「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ」桜井 英治 著

日本社会に贈与の慣行が深く根付き、一気に浸透したのが中世であるという。その日本の贈与はどのようなものだったのか。市場経済の拡大と結びついた贈与経済の姿を、史料を丁寧に読み込むことで明らかにしていく一冊。

マルセル・モースと彼の「贈与論」を研究したモーリス・ゴドリエによると「贈与」をめぐっては次の四つの義務が発生するという。

1) 贈り物を与える義務(提供の義務)
2) それを受ける義務(受容の義務)
3) お返しの義務(返礼の義務)
4) 神々や神々を代表する人間へ贈与する義務(神にたいする贈与の義務)

贈与慣行は古代から現代に到るまであらゆる社会に見られるが、大なり小なり上記の四つの義務が存在している。贈り物を受けたらそのお返しをせねばならないという意識が芽生えるし、贈り物を贈られた際に受け取らないようにするのは若干の後ろめたさを覚えるものでもある。例えば上司や同僚、取引先など仕事上の関係を円滑に進めるためであったり、年末年始の挨拶や冠婚葬祭など何かを贈る必要性に知らず知らず絡め取られてもいる。世俗化した現代ではかなり形式的になっているが、それでも神に対する贈与の義務は残っているし、それは歴史が古くなると存在感を増していく。

税制の成立過程を遡ると贈与が税に転換した例が多く見られるという。例えば古代の税制として有名な租庸調はいずれも神に対する贈与の義務が朝廷への税へと転換したものだ。また、室町時代、諸大名から将軍への贈与として守護出銭と呼ばれる臨時の幕府の支出負担があったが、室町幕府の官僚機構が整備されるに従って、諸大名の意志による贈与から幕府が強制的に徴収する税制へと転換していった。

人に対する贈与や神に対する贈与が税制を始め慣行化していく過程は日本における贈与経済の成立と同時であり、それは中世の急激な市場経済の浸透によるものだった。日本の市場経済の急拡大は中国の王朝交代が最大の要因になっている。一二七六年、南宋が滅亡し元朝が成立すると、元は宋銭の使用を禁止し全て紙幣へと切り替えを行った。その結果大量の宋銭が近隣のアジア諸国に流通し、日本にも大量に流入、日本において年貢の代銭納制の成立を招き、銭納の普及は商品経済や信用経済の発達をもたらす。(「いかにして中世日本で市場経済が浸透したか?」)

このような急激な市場経済の発達は市場経済と隣接する贈与経済の著しい発達を促した。特に一四世紀から一五世紀にかけての日本の贈与経済は世界的に見ても特異な贈与経済が異常発達した社会であったという。

八朔と呼ばれる八月の贈与シーズンの前月七月になると人々は贈答品の調達に奔走する。多くは商品市場から調達して相手に贈られた。その贈られた贈答品、特に美術品や装飾品などは売却されるか新たな贈答品へと再利用された。また馬など生き物が贈られることが多かったがこの場合も多くは売却され、その馬を購入した人が新たな贈答品として再利用された。例として足利義満が祇園社に贈与した馬はすぐに京都高倉の博労に売却されているという。

また贈答品が多く集まる寺社は贈与シーズンになると寄進物で溢れかえることになるが、その場合寺社主催のオークションも開かれていたという。武士や貴族、領主らはこのオークションに参加して商品を落札し、それを贈答品として再利用する。贈られた側もさらに他者への贈答品として再々利用したり売却したり、果ては諸外国への輸出品として使われることもあったという。また将軍への贈答品もすぐに他の寺社への寄進や朝廷への上納・配下の武士への下賜として再利用されるなど、中世においては朝廷、寺社、武士、商人、庶民を巻き込んだ一大贈答品市場が展開していた。

贈与が極端に発達すると、贈与を受ける、送ることが義務化するため、贈与のシーズンになると毎年の贈与の計画をみな立てて数値管理するようになり、いわば贈与のルーティン化が見られるようになった。この当時、会計技術も非常に発達したという。それはやがて贈与の財政化をもたらす。室町幕府八代将軍義政は頻繁に寺院への御成を行い贈与を受けて集金活動を行っていた。毎年寺院から受けた贈与品は売却されるかあるいはそのまま別の寺院に贈られて現金化される。その贈られた寺院は改修が必要であるなど様々な理由で幕府からの財政支出が必要な寺院で、財政の大部分を贈与品でまかなうことが慣例化していた。

