリバーン勢力は一時的に力を落としたものの、二〇〇五年以降盛り返して、アフガニスタンとの国境沿いにあるパキスタン南西部バローチスターン州州都クエッタ付近を拠点としつつ、バローチスターン州と隣接するワジリスタン地区を含む連邦直轄部族地域(トライバル・エリア)やアフガニスタン南部をパキスタン・タリバーン運動(TTP)やアル・カーイダと協力して実効支配し、グルプディーン・ヘクマティアル率いるヒズビ・イスラムやハッカニ・ネットワークと連携してアフガニスタン政府・米軍に対してゲリラ戦を展開していた。

これらタリバーンをはじめとする反米諸勢力を実はパキスタンの三軍統合情報局(ISI)が秘密裏に支援していた。パキスタンが表向きアメリカの同盟国として振舞い、その裏でアフガニスタン反米勢力を支援して混迷を引き起こすという二枚舌外交を続ける理由はカシミール問題にある。

一九四七年、インドとパキスタンが英領インドから分離独立した際、カシミール地域の住民はイスラム教徒が大多数だったが、支配していた藩王はヒンドゥー教徒であったため、帰属決定延期を求める住民の意思を無視してインドに帰属を決定する。それに異を唱えた住民がパキスタン軍を招きいれたことでインドとパキスタンの間で同地域を巡って三度に渡って戦争が起こり、その後も断続的に紛争が続いていた。これにインドと中国の間でカシミール地方東部地域の支配権を巡る国境紛争が重なり、パキスタン、インド、中国三つ巴の戦いが半世紀以上続いていた。

パキスタンはこのカシミール紛争に対する義勇兵や、ISIから秘密裏に支援を受けてカシミール地域で活動するテロ組織ラシュカトレイバ(LET)の人員供給源としてタリバーン運動などの母体となるイスラム教急進派デオバンド派に大きく依存しており、また、この紛争を優位に進めるため隣国アフガニスタンには現在の親インド政権であるカルザイ政権に変わって親パ政権が樹立されることが望ましいと考えていた。

このようなアフガニスタン紛争の当事者がアフガニスタン一国に留まらず、周辺諸国を拠点としてヒット・アンド・アウェイ的なゲリラ戦を展開しているという状況に加え、米が支援するアフガニスタン政府が脆弱すぎるという問題があった。カルザイ政権は登場こそ希望に満ちて華々しかったが、カルザイ自身のリーダーシップの欠如に加え、カルザイの一族と麻薬取引で財を成した新興軍閥たちで権力が独占され、優秀な官僚や地方の行政官らが次々とその縁故者に取って代わられるなど行政機構の腐敗・空洞化が著しく、民衆の支持が日に日に低下する一方であった。

4.オバマ政権内の対立

イラクにおいて目覚ましい成果を残したCOIN作戦が、果たしてアフガニスタンでも有効かどうか、がブッシュ政権から引き継いだオバマ政権における軍事戦略上の最大の論点であったが、それは非常に疑問であった。イラクの場合、一つには反米・反政府勢力はイラク一国でほぼ完結しており、一旦敵を撃滅すると、あとはスムーズに住民保護やその支持を取り付けることが容易であったこと、第二に、イラク政府のマリキー首相は強力なリーダーシップと能力の持ち主で、米軍との協力関係を維持しつつ、さまざまなインフラを整備していくことができたことなどがあげられるが、アフガニスタンは全くその正反対で、敵は撃滅しても撃滅してもパキスタンのタリバーン支配地域から押し寄せ、政府の行政機構の整備は進むどころか、日に日に弱体化する一方で、政権の腐敗に民衆は辟易しており、支持を取り付けることは非常に困難な状況であった。

また、米国がカシミール問題の解決に介入することも困難であった。クリントン政権下ではパキスタンとのチャンネルは形成されず、ブッシュ政権ではムシャラフ大統領だけがアメリカとパキスタンとの窓口で、ムシャラフが失脚したことで、オバマ政権ではパキスタンとの外交ルートを一から作り直す必要があり、また、インドと良好な関係を築こうとしている中で、軍事的介入は論外であった。

