「町田は神奈川」問題に始まる第一次多摩大戦(妄想ネタ)

『町田は神奈川』激化する関東地方・日本全国の領土問題 – NAVER まとめ

※上記まとめに影響されたただの妄想ネタ記事です。

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1.町田継承戦争と第一次町田分割

・・・かねてより神奈川県が実効支配していることを理由として領有権を主張していた町田市問題は町田市国王に横浜市出身の国王が就任したことで一気に進展を見せることになった。町田は東京都か神奈川県かをめぐる住民投票が行われ、わずか一票差で神奈川県への帰属が決定される。スムーズに町田市は神奈川県となるかに見えたが、ここで問題になったのが町田市の編入地域を巡る相模原市と横浜市の対立であった。

相模原市を中心とする県央地域連合は、相模原市橋本を終着駅とする京王相模原線の存在や町田西部を横断して建設が予定される相模原-唐木田間の小田急延伸計画、さらにブッ○○フを始めとして相模原市企業が町田駅周辺に展開している点などから県央地域への編入を主張する。これに対して横浜市は横浜線の存在、町田駅周辺が隣接する横浜市長津田、新横浜駅周辺などとの相乗効果で発展してきた歴史、さらには人の流れが町田から相模原へと流れているのではなく、相模原から町田を経由して横浜へと流れている点などを重視し、横浜地域への編入を主張した。両者一歩も譲らず、鎌倉市などが仲裁に乗り出すが両者の溝は埋まることなく帰属が決定されながらその実施がなされない膠着状態が続いた。

この町田市帰属問題に危機感を覚えていたのが町田市に隣接する小国多摩市である。町田市同様に神奈川県多摩郡に属していた歴史を持ち、町田市、稲城市にまたがる多摩ニュータウンとして町田と一心同体で発展してきたこと、橋本駅へのアクセスから神奈川人との混交が進んでいたこと、一方で町田市だけでなく府中市や八王子市など東京都への親近感も強い国民性などのため、町田市の帰趨はダイレクトに多摩市国内でも帰属問題を巻き起こす可能性を秘めていた。そこで多摩市は町田市が神奈川県に帰属することを防ぐべく八王子市に働きかけを行う。この多摩市の行動が世に言う町田継承戦争の発端となった。

日本最強の新興宗教の拠点として祭政一致の絶対王政を敷く八王子市であったから決断は迅速であった。まず秘密外交で横浜市に挟撃を持ち掛けて軍事同盟を結ぶと、秘密裏に多摩丘陵を越えて南大沢と八王子みなみ野周辺に軍を終結させる。八王子みなみ野の主力が一気に相模原市に電撃戦を仕掛け、橋本、相模原を瞬く間に陥落させた。一方南大沢の別動隊は京王相模原線の飛び地となっていた町田市多摩境を占領、さらに同盟国のはずの多摩市多摩センターにも軍を進め、京王相模原線を支配下に治めた。

同時に横浜市軍も八王子軍に呼応するかたちで町田街道から町田市に侵入、首都町田駅周辺を占領し、さらに古淵、淵野辺、矢部といった相模原市の横浜線沿線都市を攻略、占拠する。完全に虚を突かれた相模原軍は相模大野に撤退して籠城策を取り県央地域連合諸国に救援を求めたが、援軍となる厚木軍、座間軍の到着までの間に町田市は八王子、横浜両軍が完全に支配することとなり、これ以上の内紛を望まない神奈川県皇帝自らの仲介で講和が結ばれた。

町田継承戦争は和議で1)町田市は神奈川県の直轄とする2)八王子市、横浜市は占領地域のすべてを返還する3)直轄とした町田市だが、都道57号線以東を横浜地域、以西を八王子市の委任統治地域とする4)多摩市と町田市は引き続き協力関係とするため経済同盟を締結するなどが取り決められ、実質町田市は八王子市と横浜市に分割統治されることになった。

