近代スポーツの誕生と近代オリンピックの始まり

近代スポーツは近世英国においてネーションステートが成立していく過程でジェントリ層の中で誕生し、一九世紀、二〇世紀の米国において大衆消費社会へと展開していくことで変容した。そうやって育まれた男性中心の身体文化は一九七〇年代以降、女性が主体として参加していくことで性差の問題と正面から向き合うことで新しい身体文化の創出という三度目の転換期を迎えている。多木浩二著「スポーツを考える―身体・資本・ナショナリズム (ちくま新書)」はその近代スポーツの発展過程を辿りつつ、スポーツとは何かを考察した一冊である。同書から近代スポーツの誕生とオリンピックについての概略をまとめる。

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文明化の過程としてのスポーツの誕生

後にラグビーとサッカーに分離するフットボールをはじめとして、ボクシング、テニス、フェンシングなど近代スポーツの多くが一九世紀英国のジェントリ層で誕生したものを原型としている。これは富裕階級に余暇が生まれその過ごし方としてスポーツが発明されたというだけではない。英国では清教徒革命以降の一連の政治体制の暴力的変更の時代を経て、一八世紀の間に暴力的戦闘ではなく非暴力的議論を通じた手続きによる対立する勢力間の戦闘を回避する議会制度という権力移譲システムが発展していた。社会学者ノルベルト・エリアスの考察をもとにスポーツ誕生の過程が明らかにされる。

『議会制度化とは、政治がいわばゲーム化したことを意味している。この言語による政治ゲームは議論の対決が渦巻き、妥協が続く場となる。党派による政権の交代も言論を通して行われ、複雑な問題、経済、外交などの決定も言語によってなされる。しかしその際、暴力は使われないのである。
(中略)
この時代から生じたスポーツは、このゲーム化する政治的歴史を、身体に移してモデル化したものであったのである。』(P34)

つまり議論や説得といった非暴力的な手法が権力移譲の手段としてシステム化されたという変化は、特にその権力移譲の担い手となったジェントリ層の個々人の社会的習慣へ反映し、その余暇の過ごし方に非暴力的な規律を持ち込んだ。それがスポーツとして表現されるようになったということだ。

『スポーツ誕生の背後には国家による暴力の独占、したがって革命を抑制しうるシステムと、それに由来する国内の相対的な安定化という政治的背景があった。』(P35)

地域共同体の慣習と上流階級のマナーが生んだ近代スポーツ

スポーツは都市と田舎という二重生活を送るジェントリ層の中で生まれたがゆえに、クリケットやボクシングなど『田舎の慣習と上流階級のマナーの結合』(P36)という形で多くが誕生する。『スポーツは最初から地域の共同体に閉じた慣習を超えた普遍化、すなわち近代化に条件づけられていた』(P36)。地域を超えてクラブが形成され、ゲームの規則が標準化されていくことになる。

特にフットボールの発展は目覚ましかった。中世以来、英国だけでなく欧州の各地で盛んであったこの競技は、町ぐるみでボールを蹴りあいたびたび暴力沙汰になる乱暴なものであったが、一八三〇年代以降パブリック・スクールで採用されたことでルールが整備されていく。ラグビー校のトーマス・アーノルドによって教育制度改革の一環としてフットボールのルールが整備され、生徒の自主的な運営がなされるようになると、フットボールはやがてラグビーとサッカーに分離する。イートン校とハーロウ校で手の使用が禁じられたのを皮切りに各校で様々なルールが登場し、やがて対抗試合を経てケンブリッジ大学の規則が標準として採用され、統合する協会、団体が登場する。サッカーの誕生である。一方ラグビー校をはじめとする各校は手を使うフットボールを採用し、後にラグビーと呼ばれる競技へと発展した。

