鎌倉時代の富と権力を独占した特権的支配層まとめ

以下細川 重男著「鎌倉幕府の滅亡 (歴史文化ライブラリー)」を中心に簡単にまとめ。

源頼朝を頂点として鎌倉殿の下での御家人の平等を原則として誕生した鎌倉幕府であったが、熾烈な権力闘争の末、北条氏が執権として君臨するようになると、平等であったはずの御家人の関係は、幕府の政治・訴訟体制が整備されていく過程でピラミッド型の構造へと変質し、幕府要職、領地、財を独占する特権的支配者層が登場することになった。

建長元年(一二四九)、第五代執権北条時頼は、第三代執権北条泰時政権下で整備された執権・連署・評定衆(武士・文士一一名)の寄合衆合議制の下に、訴訟の予備審理を行う引付衆(創設時五名、のち一五名に拡大)を創設した。引付衆は評定衆の上位者を頭人として評定衆・引付衆・奉行人の体制が三方設置(のち五方に拡大)され、西国統治機関である「六波羅探題」にも執権・連署に相当する北方・南方探題が創設され、その下に同様の引付衆体制が整備、この執権・連署・評定衆、引付衆の幕府中枢は北条氏をはじめとする特定の一門によって独占されていく。

1)北条氏
得宗家、名越家、極楽寺流諸家、政村流諸家、伊具家、金沢家、時房流諸家
2)文士系
長井(大江)氏、摂津氏、二階堂氏、三善氏、清原氏
3)武士系(外様)
安達・大曾禰氏、佐々木氏、宇都宮氏、後藤氏
4)武士系(御内人)
平・長崎氏、諏訪氏、尾藤氏、工藤氏、安東氏

全御家人の二・五%でしかない彼らは要職を独占するとともに、訴訟制度を利用して、一般の御家人から領土を合法的に奪うことで所領を集積、その多くは海運・陸運など物流網の要衝となっている場所で、いずれも日本中に分散しており、代官を派遣して、それを各特権層は鎌倉から遠隔経営・管理していた。それらの所領から得られる富は莫大なもので、特権的支配層と一般の御家人との格差は鎌倉後期には拡大する一方となっていた。

その特権的支配層の特徴をまとめると以下の通り。

1)鎌倉時代後期に幕府役職を基準として形成された鎌倉幕府独自の家格秩序において引付衆以上の幕府中央要職を世襲した家系。
2)中央集権的組織であった鎌倉幕府において中央要職を独占したことから、鎌倉幕府の支配層となった政治的特権集団。
3)都市鎌倉以外に拠点とすべき地を持たず、都市鎌倉に集住していた都市領主。
4)幕府高官たることによって、所領を集積・維持し、全国的に散在する所領を経営していた。
5)それぞれの家の家政運営は独立採算制でおこなわれていたが、政治的にも経済的にもその特権性は鎌倉幕府に依存することによって維持されていた。(細川P100-101)

鎌倉殿の前の平等を原則としながら、その実極端な格差社会であり、熾烈な粛清と権力闘争を経て貴族にも模される特権的支配層が権力構造を侵食するという点で鎌倉幕府は『旧ソ連に代表されるかつての旧現存社会主義国家が「社会主義」「プロレタリアート独裁」を標榜しながら、その内部に「ノーメンクラツーラ」「赤い貴族」などと称される国家および党官僚からなる支配階級を生み出したことときわめてよく似ている』(細川P61)のだという。

『「中央要職を世襲によって排他的に独占することを政治的・経済的基盤として、政権を支配し、都市に集住しながら全国的に散在する所領を経営する」という特権的支配層の性格は、王朝貴族と同質のものである。』(細川P101-102)

武家政権として始まった鎌倉幕府はその変容の過程で彼らが打倒したはずの王朝国家と同質の体制となっていたのだった。やがて北条氏に仕えていたはずの御内人を中心とした特権的支配層が霜月騒動、嘉元の乱の二つの内紛を経て北条得宗家・執権すらその影響下に置いて完全に幕府を籠絡、その矛盾が極まった時、鎌倉幕府は滅亡へと転げ落ちていくことになる。

参考書籍
・細川 重男著「鎌倉幕府の滅亡 (歴史文化ライブラリー)
・奥富 敬之著「鎌倉 北条一族
・本郷 和人著「武士から王へ―お上の物語 (ちくま新書)
・福島 金治著「安達泰盛と鎌倉幕府―霜月騒動とその周辺 (有隣新書)

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