欧州のムスリム差別とオランダ「柱状化」社会の限界

内藤 正典著「イスラーム戦争の時代―暴力の連鎖をどう解くか (NHKブックス)」に欧州のムスリム差別の現状が簡単に紹介されている。

欧州にムスリムが急増したのは第二次世界大戦後のことである。欧州諸国は第二次世界大戦の戦災復興の労働力を求めて、旧植民地であったアフリカ・アラブ諸国から多くの移民を積極的に受け入れた。その数一五〇〇万人に上る。宗主国と旧植民地の間には経済格差があり、アフリカ・アラブ諸国の人々は皆英語やフランス語などを話せたため、自然と働き先として欧州に渡ることになった。

主なムスリムの出身地と行先として、イギリスへはインド、パキスタン、バングラデシュ、トルコ系キプロス人などが、フランスへはアルジェリア、チュニジア、モロッコ、セネガル、ニジェール、コートジボワール、マリなどが、オランダへはスリナム、アンティル諸島、インドネシアなどの旧植民地とともに、非植民地からのトルコ、モロッコ出身者が多い。植民地をもたなかったドイツは当初東ドイツやポーランドから労働力を受け入れていたが冷戦勃発後はまずユーゴスラヴィアから、続いてトルコからの移民が急増した。

前掲書P101によるとヨーロッパのムスリム人口は
・フランス五〇〇万人
・ドイツ三〇〇万人
・イギリス一六〇万人
・スペイン一〇〇万人
・オランダ九五万人
・イタリア八〇万人
などとなっている。

それぞれの国でそれぞれの共存の仕方があったが、二〇〇〇年代に入って欧州でイスラムフォビアが台頭し、対立と差別が表面化してきている。同書ではイギリス、オランダ、フランスの共存が破綻していく例が紹介されており、一つ一つとても興味深いが、ここではオランダの例について簡単にまとめておく。

オランダは建国以来宗教的に寛容で、カトリックとプロテスタント双方の宗教コミュニティ共存のため、各々信仰に従った宗教教育や放送局、新聞などメディアを選ぶ自由を持ち、それぞれ宗派ごとの病院や福祉施設などがある。『各々の宗教コミュニティに属する人々は、その信仰に従って生きる自由を保証された』(内藤P112)。このオランダの宗教コミュニティを単位として権利が認められる体制を「柱状化」と呼ぶ。カトリック、プロテスタントの両宗教コミュニティとともに非宗教コミュニティも同様に権利が認められている。この権利は一九八三年にはヒンドゥー教やユダヤ教にも拡大され、後ムスリムも同様の権利が与えられた。

商業的発展に支えられた歴史から、オランダは無宗教的なリベラル層が多い社会でもある。彼らは宗教的伝統から自由であることを選び、富裕層が多い。逆に宗教コミュニティに属することを望む人々は庶民が多く、また無宗教層でもリベラルと違い社会主義の影響下にある人々は労働者が多い。つまり、「柱状化」を前提とするオランダの社会は表向きコミュニティごとにフラットであるが、実際はリベラル層が上位にあり、下位にそれぞれの宗教コミュニティが並ぶという構造になっている。ソフトドラッグや同性結婚など個人の自由を重視するリベラルな政策が認められているのはこのようなリベラル層の意向を強く反映した結果である。

また、カトリックやプロテスタントは世俗化が進み、両者について言えば実質宗教コミュニティの枠は融解しつつあった。そのような中でムスリムはむしろ宗教コミュニティの強化を希望していたから、ムスリムコミュニティはオランダ社会で徐々に目立つ存在となっていく。それでも基本的にオランダの共存は宗教コミュニティ同士相互不干渉が原則になっており、九〇年代まではそれほどの問題は起きなかった。しかし、二〇〇一年九月十一日の米国同時多発テロで状況が一変する。

9.11を境にして、オランダではムスリム移民に対する暴動やモスクへの放火などの暴力事件が急増する。コミュニティ同士の不干渉は他のコミュニティに対する無理解・無関心と表裏一体で、同時多発テロ前後のイスラーム教徒に対する様々な報道がそこに偏見と敵意を植え付けることになった。

『イスラーム主義者の過激派によるテロが頻発する現状に対して、リベラルなオランダ人たちは、イスラームという宗教が本質的に不寛容だと思い込んで、敵意を表に出すようになった。つまり、オランダ的な文脈で解釈すると、ムスリムが不寛容だから、寛容の精神を重んじるオランダ人が反発していることになる。』(内藤P121-122)

二〇〇二年にビム・フォルタウィンという政治家が率いる政党ビム・フォルタウィン・リストがイスラムフォビアな言動で総選挙で一気に第二党に躍進、同党はすぐに分裂して少数政党に転落するが、二〇〇五年、入れ替わるようにヘイルト・ウィルダース率いる自由党が同じくイスラムフォビア的言動で人気となり、政権を左右するほどの影響力を議会で持つようになる。それを支えるのが寛容を自任するリベラルな人々だ。他者への無理解を前提として寛容の名の下に排除を行う捻じれた状態が生み出されていった。

『オランダの場合、問題がたいへん厄介なのは、ムスリムに敵対する人びとは、自分たちが不寛容に陥っていることを認識できない点にある。長い間、「寛容」ということばを呪文のように繰り返してきた社会がもつ落とし穴である。』(内藤P125)

社会学者ジェラード・デランティ「コミュニティ グローバル化と社会理論の変容」によると現在では「柱状化」は多文化主義のモデルとしてはみなされていない。

『このモデルは宗教集団にのみ適用されるもので、エスニック集団は適用外と考えられたため、限界があった。さらに、この言葉が示すように、それは、社会の主な「支柱」――すなわち主な教会――の間の折衝手段となることを目的としていたのであり、影響力の少ない集団に対処する上では無効であった。今日、宗教によっては規定されないエスニック集団が増加した結果、世俗性の強い社会における適切な多文化主義モデルとは、もはやみなされなくなってきている。』(デランティP135)

元々オランダの「柱状化」モデルは一時的に理想的な共存体制をもたらしたかに見えたが、世俗化が進む社会において制度的限界を迎えつつあったのであり、その限界がイスラムフォビアとして露呈してしまったというのが現状であるようだ。つまり、オランダについて言えば多文化主義の行き詰まりではなく、新たな現実に即した共存を可能とする多文化主義のモデルを模索する必要性に直面しているということになるのだろう。

イギリスやフランス、さらにはドイツについても同様で、それぞれ既存の体制の行き詰まりが、二〇〇〇年代以降の反イスラーム的風潮に乗ってムスリム排除や迫害の形で露呈している。そのどれもが近代以降「寛容」の名の下に社会を作ってきたはずの国々だ。雇用差別や経済格差、不況、社会的不公正、無理解や無関心、国民国家の限界そういった様々な問題が「敵」を生むことで怒りや不安のはけ口を作ろうとしているという構造的問題の一側面として現在の欧州におけるムスリム迫害は捉えられる。そして、それは欧州だけに留まらず、テロリズムを生み、アラブ世界をさらなる混乱へと導く世界的にも大きな問題になりうる、という点で非常に重要な問題だと思う。

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