「イスラームとは何か (講談社現代新書)」小杉 泰 著

イスラームとは何か (講談社現代新書)
小杉 泰
講談社
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仏教、キリスト教とともに世界三大宗教の一つに数えられるイスラム教だが、実際は「イスラーム」と教を付けないのが正しい。聖典クルアーンには「まことに神の御許の教えはイスラームである」(小杉P10「イムラーン家章」第一九節)、井筒俊彦訳岩波文庫「コーラン 上 (岩波文庫 青 813-1)」では「アッラーの御目よりすれば、真の宗教はただ一つイスラームあるのみ。」(井筒P75「イムラーン一家」第一九節)と、教えそのものがイスラームと名付けられていることによる。

小杉泰著「イスラームとは何か」は、その「イスラーム」について、その歴史、教義、文化、社会など多岐に渡って解説された、一九九四年の発売から二十年近くロングセラーになっているイスラーム入門書の定番の一冊である。これと井筒俊彦著「イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)」の二冊を入門の入門書としてオススメしたい。

預言者ムハンマドの生涯は抜群に面白い。全ての罪を背負って従容と死を受け入れたイエス、王族としての地位も家族も財産も捨ててひたすら悟りの道を求め続けた釈迦などと違い、ムハンマドの生涯は戦争に次ぐ戦争の果てにイスラーム共同体を打ち立てアラビア半島を統一するという、まるで乱世の覇者のような波瀾万丈さだ。

ムハンマドが生きた六~七世紀頃のアラビア半島の商業都市マッカは東ローマ帝国とペルシア帝国の対立でシルクロードが分断されたことによって欧州と中国・インドとの東西交易の中継点として栄えていた。遊牧民クライシュ族がその交易を一手に握ってマッカを支配していたが、急速な商業の発展は富裕な大商人とそれ以外の人々との貧富の格差を拡大させ、利己主義的な風潮が蔓延し、困窮者は放置され、社会的なモラルが衰退して、社会秩序が揺らぎつつあった。このムハンマド以前の時代を「無明時代(ジャーヒリーヤ)」と呼ぶ。

西暦五七〇年、ムハンマドはそのクライシュ族の二〇ある支族の一つハーシム家当主アブドゥル・ムッタリブの十番目の子アブドッラーの子として生まれた。しかし父アブドッラーはムハンマドが生まれる直前に死に、母アーミナも彼が六歳の時に病没、祖父である当主アブドゥル・ムッタリブと伯父アブー・ターリブの庇護下で彼は成長し、長じて商人として才覚を発揮する。この伯父アブー・ターリブが非常に立派な人物で、後にムハンマドが啓示を受けてイスラームを広めていく過程で彼に対する迫害が強まったとき、アブー・ターリブ自身は生涯イスラームの教えに帰依することは無かったが、ハーシム家の当主としてムハンマドを他の支族の攻撃から守りぬいた。

ムハンマドは二五歳で富裕な女商人ハディージャにその才覚と人柄を認められ、結婚を求められる。十五歳年上の姉さん女房である彼女はムハンマドの良き理解者として彼の商売を支え、多くの子をもうけて家庭を取り仕切り、後にムハンマドが啓示を受けたとき、恐れおののくムハンマドを勇気づけて最初の信徒(ムスリム)となる。

西暦六一〇年、ムハンマドが四〇歳のとき、この頃彼はマッカ郊外の洞窟で瞑想することを日課としていたが、ある日突然「読め!」という叫び声に続いて彼に啓示が降りる。妻ハディージャの支えもあって彼はその神の言葉を広める預言者としての活動に身を捧げることを決意し、マッカで布教活動を始めるが、その教えは格差社会を弾劾し、部族主義の弊害を訴え、貧困者の救済を進めようとする、いわば当時の社会の矛盾を鋭く突く社会変革活動としての特徴を強く持っていたから、富裕層や既得権益層から強く迫害を受けることになった。この頃、政治家として卓越した手腕を持ち後に初代カリフとしてイスラーム共同体の礎を築く股肱の臣アブー・バクルや、後に軍事司令官としてイスラーム共同体の拡大を支える勇将アリー(第四代カリフ)らが信徒となっている。

さらにムハンマド一派迫害はクライシュ族内での主導権争いの側面も持ち、迫害の先頭に立っていたのがハーシム家と対立するマフズーム家のアブー・ジャフルであった。彼はムハンマドと同い年ということもあり、執拗にムハンマドを付け狙った。

西暦六一九年、マッカの他の支族による攻撃からひたすらムハンマドを保護し続けたハーシム家当主アブー・ターリブが亡くなり、さらにそれに続けて最愛の妻ハディージャも病没すると、いよいよムハンマドへの迫害が先鋭化していく。ついにムハンマドに対して暗殺者が差し向けられ、間一髪で危機を乗り切ると、ムハンマド一派はマッカからの脱出を余儀なくされる。

西暦六二二年、後世「聖遷(ヒジュラ)」と呼ばれる逃避行が始まった。移住先となったのがマッカの北北西約三〇〇キロに位置する都市ヤスリブ(後のマディーナ)で、ムハンマドらの布教活動が奏功しイスラームに改宗する人々が多かったが、ハズラジ族とアウス族という二つの部族の対立が激化して抗争状態になっていた。そこでヤスリブの人々はムハンマドをその抗争の調停者として招くこととなり、ムハンマドはメッカから命からがら脱出してその両勢力の対立を収め、ヤスリブの統治者としてイスラーム共同体(ウンマ)の建設に着手する。このとき相互扶助や安全保障、多宗教共存、統治体制などを取り決めた「マディーナ憲章」という協定が結ばれ、ここに歴史上初のイスラーム国家が誕生した。