英国の地域共同体の慣習と上流階級のマナーとの融合によって誕生した近代スポーツは教育機関を通して普遍化、制度化がなされることで共同体から引きはがされてネーションに基礎づけられた。それを下支えしたのが産業革命以後の生活水準の著しい向上だった。丁度一八三〇年代頃までに産業化が進み産業ブルジョワジーが台頭し、下層階級にも余暇が誕生してくると社会的エリートだけのものだったスポーツが下層階級にも浸透する。各地にクラブが次々と誕生し、一九世紀の終わりごろまでには企業や労働者のサッカーチームが登場する。一八八三年、サッカーイギリス杯決勝でブラックバーンの労働者チームが名門イートン校を初めて撃破したことに象徴されるように、階級を問わず拡大すると競技の戦術や技術、選手の身体能力が著しく向上していった。

「従順な身体」

身体の変化が、国家による暴力の独占という政治的背景とともに近代スポーツ登場の重要な要因であった。この本ではミシェル・フーコーの「従順な身体」という概念を引いている。一七世紀欧州の兵士像は『生まれつきの資質で成立』(P46)していたのに対し一八世紀になると兵士は「規律・訓練」によって『つくりあげられるもの』(P46)になる。

『・・・規律・訓練は、服従させられ訓練される身体を、<従順な>身体を造りだす。
・・・規律・訓練は身体の力を乖離させるのであって、一面では、その力を<素質>、<能力>に化して、それらを増大させようと努める、が他方では<体力>ならびにそれから結集しうる<強さ>を反転させて、それらを厳しい服従関係に化するのである。』(P47)

個々の自由な意志に基づいて規律・訓練と言う概念を通して身体を徹底的に管理下に置くことを目指す、この<従順な身体>観念の登場が近代スポーツ誕生のもう一つの要因となった。

近代オリンピックの誕生

世は帝国主義の時代、特に日の沈まぬ帝国として君臨していた英国からヨーロッパ諸国だけでなく南北アメリカ、アジアなど植民地各地へとフットボールをはじめとする様々なスポーツが普及した。『帝国主義的発展や植民地主義と、スポーツの伝播とは切り離せないものであった』(P41)。そして、全地球的規模にまで近代スポーツを拡大させるイベントが誕生する。近代オリンピックである。

古代ギリシアのオリンピック競技と近代に登場したスポーツとを結び付けようとする動きは一九世紀から盛んになる。一つには『スポーツが普及し、教育にスポーツを採り入れ心身の均衡を理想的な人間性と見なす傾向』(P53)の拡大、もう一つにはルネサンス以降啓蒙時代を経て一九世紀の欧州に拡大したギリシア文化への憧憬があった。またドイツはナポレオン戦争の敗北の経験から『心身を鍛錬してドイツ民族を蘇らせようとする傾向』(P54)が生まれ、英国と違いスポーツへの情熱に対して国家的要因が強かった。

この二つの潮流が結びついたところに古代オリンピックの再興という運動が巻き起こることになる。『古代ギリシアのオリンピック競技がどんなものであったかはまだ十分解明されないまま、それがスポーツを志す人類にとって牧歌的な理想のモデルのように見えた』(P55)ことで”近代スポーツの源流としての古代ギリシアのオリンピック競技”と言う伝統の創造が起きる。古代オリンピックの復興はすなわちヨーロッパの自己同一性と密接なイデオロギーであった。

教育者であったフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵はスポーツへの情熱とオリンピック再興の信念にとりつかれた人物で、一八九二年、オリンピック競技再建の計画を提唱する。スポーツへの情熱と卓越した組織力と上流階級にふさわしいコネクションを駆使して資金と賛同者を集め一八九四年にはその趣旨に賛同する人々からなる国際オリンピック委員会(後のIOC)を設立、一八九六年、アテネオリンピックの開催にこぎつける。大理石でできた古代競技場をアクロポリスの麓の建設し、一三ヵ国二九五人の選手が参加して陸上、水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの八競技四三種目が行われた。この時、紀元前四九〇年のペルシア戦争の勝利を伝える故事に倣ってマラトンからアテネまでを走る新競技「マラソン」が考案、実施された。