ゲーツ国防長官、マレン統合幕僚本部議長、ペトレイアス中央軍司令官、マクリスタルアフガニスタン駐留軍司令官ら制服組とクリントン国務長官はCOIN作戦を前提としたタリバーン勢力の撃滅・住民保護・インフラ整備計画を立案し、最大一〇万人、十年に渡る大規模かつ長期的な人員派遣を主張した。これに対してバイデン副大統領、パネッタCIA長官、ジョーンズ国家安全保障問題担当大統領補佐官、エマニュエル大統領首席補佐官らオバマ大統領側近グループは制服組の大規模増員計画に対し逼迫する財政的問題なども踏まえ疑念を呈した。バイデン副大統領は「対テロリズム措置プラス」と呼ばれる、増員を極力控え、現行兵力でアフガニスタンの安定化を実施し、軍事目標をタリバーン勢力の撃滅ではなくパキスタンのアル・カーイダのみにターゲットを絞る計画を提案する。

後者の立場からパネッタCIA長官の下で進められたのが無人攻撃機を使ったテロリストの主要人物に対する暗殺戦術であった。ヘイデン前CIA長官の下でもトライバルエリア内のテロリストに対して実行されていたが、二〇〇九年以降CIA主導で計画は拡大される。無人攻撃機が効果を発揮するためにはCIAの軍補助工作チームがパキスタンに展開して、諜報活動を行う必要があった。二〇〇九年一〇月七日にはパネッタ長官の無人機増大案をオバマ大統領が許可し、パキスタンに無人攻撃機展開のための施設設置などが進められた。オバマ大統領よりも、選挙対策を担当するエマニュエル大統領主席補佐官が無人機による攻撃の成果を重視していたという。

5.アフガニスタン紛争の出口戦略

二〇〇九年十一月二九日、政権内外の議論を踏まえてオバマ大統領はアフガニスタン戦略を決断する。概要としては以下のとおり。

・全面的な反政府活動鎮圧戦略(COIN)は採らない
・アル・カーイダの撃滅
・タリバーンをアフガニスタン国家治安部隊が統制できるレベルに弱体化の上、和解を進める
・パキスタン領内の反政府勢力根拠地の消滅または弱体化
・アフガニスタン政府の統治が国を安定させるのに充分な状態にする
・二〇一〇年初頭より三万人の増派(二〇〇九年末のアフガニスタン駐留軍は六万八〇〇〇人)
・二〇一〇年一二月に作戦評価を行い、二〇一一年七月より減員開始

この決定によって、全面的な戦闘ではなく、アル・カーイダと、タリバーン上層部に対する効率的な攻撃が重視されることになった。結果として、無人攻撃機を使った「特定個人指向殺害(ターゲテッド・キリング)」=暗殺がアフガニスタン戦争の最重要戦術の一つとなった。

このようないわゆる制服組を中心としたCOIN推進派の敗北は、オバマ政権におけるシビリアン・コントロールの確立であると同時に、伝統的な米軍の戦略文化への回帰とも言えるかもしれない。それは人事にも表れてくる。二〇一〇年六月二三日、マスコミへのインタビューでバイデン副大統領らを批判したとしてマクリスタルアフガニスタン駐留軍司令官が更迭され、ペトレイアス中央軍司令官が降格するかたちで後任となった。二〇一一年五月のウサマ・ビン・ラーディンの殺害成功は米国の新戦略の成果となった。これを受けてCOIN派は一掃される。二〇一一年六月末でゲーツ国防長官が退任して後任にパネッタCIA長官が就き、パネッタの後任にはペトレイアス将軍が退役の上で就任することになった。COIN提唱者にその正反対の暗殺戦略の指揮を執らせる人事で、オバマ大統領の冷徹な覚悟の表れと言えると思う。またマレン統合幕僚会議議長も二〇一一年末までに退任した。

このような政権を二分し、冷徹な人事を断行してまで作り上げられたアフガニスタン戦争の終結のための出口戦略であったが、その後の推移は最も悪い形で行き詰まりを見せつつある。オバマの戦争は敗戦した、とする意見もあるようだが、それは時期尚早な見解であると思う。オバマの戦争が失敗しているかどうかは、むしろ、上に挙げた二〇〇九年の方針の成否について丁寧に見ていく必要があるのであって、失敗とは言えないまでも様々な手が袋小路の中にあるとする方が適切であろう、と個人的には思う。このまま二〇一四年の完全撤退までにその袋小路を抜け出す目途が立たなければ、当然失敗であるわけだが、果たして今の米軍の方針のままで成功に繋がるのかというとやはり疑わしい。ゆえにオバマ政権の焦りが対パキスタン外交の先鋭化や、タリバーンやアフガニスタン市民に対する様々な不手際となって表れているのだろうが。

ボブ・ウッドワード「オバマの戦争」の巻末にある、その二〇〇九年十一月二九日の極秘文書の全文を紹介しておく。オバマ大統領はこの文書に閣僚、関係者全員の同意署名を求めたという。