六二四年、暗殺に失敗してムハンマドの脱出からイスラーム国家の建国を許してしまったマッカは、脅威となったムハンマド一派を倒すべくついに軍を差し向ける。一〇〇〇名余りのマッカ軍を率いるのはムハンマドの宿敵アブー・ジャフル。対するマディーナはムハンマド自ら三〇〇名余りの信徒を率いてバドルの地で対陣する。ここでムハンマドは卓越した軍事司令官であることを証明した。機動力を生かして要衝を押さえ、マッカ軍の補給路を断ち、大軍に奢るマッカ軍に対し、敗戦イコール滅亡という後がないムハンマド軍が必死の攻撃を敢行、三倍のマッカ軍を撃破し、敵将アブー・ジャフルを敗死させて勝利を収めた(バドルの戦い)。

以後、ムハンマドの死までに七四回の戦争が繰り返され、うちムハンマド自ら軍を率いること二七回であったという。幾度もの戦争を繰り返して西暦六三〇年、イスラーム軍はマッカを占領、ムハンマドが没する六三二年には史上初めてアラビア半島が統一され、死後も後を継いだアブー・バクルが反乱を鎮圧して制度を整え、その信仰と体制を盤石なものとすると、六五一年ササン朝ペルシア滅亡、七一一年西ゴート王国滅亡によりイベリア半島征服、七五一年タラス河畔の戦いで唐軍撃破と破竹の勢いで勢力を拡大し、以降千年以上もの間イスラームはユーラシア大陸の大半に多大な影響を及ぼすことになる。

このように、ムハンマドの生涯は抜群の面白さで、ぜひ映画化・大河ドラマ化を期待したいところではあるのだが諸般の事情でごにょごにょであるし、間違ってアニメ化でもされようものならムハンマド最晩年の最愛の幼な妻アーイシャちゃん(結婚時九歳)や末娘ファーティマちゃんの薄い本が大量に出回って有明と日本大使館と外交関係が大変なことになるので色々自重していただきたい。

さて、ムハンマドの生涯を長々と紹介したのはまさにこのムハンマドの生涯にこそイスラームを理解する要点が詰まっているからだ。二つほど挙げるなら、まず第一に、格差や貧困、利己主義にたいする社会変革運動として登場したということ。ゆえに社会的公正や平等、多宗教共存がその教えとなる。サラフィー主義とはじめとする過激なイスラーム主義が登場した一九六〇年代のアラブ諸国は世俗政権による上からの経済改革が中心であったが、それはさらなる経済格差と貧困層の登場を招いていた。世俗化する社会、広がる格差、閉塞感漂う社会的不公正、イスラームに対する弾圧などは当時の社会を「無明時代(ジャーヒリーヤ)」と重ねあわせることになった。そのような不平等な社会に対して戦うことこそイスラームの本義と多くの人々が考えたがゆえに実力行使を前提とするイスラーム主義の台頭を招いた。

第二に、イスラームは成立時から政治体制・社会制度と一体のものとして生まれたということ。キリスト教と違い、イスラームは国家の存在を包含する。宗教の精神を法として定め、それを社会に実体化させるために、社会の諸制度や日々の生活についてまでを大きく含んで取り決めている。精神性の反映であるイスラーム法を実現させ、信仰生活を無事に送るための権力や武力、制度の存在を重視する。ゆえに文字通りの政教一致となる。「現実的な力の必要性が宗教理念の中に最初から含み込まれている」(P266)訳で、いわば当時としては最も合理的で先進的な宗教の形態であったと言えるだろう。

しかし、この完成された宗教としての特徴が逆に近代においてイスラームを袋小路に追いやることにもなった。

『現実主義的と言われる所以であるが、逆に現実が宗教にはね返る、という側面も持っている。一七世紀の終わりからオスマン帝国の勢威が衰え始め、西洋諸国の圧迫が始まった時、さらにそれが進行して植民地化が始まった時、深刻な事態が生じた。力の衰えは、イスラームの衰えを意味しかねない。なぜ、黄金期の状態が維持できなくなったのか。何かが間違っている。何が?』(P266)

この深刻で真摯な問いに対する様々な試みが文字通り現代まで続くイスラーム世界の苦難の歴史を形作ることになる。ある者はムハンマドの時代へと帰ろうと原理原則を重視し、ある者はイスラームから国家を分離してナショナリズムと民族主義を訴え、ある者はイスラームの教えを捨てて欧化を唱え・・・数多の試みはことごとく血で贖われた。

多くの人々がイスラームから遠く離れた生活を送っているであろう日本に住む我々は「イスラームとは何か」という単純で素朴な問いにまず向かい合うことで、イスラームを含む国際社会とは何かというマクロな視点、そして世界の中の私というミクロな視点とを獲得し、異質な他者を理解するという試みの第一歩になると思う。

そのような点でこの本はイスラームについてその教義や歴史だけでなく文化や習慣にいたるまで様々な面の包括的な解説になっており、非常に有益な一冊だと思う。

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