クーベルタン男爵は主にスポーツの重要性や身体、自律した精神、健康などについて様々な名言を吐いた人物だが、その一方で上流階級らしい保守的で差別主義的な思想の持ち主でもあった。白人男性のエリート主義を賛美し、公然と女性差別発言を行ったことでも知られており、それはクーベルタンに限らず当時のオリンピックが、平等や差別の排除や普遍主義を表向き謳いながらも、根源的に持っていた特徴でもあった。そして身体性への執着や古代ギリシア崇拝とあわせて、このような点で一九三〇年代に台頭しつつあったナチズムやファシズム、そしてナショナリズムと近代オリンピックとは非常に強い親和性があった。

近代オリンピックは古代ギリシアに倣い四年ごとに開催されることになったが、その際に聖地オリンピアに限定されていた古代とは違い、選定された都市がその都度主催することとなった。オリンピックを主催することはもちろん都市の能力を超えるものであるから自ずと国家的事業となり、国家的威信が前面に押し出されてくる。選手は国家の代表となり、スポーツを通して国家の政治的優劣を競うナショナリズムを発揮する場となっていった。それは二〇世紀初頭の対立と戦争の時代に限らず、第二次大戦後、オリンピックが拡大すればするほど東西冷戦の構図や新興独立国の威信がかかる政治文化の発露の場として変容していった。

一九三一年、IOCは一九三六年のオリンピック開催地としてベルリンを選定したが、その二年後、アドルフ・ヒトラー率いるナチスがドイツの権力を握る。ヒトラーはベルリン・オリンピックを絶好のプロパガンダの場と捉え、総力を挙げて成功に導いた。近代のドイツにおいて身体性は政治的色彩を強く帯びるようになっていた。特にナチズムの主なイデオローグたちによって一九世紀の前衛芸術に見られる身体は精神障碍者との類似で語られ、古典文化の彫刻などに見られるような筋肉的誇張を身体の美と捉える流れが主流となっていた。それはドイツ民族の自己同一性の喪失への怖れが背景にあり、反動的な身体的美観が政治的文脈で語られるようになる。

ヒトラーは映画監督レニ・リーフェンシュタールにベルリン・オリンピックの記録映画製作を依頼し、ベルリン・オリンピックを通してナチス・ドイツが理想とする身体の美しさと古典的な彫刻の美とを重ね合わせ、ナチズムの理想を神話化させることに成功した。『古典主義のモダニゼーション』(P75)であり、『映画が自ずともっている客観主義的な特性を発揮しながら、出来事を神話化し、身体的なエキサイトメント(あるいは宗教的エクスタシーというべきか)を英雄的なトーンのなかに昇華させること』(P76)に成功した。

スポーツのアメリカナイゼーションへ

イギリスにおいて普遍性を求めて上流階級の間に誕生した近代スポーツは、フランス人の手によってオリンピックを通して世界的に拡大していく過程で政治性とプロパガンダ性を帯びることになっていった。そして次の段階、アメリカにおいて消費社会に浸透していく過程でメディアとスポーツとは切っても切れない関係となり、巨大な利潤を生むビジネスとしての側面が生み出されていくことになる。スポーツのアメリカナイゼーションを通してスポーツは社会そのものを表出した存在へと変容し、その次の段階、性差の問題と向き合わざるをえなくなっていく。

ここまで書いた流れからさらに進んで、この本では引き続きアメリカナイゼーションの詳細、オリンピック以後の近代スポーツの変容とグローバリゼーションや現代的ナショナリズムへの影響、そしてスポーツを取り巻く様々な諸問題と社会、身体性などが思想史・心性史的に概観されていくので、文字通りスポーツを考えたい人にオススメの一冊となっていると思う。

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