葉山の三浦氏の支城「旗立山鐙摺城址」

逗子駅から三浦半島西岸を南下すると、葉山マリーナの手前付近、江戸中期から続く老舗日本料理店日影茶屋の目の前に小さく盛り上がった丘陵地がある。この高さ二三メートルの小さな高台は旗立山と呼ばれ、平安時代末期から鎌倉時代にかけてこの一帯を支配した豪族三浦氏の支城の一つ、鐙摺城があった場所だと伝わっている。

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旗立山外見

旗立山外見

山頂への階段

山頂への階段

この鉄製の階段を上っていくと、山道になるが、階段上に整備されて歩きやすい。

旗立山の猫
と猫さんが山頂への道を守っているが、案内してくれるかのように上へ上へと走っていく。

旗立山の猫
猫さんその二。前者の猫さんは首輪が無かったがこちらは首輪があるので近くの飼い猫の憩いのひとときだろうか。

旗立山山頂への道
こっちこいよ!って猫さんの声が聞こえる。

旗立山山頂
山頂に着いたぜ、とドヤ顔しているかのような態度がかわいい。

旗立山山頂

旗立山山頂

山頂は約六〇〇平方メートルの広場になっている。

三浦氏は平安後期、十一世紀ごろからこの三浦半島一帯を支配下に治めるようになった有力武士で、桓武平氏の傍流である平忠道が三浦姓を名乗り、その子で前九年の役で活躍した為通、後三年の役で活躍した為継がその始まりとされているが、系統がそれほど明らかになっている訳ではない。有名なのは源義朝に従って保元平治の乱を戦い、頼朝の挙兵に際していち早く兵を挙げて衣笠城で討死した三浦義明で、彼の次男で三浦家を継いだ義澄、長男の孫で和田姓を名乗った義盛ともに源頼朝に従って鎌倉幕府創業に貢献して重臣としてその名を知られた。

三浦義明は居城衣笠城を中心として三浦半島全体に広く自身の一族を配して支配権を確立していた。葉山には森戸館に六男重行、山口館に義澄の子有綱、長柄館に有力家人長江義景を置き、対鎌倉の最重要拠点としていた。前回のエントリ(「葉山の総鎮守、森戸神社と森戸海岸」)の繰り返しになるが、三浦半島西岸の逗子・葉山付近は三浦半島全体に睨みを利かせ、かつ鎌倉を牽制することの出来る戦略的要衝であった。またこの鐙摺城は海沿いの鎌倉と三浦半島南端とを結ぶ街道三崎道と三崎道と三浦半島東岸へと繋がる浦賀道の分岐点のすぐ近くに位置しており、小さな丘陵地ではあるが戦略的重要性は非常に高い。また、現在は山側はすぐ目の前を県道が通っているが、県道を挟んだ東側尾根地帯に複数の平場址があり、かなり広範囲まで含んだ城であったと考えられている。

この城が活躍することになるのは治承四年(一一八〇)、源頼朝挙兵に際してのことだ。挙兵して石橋山で平家方の大庭・伊東軍と対峙する頼朝軍に呼応して、三浦義明らはこの付近から兵三百を乗せた船で一気に鎌倉の由比ヶ浜に上陸、鎌倉攻略を企図した(由比ヶ浜の戦い)。だが鎌倉を守る畠山重忠軍に追い返され、時を同じくして頼朝軍も石橋山で敗退、畠山軍が一気に鐙摺城に迫ってきた。三浦義澄はここに旗を立てて百余騎で迎え撃ったという。源平盛衰記にいわく『東に懸りてあぶずりに垣盾(かいだて)し、両方より差挟み取籠めて打て』との命を義澄は下した。この高台とその背後にそびえる尾根全体に兵を配して海から上陸してくる畠山軍を挟撃しようとたらしい。しかしながら防ぎきれず衣笠城に退き、のちの衣笠城合戦での三浦義明の壮烈な討死へと繋がる。

鐙摺(あぶずり)の名の由来は、ここを通った頼朝の鎧が摺れて音がした、という故事からだと伝わっている。

伊東祐親供養塔

伊東祐親供養塔

山頂の一角には石を積みあげた供養塔が建てられている。これはやはり平安末期の武将伊東祐親のものだと伝わる。伊東祐親は現在の静岡県伊東市の豪族で、平治の乱の敗戦によって伊豆に流刑となった源頼朝の監視役であった。しかし、娘の八重姫が頼朝との間に子をもうけてしまい、その子を殺害。頼朝挙兵に際しても頼朝と敵対し石橋山合戦では頼朝軍を撃破、しかし巻き返した頼朝軍に富士川の戦い後に捕えられ、長女の夫であった三浦義澄に預けられた。義澄の助命嘆願もあって処罰が先送りされ、養和二年(一一八二)、北条政子の懐妊に際して恩赦が下されることになったが、祐親は「以前の行いを恥じる」として自害した。三浦家に預けられた伊東祐親が最晩年を送ったのがこの鐙摺の付近だとも言われているが定かではない。そのような縁で、この旗立山山頂の一角にささやかな供養塔が設けられている。

山頂からの眺め

旗立山山頂からの眺め
山頂からは葉山港と相模湾、また近くの葉山マリーナのヨットたちを眺めることが出来、なかなかの景色だ。

ささやかな規模の城址だが平安末期・鎌倉時代、特に治承・寿永の乱好きな人にはたまらないスポットだろう。というか、猫さんには会えるし、歴史への長い脳内旅行はできるし、良い景色だしで非常に俺得スポットだったです。

参考書籍
・葉山郷土史研究会編著「郷土誌葉山第8号」P37
・五味文彦・本郷和人編著「現代語訳吾妻鏡〈1〉頼朝の挙兵」P100-101

大きな地図で見る
横須賀線逗子駅からバスで「鐙摺」下車

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