贈与品の現金化が財政上必須であるため、贈られた美術品や装飾品などが幾らの価値があるのかという目利きの能力が重要になる。このころ将軍の側近として能阿弥・芸阿弥・相阿弥ら同胞衆と呼ばれる献物や売物、将軍家の宝物の鑑定、目利きを専門に行う集団が台頭した。文化の様々な面に秀でた教養を持つ彼らには時宗の僧侶が多かったという。

この贈与経済は一五世紀末になるとさらに先鋭化する。贈与品の市場が著しく発展した結果、贈答品で重要なのは使用価値ではなく交換価値になっていったわけで、そうすると贈られた品は幾らの価値があるのか、幾らの価値のものをいくつ送るのかがわかれば、商品が無くとも贈与が完了することになる。贈与の際に「折紙」と呼ばれる目録をつけて贈られるのが常だったが、次第に商品無しで「折紙」だけが贈られるようになる。「折紙」だけ先に贈って商品は後で送るという訳だ。その「折紙」は商品の到着を待たずに他者にさらに贈与されたり売却されたりする。AさんがBさんに「折紙」だけを贈り、Bさんは商品の到着を待たずにCさんに贈った場合、AさんはCさんに商品を渡すことになる。

この「折紙」だけ送るという仕組みは非常に便利で、贈答品を準備する資金が当面用意できずとも贈与が完了できるという利点があった。贈与の義務を履行する必要性の強さが生んだ信用経済と贈与経済の融合だ。折紙が贈られてから一年以上商品の受け渡しが履行されない例もあったという。特に室町時代も中期以降になると幕府も武士も貴族も金銭的に困窮しはじめており、書面だけで贈与が完了するこの仕組みは画期的であった。

市場経済の極端な進展が贈与経済の異常な発達をもたらし、やがてすべてが流動化していった。借金の証文、官職、社会的地位、主従関係、土地などありとあらゆるものが交換可能な財として流通しはじめる。特に借金の証文という債権の流通はやがて決定的な危機をもたらすことになった。

中世は非常に人間関係が希薄な時代であったという。主従関係や友人関係はもちろん、家族も血縁的な関係よりはイエの枠組みが重視される擬制的な関係でしかなく、『中世の人びとは人間の個性というものをあまり信じていなかった』(P172)という。ありとあらゆるものが譲渡可能となるということは人間関係の希薄化をもたらすことになる。社会がそれに耐えられなくなったのだろうか。歯止めが利かなくなったこの極端に功利的な贈与慣行は十六世紀初頭、破綻を迎えることになる。

『一五世紀から一六世紀初頭にかけての変化とは、このような中世的な観念体系が解体し、パーソナルな関係の復活・巻き返しがおきたということである。事実これ以後、物件や債権は、以前ほどには流通しなくなる。』(P172)

中世は非常に功利主義的な時代であったという。その功利主義的精神にドライブされた市場経済と贈与経済の並行的発達が世界的に見ても特異な贈与経済の極端な発達をもたらし、その極端さゆえに市場経済と贈与経済とが同時に危機に陥ったということらしい。

『贈与経済と市場経済と功利主義の三者は一〇〇年の蜜月をともにすごしたのち、贈与経済だけがそこから身を引いたのである。贈与には、それを越えられると贈与であることをやめざるをえなくなるような”譲れぬ一線”というものがあって、それが最後の最後のところで功利主義との訣別を避けがたいものにしたのだろう。』(P174)

この本を読むことで、中世という特異な時代に発達した贈与経済の姿から、現代を見る視点を確保できるのではないかと思う。現代においてなぜこれほど贈与が慣行として成立しながら、贈与が忌避されるのか、なぜ贈与という行為に義務感を覚えるのか、そこには贈与という行為の一筋縄ではいかない姿がある。その一方で、インターネットの未来やコミュニティの問題から財政や福祉といった政治的問題まで贈与という概念の理解があることで深い考察が可能となるわけで、贈与の新しい形を模索するという点でも色々と示唆に富んでおり、この本はその面でも様々な発見があるだろう。

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