「追跡・アメリカの思想家たち (新潮選書)」会田 弘継 著

二〇世紀アメリカを代表する十一人の思想家の生涯を丁寧に追っていくことで、現代のアメリカの政治思想を読み解こうとする評伝集。戦後保守思想の源流とされる伝統主義者ラッセル・カークに始まり、ネオコンのノーマン・ポドレッツ、キリスト教原理主義ジョン・グレシャム・メイチェン、南部農本主義リチャード・ウィーバー、ネオコンが利用した思想家レオ・シュトラウス、ジャーナリストH・L・メンケン、リベラリズムからはジョン・ロールズ、リバタリアンのロバート・ノジック、コミュニタリアンのロバート・ニスベット、保守論壇の創設者となったウィリアム・バックリー、そして最後にネオコン第二世代フランシス・フクヤマと、取り上げられるのは一部を除いてほぼ保守思想に属する人々だ。

第一章のラッセル・カークの頁を読むと、イメージ上の保守と余りに違うので驚くかもしれない。彼は、近代そのものに懐疑の目を向け、反戦と反ナショナリズムを貫いてエドマンド・バークに立ち返り、近代以前から受け継がれるモラルを模索した。進歩主義が全盛の頃であったため文字通り一から思想を組み上げ、戦後保守思想の源流と称される。後にネオコンが幅を利かせるようになっても「保守思想は少数派である」という矜持を胸に抱いていたという。また夏目漱石を深く研究した人物でもあった。

あるいはそのラッセル・カーク的米国保守本流思想に挑戦して、保守思想の中心に躍り出たネオコンの始祖の一人ノーマン・ポドレッツの評伝は壮絶だ。ユダヤ系移民の子として生まれ、貧困の中で学び、その身一つで成功を掴む。その辛い経験故に自身に成功を与えてくれた米国と、そのチャンスを与えてくれた近代が生んだ米国の伝統をこそ擁護する。

ポドレッツに代表されるネオコン第一世代の思想の特徴は「這い上がる移民世代」の「攻め入る思想」であるという。命がけのハングリー精神はしかし、保守本流の座をカークから奪い、政権中枢に食い込んでいく過程で陳腐化していく。彼は晩年「新保守主義思想は死んだ」と語っていたとも言う。ネオコンが例外主義と軍事的冒険にとりつかれ、米国政治を内から侵食して保守派と米国経済を道連れに行き詰る将来を予見していたのかもしれない。

また、キリスト教原理主義思想の父とされるジョン・グレシャム・メイチェンの生涯を読めば、キリスト教原理主義がまず知的改革運動として始まったことがわかる。一九世紀末から二〇世紀初頭のキリスト教は聖書を客観的に分析しようという自由主義神学の運動が盛んになっていた。メイチェンは進歩主義の名の下に聖書の記述が悉く否定されていく状況に危機感をもち、聖書の擁護を行った。

『「近代知」は真っ向からキリスト教信仰と対峙するものなのか。そうではないはずだ、とメイチェンはいう。近代的な思惟は、実は多くをキリスト教に負っている。であれば、聖書を擁護するのに役立つものが「かなり含まれていてよいはずだ。それがうち捨てられているのではないか」。
信仰擁護に役立つ思惟を選り分けていく「知的努力」がキリスト教会には必要だ。これまで、その努力をさぼってきた。「やりやすい仕事に流れてきた」。』(P57)

このような問題意識から原理主義運動は始まった。それがいかにして変質していったのか、そこにこそ原理主義だけでなく、現代の米国、ひいては日本の思想風景を解く鍵があるだろう。また、動かしがたい確固とした事実というものがあるはずだと考え、それを探究した点で、著者はメイチェンと似た思想家として小林秀雄を挙げている。

最後に、ジョン・ロールズの生涯についても大変興味深かった。ロールズは幼いころに自身から感染した感染症で弟二人を失い、その精神的な衝撃によって吃音障碍を患い、生涯治ることはなかったという。このエピソードを読んだとき、ロールズの言う「沈黙のヴェール」がすとんと腑に落ちた。現実的でないとよく批判される「沈黙のヴェール」だが、彼が負っていた障碍という当事者性を踏まえれば、彼が「沈黙のヴェール」という概念を想定したのもさもありなんと思うし、心を動かされた。様々な思想の中でもロールズが一番自身の考えに近しいと感じているという面も少なからずあるかもしれないが、やはり思想というのは思想家の生涯まで追体験して初めて意味があるものになってくるのだなぁと思う。

ということで、保守主義というイメージだけで捉えて批判あるいは嫌悪感を抱きがちではあるが、保守思想家を始め、様々な思想家の生涯が簡潔にまとまっているので、自身の思考に多様性や寛容さを見出す一助になる一冊であると思う。また、現代アメリカを通して現代思想へとアプローチするための入り口としてもおすすめの本だ。

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