英国の三枚舌外交と「植民地委任統治型支配」

一九一八年一〇月、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国とともに第一次世界大戦を戦ったオスマン帝国は敗れ、その後のトルコ革命でのスルタン=カリフ制の終焉とともに滅亡した。その領土はイギリス、フランスの統治下に置かれたが、この第一次大戦下でのイギリスの秘密外交が後々までの対立の火種となる。

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フサイン=マクマホン協定

一九一五年、イギリス政府駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンは第一次大戦に際して敵側であるオスマン帝国かく乱のため、メッカの太守フサイン・イブン・アリーに対しオスマン帝国への反乱を起こすこと、その際にはイギリスが支援することを提案。その見返りとして大戦後、アラブ地域(アラビア半島)の独立とパレスチナ地域でのアラブ人居住を認める書簡を交わした。このアラブ反乱の際にイギリス側工作員として暗躍したのがトマス・エドワード・ロレンス中尉――通称アラビアのロレンス――である。

サイクス=ピコ協定

一九一六年、イギリス政府は同盟国であるフランス、ロシアとともに第一次大戦後のオスマン帝国領のうち肥沃の三日月地帯(現在のシリア、イラク、レバノン、パレスチナ等)分割を定めた秘密協定を結ぶ。シリア一帯をフランス領、南メソポタミア(イラク)以南をイギリス領、パレスチナを国際管理下に置くとした。

バルフォア宣言

一九一七年、第一次大戦に対するユダヤ系金融資本の協力を得るべく、イギリスの外務大臣バルフォアがウォルター・ロスチャイルドに対してパレスチナでのユダヤ人国家の建設を約束する。

この三つの協定は文言を厳密に追うと一部地域を除いて大きな矛盾が無いものの、秘密裏で進められ、戦後明るみに出たことでユダヤ、アラブ双方から三枚舌外交として大きな非難を浴びた。これが現在のパレスチナ問題の遠因となり、およそ一世紀に渡る対立を生み出していった。

植民地委任統治型支配

第一次大戦後、国際連盟からの委任統治という形式でイギリスとフランスによる新たな植民地支配体制が中東に敷かれた。これはかつてのオスマン帝国の行政区分とも民族・宗教・文化などとも全く関係無く、英仏両者によって恣意的・人工的に引かれた区分けに基づく支配体制で「植民地委任統治型支配」と呼ばれる。

当時の委任統治体制の区分けが列強による強引な力を背景としていたことを象徴するエピソードとして、一九一九年に行われたパリ講和会議の様子を当時の日本パリ講和会議全権大使だった牧野伸顕が手記に書いている。それによると中東欧やアラブ諸国など旧オスマン・オーストリアの少数民族・関係国の『国境問題は、当事国の意見も聴き主張も聴いたけれども、最後の決定は最高会議で極めてしまって』(山内2011 P170)、講和会議最終日の条約締結の際に『初めて自分の国境がこうなったということを知った』(山内2011 P170)。当然みな異議を申し立てるが、議長であったフランス首相ジョルジュ・クレマンソーは立ち上がり『一体今度の戦争は誰が勝ったのか、即ち聯合国のお蔭で勝ったのである、吾々は決定権がある』(山内2011 P170)と一喝したという。

牧野とともに講和会議に参加していた近衛文麿はこう書いている。

『然るに虎のクレマンソーは最後に立ち上がりつつ大声叱呼して「強者の論理」を主張し、一蹴の下に小国の要求を粉砕し了(おわ)りぬ。世人の多くが今度の会議に対して抱きし正義公道に本づく世界の改造てふ期待は、巳に会議の劈頭において見事に裏切られたるを見るべし』(山内2011 P171)

この一方的な分割は地元住民の強い抵抗に遭うが、ひとたび成立すると、その区分け内での慣習を元に国民意識が醸成されていき、第二次大戦後、この人工的な行政区分がイラク、シリア、ヨルダン、レバノン、パレスチナ地域、エジプト、サウジアラビアなどそのまま国家として独立していくことで、個々の地域のナショナリズムと汎アラブ・ナショナリズムのナショナリズムの二重構造や領土問題、クルド人迫害など民族問題、パレスチナとアラブの対立、イスラム教と世俗主義の対立などあらゆる火種を生み出していくことになる。

参考書籍
山内昌之「帝国とナショナリズム (岩波現代文庫)
山内昌之「民族と国家―イスラム史の視角から (岩波新書)
塩川 伸明 「民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

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