結果、相模原市北西部地域と多摩市西部地域に対する八王子市の影響が著しく増大し、特に多摩市は京王相模原線・小田急線の拠点であった多摩センター駅が八王子市の影響下に入ったことで南下が不可能となり、その活路を北進政策へ見出すことになる。これが多摩地区全土を巻き込む第一次多摩大戦へと発展するのであった。

2.第一次多摩大戦

町田継承戦争の結末に警戒心を抱いたのは多摩市だけではない。八王子市と犬猿の仲にある立川市は八王子市の覇権主義に怖れを成すようになっていた。特に今回八王子市の影響下に置かれた多摩市多摩センターは立川市、日野市、多摩市などを経由する多摩モノレールの終着駅でもあり、多摩モノレールは中央線、南武線などと並んで立川市の隆盛を支える大動脈の一つである。

そして、多摩センターを押さえた八王子の次の狙いが京王線と多摩モノレール線が交錯する日野市の高幡不動駅にあることは明白であった。日野市はすでに豊田など西半分を八王子市が実効支配しており、京王線と並列する形で伸びる多摩丘陵の尾根伝いに高幡不動目前までその勢力が及んでいた。立川市の影響力は立川駅の隣、日野市首都日野駅周辺に留まり、高幡不動駅は中立的立場であったから、高幡不動を奪われることだけは阻止する必要があった。

ここに日野市の支配権を巡って立川市は八王子市との決戦を企図することになるが、それには後背に敵を多く抱えているという状況を打開する必要がある。まず立川は北部において武蔵村山市の支配権を巡って北方騎馬民族帝国さいたま県の所沢汗国と紛争状態にあったが、一方でさいたま県は八王子市が支配する福生市、昭島市への侵攻を進めており、敵の敵は味方の論理でさいたま県に朝貢することで一時休戦を結ぶことに成功した。

問題は東部である。立川市は中央線経由で国立市、小金井市などをその傘下に治め、国分寺市を実効支配していたが、国分寺市の帰属を巡って府中市と対立関係にあった。千年以上に渡って武蔵國府があった歴史から強い(府)中華思想を持つ同市は国分寺市も武蔵國府の併設施設である武蔵国分寺があった歴史から国分寺は府中であるとしてたびたび示威行動や挑発を行い、外交的解決が困難な状況になりつつあった。また府中市は、高尾山や天皇陵など歴史的名所を抱える八王子市に親近感が強く同盟関係にあったため、対八王子戦略からも府中市を封じることが必要条件であった。

立川市は北進したい多摩市と稲城市、傘下の国立、小金井、また待ち合わせでよく間違われるなど府中に対抗意識が強い調布市を招き入れて対府中大同盟の結成に成功、多摩地区の大半を戦場とする第一次多摩大戦が勃発した。

多摩市は立川の誘いに乗り、多摩川沿岸のバーベキュー利用料利権を確実なものとするため稲城市とともに聖蹟桜ヶ丘から中河原への渡河作戦を敢行、最終的に南武線と京王線の結節点である要衝分倍河原の攻略を戦略目標として奇襲攻撃を掛ける。それに呼応して国立市軍が谷保から府中市に侵入、同じく分倍河原へと向かい、調布市軍は調布飛行場から妖怪を中心とする空挺部隊が飛び立つなど、総攻撃が開始された。

立川市軍も日野市に侵攻して高幡不動を特殊部隊が制圧、主力が万願寺から日野バイパスを通って八王子市に侵入し、八王子バイパスと交差する大和田交差点を越えて八王子市街地を対岸に臨む多摩川支流浅川の対岸に布陣して、対岸に集結する八王子市軍との決戦に備えた。しかし、後北条氏の歴史を持つ八王子軍は精強で、正面からの激突で立川市軍は少なからぬ被害を出して日野市との市境まで一時後退を余儀なくされたが、立川市軍主力の電気ビリビリの女子高生や幻想を打ち砕く男子高校生の活躍もあって一進一退のまま戦線は膠着状態になる。天然の要害である八王子が籠城戦に入ってしまうと勝機を逸するため、立川としては野戦で決着をつける必要があった。

