「小さいおじさん」という都市伝説

巷では「小さいおじさん」なる「モノ」が出没しているという。

Wikipediaにはこうある。

小さいおじさん – Wikipedia

小さいおじさん(ちいさいおじさん)は、日本の都市伝説の一つ。その名の通り、中年男性風の姿の小人がいるという伝説であり、2009年頃から話題となり始めている。

目撃談によれば、「小さいおじさん」の身長は8センチメートルから20センチメートル程度[1]。窓に貼りついていた[2]、浴室にいたなどの目撃例があり[3]、道端で空き缶を運んでいた、公園の木の上にいた、などの話もある[4]。

目撃談を見る限り芸能人の間で多く目撃されテレビや雑誌などで語られることで、口伝てで広がっていったものであるようだ。Wikipediaの記述にもあるように「目撃談の大半が就寝中または夜中であることや[1]、小人の幻覚の話を精神科医が頻繁に聞かされていること」などの理由で幻覚の一種であろうとされている。レビー小体型認知症という症状がその原因ではないかとする説が挙げられているが、他にも例えば「空想上の友達」や、乖離性人格障害や離人症などで知覚される種類の何かかもしれない。が、そこの科学的な出自はわからない。

むしろ、僕が興味を惹かれるのは口承によって「小さいおじさん」という「モノ」の存在が共有されていく過程だ。「民話」と呼ばれる分野は「昔話」「伝説」「世間話」に分類されるが、「小さいおじさん」の都市伝説のような身近でおきる怪異な事件のお話は「世間話」に分類される。「世間話」とは『話し手と聴き手の生きる<いま・ここ>と連続する時と場所で起きた事件の話』(小松和彦編「妖怪学の基礎知識」P242-243)である。

『世間話の内容は、話し手と聴き手が生きている「いま」、住んでいる「ここ」とつながった時間と場所で起きた事件として話される。そしてしばしば身近な人が「現実の自分の体験である」として世間話を話す。つまり世間話に出てくる妖怪の出現する場所は、話し手と聴き手がよく知っているか、行こうと思えば行ける、あるいはかつては行くことができた場所であり、また事件の起きたとされる日時は、話し手と聴き手も経験している人生の一部であるか、そうでなくとも近しい人の生きていた、話し手や聴き手がリアリティを感じられる程度の「過去」である。』(小松和彦編「妖怪学の基礎知識」P249-250)

「小さいおじさん」の都市伝説も妖怪が登場する世間話の特徴を踏まえているように見える。大宮八幡宮や新宿御苑など話し手と聴き手が良く知っているか行こうと思えば行ける場所であるか、自宅の浴室とかマンション前のごみ捨て場、自宅ベッドなど人生の一部であり、励まされた、走って逃げた、いたずらされた、体操していた、あるいはただそこにいたなど現実の自分の体験として語られている。

『世間話で話されるのは主に怪異=コトであり、妖怪=モノではない。体験というコトが記号化されてモノとなる。つまり「怪異現象」が世間話として話されるうちにある存在のイメージが生成され、共同体での共通理解を得て「妖怪」となる。「妖怪」は、<口承>の体験が純化され、<常識>になったものだといえる。』(小松和彦編「妖怪学の基礎知識」P256)

「小さいおじさん」という「妖怪=モノ」が形成される以前の、例えば励ます声が聞こえた、お菓子がかじられていた、何か走りさる物音が聞こえたといった怪異=コトがおそらくあったのだろう。そおれがどのような経緯で「小さいおじさん」を形作っていったのかはわからないが、不思議な出来事が語られるうちにどこかでブレイクスルーがあったのだと思う。興味深いことに目撃談は芸能界に属する人々で占められているが、芸能界という若干閉じた共同体で語られるうちに「小さいおじさん」という共通理解が登場したのかもしれない。

そして芸能人というのは著しい発信力を持つ人々であるため、テレビなどで語られるうちに人々の間に広がっていくという構図なのだろう。存在が認識されれば妖怪=モノはいつでも登場する。

何故、「小さなおじさん」なのだろうか。妖怪の大きさには意味がある。妖怪はその大多数が人間より大きく描かれることが多い。それは妖怪という未知なるものへの恐怖心が背景にある。逆に小さな妖怪は人間に親和的で身近な存在として登場する。特に妖怪などに対して恐怖心が和らいだ近世以降小さな妖怪が多く登場するようになるという。「小さなおじさん」というのはまず、恐怖の対象ではなく、近しい存在として認識されているということが言えるだろう。

ではおじいさんや少年、あるいはおばさんや少女など女性ではなく何故「おじさん」なのか。よくわからないのだが、「おじさん」に対するイメージとして仕事での苦労を共有してくれそう、とか、世間知に長けているのでアドバイスをしてくれそう、といった面やいたずら好きそう、コミカル、あるいは自身と全く異質な存在であるとかかもしれないが、ある種無害な存在としてのイメージがあるのかもしれない。「おじさん」に対する何らかのイメージと「小ささ」が持つ身近さが、その怪異現象の具現化にマッチした結果として「小さいおじさん」が登場してきたのではないか、と思う。

現象が存在をイメージし、共有されていくという面白い例の一つとして「小さいおじさん」は興味深いと思った。まぁ僕が見ることは無いだろうと思うが、「小さいおじさん」よりは「ようせいさん」に慰められてみたいものではある。

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