「東京の地霊(ゲニウス・ロキ)」鈴木 博之 著

僕が東京の様々な場所を熱心に歩いて回るようになったのは上京してから二年ほど経った頃だろうか。仕事は激しく忙しくて、かつ会社以外の社会的つながりは全くないという状況で、激務と喧噪からのかりそめの逃避に職場近くの神社や公園を探すようになり、すぐにその場所と散歩という行為に心の安寧と切実な救済を求め始める。

何故この神社は、これほど私の心を安らかにしてくれるのか?何故この公園を訪れると力がみなぎるのだろうか?そのような疑問から自身が訪れたその「場所」の概要や由来、歴史やそれに関る人々のことを調べ始める。それは、様々な関係性から切断された当時の僕にとって、その「場所」と繋がりたいという無自覚な欲求であったのだろうと思う。

「場所」には歴史があり、人々の営みがあり、それが堆積して形作られた、精神がある。その『「場所」の精神』という曖昧な何かに触れることが出来てはじめて、僕は他者と繋がっているという実感を覚えることが出来る。

「ゲニウス・ロキ」という言葉がある。ラテン語で人を守護する精霊もしくは精気という意味の「ゲニウス」と場所・土地を意味する「ロコス」を原型とした「ロキ」が組み合わさったもので「土地に対する守護の霊」を意味する。十八世紀英国で建築学のパースペクティブとしてゲニウス・ロキという言葉が注目され『単なる土地の物理的な形状に由来する可能性だけではなく、その土地のもつ文化的・歴史的・社会的な背景と性格を読み解く要素』(P12)を含んだ重要な概念と考えられるようになった。

この「ゲニウス・ロキ」を「地霊」と訳したのが本書の著者で建築学者である鈴木博之氏で、日本の『土地と精神性との関係を意識する伝統』(P11)を踏まえて『「英雄の出づるところ地勢よし」とか「人傑地霊」という』(P11)用例から「地霊」と訳したのだという。「ゲニウス・ロキ(地霊)」とは『目に見えない潜在的構造を解読しようとする先鋭的な概念』(P12)であり『土地を一つのテクストと見る考え方』(P12)である。

もう少し引用しておこう。

『わたくしの方法といえるものがあるとするなら、それは鳥瞰的に都市を見るのではなく、個別的に都市を見ること、ケース・ヒストリー(個別史・事例史)的に都市を見ること、であった。また、都市を見るときに、それを「空間」的に把握するのではなく、「場所」的に把握したいということも念頭にあった。ゲニウス・ロキ(地霊)という概念は、そうした方法にぴったりだったのである。』(P281)

あるいは著者は『私は空間的に都市を歩きまわるのと同時に、せまい場所にこだわって、時間的にもその場所を動きまわってみたいのだ。その結果、東京という都市を、ミクロなポリティックス、小さな物語として、いままでとは少しだけ違ったかたちで』(P15-16)把握することを目的としているともいう。

これらの説明で「ゲニウス・ロキ(地霊)」という概念が把握できるだろうか?僕が求めていたのは文字通りこの概念であり、この方法なのだなと非常に腑に落ちたものだった。確かに形が無いものであり、ある種の信仰心やスピリチュアリティ的な観念にも似た、意味や物語性を重視する見方だが、そのために徹底的に事例を積み重ねる手法でもある。その土地に関るヒト・モノ・カネに始まり行政や制度、文献、建築、歴史、社会背景など多岐に渡ってアプローチしていくことで、その土地に積み重なる「雰囲気」「精神」を読み解こうとする。
本書では東京の十三の場所についてその土地土地の「ゲニウス・ロキ(地霊)」が探究されている。