(ボブ・ウッドワード著「オバマの戦争」P538-544)
オバマ大統領のアフガニスタン―パキスタン戦略最終命令書または同意書

極秘/対外国開示禁止
二〇〇九年一一月二九日

閣僚向け覚書
発信人:国家安全保障問題担当大統領補佐官

アフガニスタン―パキスタン戦略
この覚書は、二〇一一年七月よりアフガニスタン当局への転移を加速する情勢を整えるために、二〇一〇年初頭より米軍の大規模な増派を行うとする、閣僚間および大統領と協議したアフガニスタン・オプションの要約である。

対アフガニスタン新実行指針
中心的な最終目標の土台となる対アフガニスタン実行指針は以下のとおり。

アメリカの最終目標は、アルカイダに安全地帯をあたえず、アフガニスタン政府を転覆するタリバンの能力を奪うことである。

アメリカおよび協力関係にある各国とアフガニスタンの戦略構想は、タリバン反政府勢力を弱体化させるいっぽうで、アフガニスタン側が自分たちの国の治安を維持し統治するのにじゅうぶんな能力を積みあげ、二〇一一年七月に米軍が減員を開始できる情勢を創り出すことである。

アフガニスタンにおける軍事任務は以下の六つの作戦目標に絞られ、規模と範囲はアメリカの最終目標を達成するのに必要な事柄に限定される。

・タリバンの勢いを逆転させる。
・タリバンが重要な人口密集地や生産地や交通網に接近し支配するのを阻む。
・治安を維持している地域以外でタリバンを弱体化させ、アルカイダがアフガニスタンで安全地帯を得るのを防ぐ。
・アフガニスタン国家治安部隊(ANSF)が統制できるレベルにタリバンを弱体化させる。
・ANSFの規模を拡大し、現地治安部隊の潜在能力を高めて、二〇一一年七月の駐留米軍減員開始という期限に沿って、治安の責任をアフガニスタン政府に転移できるようにする。
・国防省と内務省に的を絞り、アフガニスタン政府の軍事面での能力を重点的に高める。

民生支援
・われわれの軍と文民の支援を、緊密に連携させる。
・カルザイ政府の正統性と実効性に数多くの深刻な問題があることに鑑み、なにが現実的であるかに的を絞らなければならない。カルザイ政府との交渉を前進させる計画には、四つの要素がある。協力できるときにはカルザイに協力する。カルザイの方向を変えなければならないときにはそうする。国政レベル以下の統治を強化する。腐敗防止活動を強化する。選挙後の協約を実施する。
・アフガニスタン主導の融和と和解は、われわれの戦略の重要な柱である。
・優先順位をはっきりさせた包括的な手法を支援するために、閣僚は適切な担当部局、計画、資源を確実に割り当てる。
・アフガニスタンの戦闘能力を高めるために、各国の政治・経済支援との連携を改善しなければならない。

アフガニスタン主導の融和。われわれは連携を改善しなければならない。

この手法は全面的に資源を投入する反政府活動鎮圧や国家建設ではなく、アルカイダを攪乱し、解体し、最終的に撃滅し、彼らがアフガニスタンとパキスタンの安全地帯に戻るのを防ぐという、中心的な最終目標ともっと密接に結びついた、より範囲の狭い手法である。

対アフガニスタン新実行指針の達成

国防オプション2Aと大統領も交えたわれわれの協議に基づき、マクリスタル将軍とISAF(国際治安支援部隊)がこの新実行指針を行い、アフガニスタン当局への転移を加速する情勢を整えられる手法を以下に詳述する。
以下に詳述する、このオプションの重要な要素はつぎのとおり。

・一八ヵ月ないし二四ヵ月の長期増派のために三万人の米軍部隊を増員し、同レベルの文民および資金とともに、二〇一〇年前半にアフガニスタンに配置する。
・国防長官は今後生じる必要に応じて、支援のための緊要能力を三万人の一〇パーセントの範囲で限定的に増員する権限を持つものとする。
・二〇一〇年一二月に、国家安全保障会議主導で、アフガニスタン政府の改善、ANSFの発展、パキスタンの行動、国際支援も含め、治安状況その他の醸成の評価を行い。
・二〇一一年七月、米軍は、駐留部隊からANSFへの治安任務の主導権の転移を開始し、減員を開始する。現地の進捗に基づいて、大統領は戦闘作戦から顧問へと援助任務への移行の時期を考慮し、われわれの軍と民の支援をどういうレベルで持続するかを判断する。
二〇一〇年一二月をつぎの評価時点に定めたのは、二〇〇九年に増員した米軍部隊三万三〇〇〇人がアフガニスタンに配置されてから丸一年であり、進展を評価して作戦構想の吟味を行うのにじゅうぶんな機関だからである。