一方で府中に侵攻した連合軍は各個撃破の憂き目にあっていた。府中市軍が誇る府中競馬場で鍛えられた騎馬部隊の機動力に翻弄されて国立軍が撤退し、府中競馬正門前付近に集結していた鉄火場に慣れた怖れ知らずの傭兵部隊が東府中付近で調布市妖怪軍と対峙し、競艇場から出撃した水軍が多摩川を渡河した多摩稲城連合軍を包囲し孤立させる。背水の陣となった多摩稲城連合軍は分倍河原古戦場付近で府中市との決戦に臨んだが、彼我の戦力差は埋められず敗走させられることになった。これが第三次分倍河原の戦いである。

対府中連合軍の敗北を知った立川軍は府中軍とさいたま軍に後背を突かれる恐れから、決死の撤退戦の末に無事退却し、第一次多摩大戦は終結した。

これらを経ての多摩の勢力は以下の通り。

八王子:八王子市、福生市、昭島市、町田市西部(京王相模原線多摩境駅、横浜線相原駅含む)、多摩市西部(小田急・京王永山、多摩センター付近含む)、日野市西部・南部(豊田と京王線沿線高幡不動付近まで)、神奈川県相模原市北西部(橋本駅まで)
立川:立川市、国立市、小金井市、武蔵村山市南部(新青梅街道以南)東大和市(玉川上水以南)、小平市(青梅街道以南)国分寺市北部(中央線以北)、日野市(日野駅周辺)
府中:府中市、調布市味の素スタジアム付近、国分寺市南部(国分寺崖線以南)、多摩市北部(多摩川中流沿岸、聖蹟桜ヶ丘付近)、稲城市多摩川沿岸
さいたま:武蔵村山市北部、小平市(青梅街道以北)、西東京市、東村山市(駅前周辺は立川)、東久留米市
武蔵野:武蔵野市、三鷹市、調布市
奥多摩:青梅市以北
神奈川:町田市南東部、相模原市南東部(相模原駅付近まで)、稲城市南部(ゴルフ場とか内陸部)
町田:町田駅前

というわけで、多摩って概ねこんなイメージなのだが(狛江は世田谷)もしかすると記憶から完全に抜けている市があるかもしれない・・・

ちなみにこの後の展開としては、多摩市が多摩川バーベキュー利権を戦争の大義名分にしたことに影響されて多摩川沿岸で紛争が頻発、ついに二子玉川を巡って川崎市が世田谷区に侵攻。世田谷区は悲願であった市への昇格を狙う独立運動の真っ最中で川崎の侵攻でブルジョワ層を中心とした民族主義に火が付き川崎、東京都を相手に独立戦争に突入、かねてから対立していた杉並区を中心とする都知事軍を三鷹・武蔵野・調布・狛江などの同盟国の支援で撃退、川崎の侵攻も退けて独立を勝ち取る。川崎は大田区へその矛先を変え蒲田は川崎、大森は川崎などと主張して小競り合いを続けた。この世田谷独立が多摩地区の民族自決の機運に火をつけて町田領土問題が再燃、多摩は神奈川とする大神奈川構想、多摩全域を東京都と考える大品川主義、多摩市も多摩の名を冠することで多摩地区は一つと考える汎多摩民族主義が勃興して府中の府中華思想や八王子、立川などの地域覇権主義との対立が不可避となり第二次多摩大戦へと突入、全面戦争で疲弊する中、ついに北方騎馬民族さいたまが南下、圧倒的パワーで次々と諸地域を蹂躙し全多摩統一して終わり、までは妄想したがさすがに長すぎるので割愛。

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