例えば第一章で紹介されているのが港区六本木一丁目の林野庁宿舎跡地である。現在は「六本木ファーストビル」「ラフォーレミュージアム六本木」などがある一帯だが、もともと江戸時代には岩手盛岡の南部屋敷があった。維新後に皇族賜邸地となって静寛院宮邸地となる。静寛院宮は公武合体の象徴として徳川家茂に嫁いだ皇女和宮のことだ。夫の家茂が若くして死に、幕府滅亡すると和宮は一旦京都に戻る。しかし、入れ替わりに明治天皇は東京へと移り、明治七年、彼女もそれにあわせて東京に戻り、この地を下賜されて住んだ。しかし、移住後わずか三年で病死しその波乱の生涯を閉じた。

その後、皇族賜邸地として住む者が不在のままだったが、明治三十九年、新設された東久邇宮家の当主稔彦がここに移り住んだ。しかし、大正九年、彼はフランス留学に出たまま昭和二年まで帰らず、昭和二十年四月、邸宅は空襲で焼失、以後高輪の御用邸に移り住んで、敗戦直後一時首相を務めた後、皇籍離脱。戦後は新興宗教の教祖となるなど一貫してトラブルメーカー的な波乱の生涯を送った。

この地は、戦後国有地となり、昭和二十三年には林野庁の施設が建てられることになるが、これに東久邇宮稔彦は異を唱えて昭和二十四年、訴訟を提起する。この土地は自分が明治天皇第九皇女と婚約の際に明治天皇から下賜されたもので、高輪移住後に、自分が知らぬ間に林野局の事務官が勝手に国に返納したもので、所有権は自分にある、という趣旨のものだ。

この皇室財産としての土地が国有地に編入される過程として、まず戦前の林野行政について、二つの組織が存在していた。一つが農商務省山林局、もう一つが宮内省帝室林野局で、帝室林野局は明治憲法下で皇室自治の原則の下、独自運営されていた。この二つが終戦後の昭和二十二年、統合されて農林省外局である林野局が発足、昭和二十四年に林野庁に昇格して現在に至る。この林野庁発足前後の過程で新憲法下において皇室財産も独自運営ではなく国に属することとなり、旧皇族の当事者もあずかり知らぬ間に国有地に編入されていたというものであった。

しかし林野行政は戦後行き詰まりを見せ、特に材木自由化などを経てからの山林の放置は戦後日本の最大級の失政の一つに数えられる。その結果、林野庁の力は著しく弱まり、中曽根政権下の新自由主義政策の一環で、この土地は民間に払い下げられることとなり、不動産バブルで勢いに乗っていた森ビルグループがこの一帯一万二千平方メートルを購入、九三年に六本木ファーストビルやラフォーレミュージアム六本木などが建てられて現在に至る。

同書出版の時点(一九九〇年)では森ビルに払い下げられた、という段階までの経緯であるが、失意のうちに若くしてこの世を去った皇女和宮、明治体制の幕引きとして日本の敗戦処理を担当することとなったいわゆる貧乏くじを引かされた皇族東久邇宮、日本の衰退を象徴する林野行政を担当した林野庁という、この土地の主人たちの変遷に、この土地の精神(ゲニウス・ロキ)が見え隠れする。もちろん不動産バブル崩壊後の惨状の象徴としての森ビルグループを重ねあわせてもよい。江戸幕府の終わり、明治政府の終わり、戦後日本の終わり、そしてバブル経済の終わり、と様々な終わりを象徴する物語がこの土地の来し方に見え隠れする、というわけだ。

もちろん、このような大きな物語を見ることも出来るし、そうではなくもっと狭い場所へのこだわりを持って歩けば、とても小さな個人的な土地の物語に出会うことも出来る。そのような、場所場所に隠されたささやかな人の営み、歴史の大河をそっと垣間見て、自己と空間・時間との目に見えないつながりを意識するアプローチとして「ゲニウス・ロキ(地霊)」という概念・手法は、とても面白いのではないか、と思う。特に僕にとっては都市を歩く際に体に染みついたパースペクティブなので、歴史や人の営みを調べずにははいられない、という種類のものだ。

ゆえに、この本は、僕の様々な思いと共鳴し合う、あくまで個人的にだが、とても興味深く面白い一冊なのであります。

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