構想
米軍部隊が治安を確保した地域では、二〇〇九年七月から一八ヵ月ないし二四ヵ月でアフガニスタン当局に転移することが、合意された構想と最終目標であり、その後その地域での任務は修正され、米軍部隊は減員される。

二〇一一年七月、アフガニスタンの国全体の進捗を評価し、軍事任務を変更する時期を大統領は考慮する。

二〇一一年七月の時点で、二〇〇九年までに配置された米軍部隊六万八〇〇〇人は、最低二四ヵ月駐留したことになり、なかにはそれよりも長く駐留した部隊もある。

それまでに治安任務の主導権をANSFに転移し、長期増派時よりも低いレベルに向けて米軍の減員を開始できるものと思われる。
オプション2とオプション2Aの根本的なちがいは、任務の幅を狭め、進捗を示して責任を転移する期限をより厳しくしたことである。

各国とアフガニスタンの貢献
国家安全保障会議が、月ごとに進捗を監視する。

アフガニスタンの統治:
・秘密文書に記した協約の制定とわれわれの具体的要求に関して、カルザイは進捗を示しているのか?とりわけ、われわれの任務にとってもっとも重要な省、州、地域の人事を論功行賞に基づいて行っているか?
・全国的な統治が限られているなかで、われわれの軍・民作戦を基盤とする国政レベル以下の有効な統治を促進するにあたって、アフガニスタン側を支援できることを、どのように実証すればよいのか?具体的にはわれわれとアフガニスタン側は、民間の高い能力を、堅守、建設、転移の段階にある米軍と組ませてきただろうか?そうした資源は効果をあげはじめているだろうか?
・アフガニスタン政府は、有効な融和/和解計画を実施しはじめているか?

パキスタン:
・われわれの影響力でパキスタンが戦略的計算を変え、過激派への積極的・消極的支援を最終的にやめようとしている兆しはあるか?
・アルカイダや、アフガニスタン・タリバンやハッカニ・ネットワークを含むその他の過激派への対策を支援するわれわれの具体的要求を、パキスタンは承認したか?

ANSFの発展:
・ANSFの質を改善しつつ成長を加速するわれわれの計画は充足しているか?ANA(アフガニスタン国軍)を四四個中隊補強する二〇一〇年の計画は、軌道に乗っているか?
・州ごとに治安任務をISAFからANSFに転移する計画を、アフガニスタン政府とともに確定しているか?

国際支援:
・協力関係にある各国は、アフガニスタンでの任務でじゅうぶんな支援を実証してきたか?具体的には、NATOは現在の投入兵力を維持し、二〇一〇年の兵員および訓練要員の増員(約五〇〇〇人)を行い、さまざまな信託基金に資金を提供しているか?協力関係にある各国は、民生資源の大幅な追加に貢献してきたか?
・マクリスタル将軍に匹敵するレベルの文民を、ISAFの支援活動を調整する責任者として配置しているか?

右の四つの情勢のうち、客観的に見て今後数ヵ月で大幅な進展が期待されるのは、国際支援の増加である。(一二月三/四日のNATO外相会議で)早急に支援を取り付けるには、閣僚がそれぞれ各国の閣僚と交渉をつづけていかなければならない。大統領はベルルスコーニ首相との会談を済ませ、演説の前にブラウン、サルコジ、メルケルを含む重要同盟国の指導者と会談する予定になっている。各国指導者は、この重要な時期に大統領を支持する決断を下さなければならない。増派を命じられるのは、この指導者たちだけである。最低限でも、内閣で大統領の決断を支持する力強い政治声明を出してくれるものと期待している。

費用
アフガニスタンにおけるこのオプションの総費用は、一〇万人近い駐留兵力を維持した場合、年間約一一三〇億ドルになる。年間費用の主な内訳――軍事作戦と保守整備に一〇〇〇億ドル、年間目標と同盟国の貢献にもよるがANSFに八〇億ドル、民生作戦と補助に五二億ドル。

参考論文・書籍
・「米国流の戦争方法と対反乱(COIN)作戦―イラク戦争後の米陸軍ドクトリンをめぐる論争とその背景―
・初川満編「国際テロリズム入門 (現代選書3)
・ボブ・ウッドワード著「オバマの戦争
・酒井 啓子著「イラク 戦争と占領 (岩波新書)
・宮田 律著「中東 迷走の百年史 (新潮新書)

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