「境界の発生」赤坂 憲雄 著

共同体があるところ境界が発生する。共同体は内と外を区別することによって成立するからだ。その共同体の周縁には内なる世界と外の世界とをわける中間地帯となる領域が広がる。いくつもの点となる領域が集合することでその境界はやがて線へと変化する。線はかつて中間地帯としてかなりボリュームがある領域があったが、やがてその領域は消失してただ一本の線として地図上に描かれることになっていった。

この本は民俗学者赤坂憲雄の一九八〇年代後半の境界に関する論文をまとめたものだ。彼は当初異人や境界についての考察からそのキャリアを始めたという。それは彼が書いているように一九八〇年代当時が『境界が溶けてゆく時代』として強く認識されていたからだろう。一九七〇年代後半に始まるあらゆる面での世界の一体化・流動化は境界の喪失、均質化する世界という認識を覚えさせるに足りるものだったのだろう。それゆえにかつて存在したと想像される境界の始原への考察へと著者の情熱が向いたのだと思う。

昔々、共同体が内と外とを分けることで誕生する。その境界となる領域はチマタと呼ばれて内外を分けるだけではなく、交通や交易の場としても機能する。チマタでは古くから市が開かれ、その市では男女の交歓の場としても存在した。あるいは相対立する他の共同体との戦争の庭でもある。または処刑場であったり、葬送の場であるなど生と死を分かつ賽の河原でもあった。また、神に祈り、神を迎え、その為にときにいけにえを捧げる天界との通路としても観念されていたし、得体のしれない妖怪や異形の者たちが出没する地帯でもあった。その境界は支配者である王の権力が及ぶ境界でもある。

同書に解説を寄せている小松和彦氏が簡潔にまとめている。

『著者が幻視した「境界の発生」の現場とは、いま少し具体的にいうと、次のようになるだろう。何処からかやってきた者が、携えていた杖を大地に立てる。そこが境界となって、「こちら側」と「向こう側」に異なる共同体が形成される。杖を立てた者は、いずれかの側の所有者=支配者=原初の王となり、それが転倒(=外部への排除)すれば「まつろわぬ者」(=鬼)となる。したがって、境界は、異質なる者が交流・交感あるいは交換をおこなう場であり、さらには闘争する場なのであり、境界の風景は、市の光景であり、戦場の光景であり、託宣や魔除けの光景であり、葬送や供犠の光景などとして思い描かれる。そしてそこに、内部/外部、生/死、現世/他界、人間/神、男/女、等々をめぐる境界の物語群が紡ぎ出され、反復され続けるのである。』

杖については、境界が定められた伝説として日本だけでなく諸国に見られる杖立伝説のことである。もちろん、実際に杖を打ち立てることであらゆる境界が定められたわけではないし、事実としてそのようなことがあったかも怪しい。ただ、イメージとして人々の間に巡幸する王が訪れて杖を打ち立てることで境界が定まったとする伝説が語り継がれていることが例示されている。

時代背景として「均質化する世界」という認識の中で境界という始原を求める試みとして様々な論考がなされている本だが、特に今読むと面白いのは、均質化が進んだ結果として、イメージとして打ち消されたはずの境界というものを、むしろ強く人々が求めるようになってきているという現代社会の諸相と妙にシンクロする点だ。かつて存在していた境界というものを、境界の存在が覆い隠され、消失しようとする中で、再び人々がその存在を観念しはじめているという、現代の状況に様々な示唆を与える内容になっていると思う。

著者は『境界が失われるとき、世界はいやおうなしに変容を強いられる』として妖怪や魔性の者たちなど闇やカオスの喪失の帰結として『ひたすらのっぺりと明るい均質感に浸されている』としているが、その先にもう一度境界の誕生の時代が訪れようとしている。この十年は世界が強いられるさらなる「いやおうなしの変容」という時代に位置づけられるのかもしれない。
もちろん、現在直面する境界を巡る諸問題になんら具体的な解決策を与えるという趣旨のものではないが、境界というものを観念的に考察し、思いを馳せるのに良い入口となる本だろう。序章にあたる鎌倉の散策の記録も非常に面白くて、私が散策するとき大いに参考にさせてもらった。また人身御供譚の構造分析もとても面白い。

再び同書の小松和彦氏の解説より、この一文が今読んでみることに強い価値があることを図らずもアピールすることになっていると思う。

『民俗学とは、始原の時を説きながらも、じつは文化の黄昏を、終末を見据える学問なのではないか。かれはそう問いかけているのだ。』

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