二度目は笑劇の憲法改正論議

最近の何故だかよくわからないが選挙の争点の一つとして急浮上してきている憲法改正論議を見ていると、明治憲法制定前の議論に思いっきりプレイバックしているような印象を受ける。

当時、憲法制定を巡っては「天賦人権論」と「神権論」の対立があり、その対立の構図を自由主義者として知られたジャーナリストの末広鉄腸は政治風刺小説「二十三年未来記」を著して未来予想的に描いた。

一八八六年五月に『朝野新聞』の末広重恭(鉄腸)が著した『二十三年未来記』で描かれる最初の議会の想像図は、「天賦人権論」の議員と「神権論」の議員とが憲法体制をめぐって正面衝突し、大乱闘の裡に散会するというものであった。その際末広が想像した「天賦人権論」の議員は「人民ノ意志ニ従テ之ヲ制定」すべきであるから、「二三有司の手ニオイテ起草」された現行憲法の下では、「国会ハ誠ニ有名無実」である。最初の議会がなすべきことは、「歳出入ノ議案ヲ調査スルガゴトキハ跡廻シトナシ、先ズ憲法改正ノ委員ヲ設ケンコト」である、と発言する。
(中略)
これに対して「神権論」の議員は、「神聖ニシテ犯ス可ラザル天皇陛下ノ欽定ニ出デタル憲法」の下では、国会は「内閣ヨリ下付セラレタル議案ヲ討議」できるに過ぎず、「憲法ヲ起廃スルの自由」などはないのだ、「我邦ニハ固有ノ国体アリ、・・・故に国会の設立アルモ、一国ノ主権ハ依然トシテ皇室ニ在リ。決シテ米仏諸国ノゴトキ民主政治ノ主義ヲ以テ政体トナス者ト同一視スベカラズ」と反論する。(坂野P64-65)

この末広の描いた未来予想は議会開設時、中江兆民ら「天賦人権論」者と黒田清隆を代表する「超然主義」の「神権論」者、さらに徳富蘇峰ら「議院内閣制論」者の三つ巴の対立として現実のものとなる。

結局のところ「天賦人権論」に基づく立憲主義を憲法の基礎としつつも「議院内閣制」は退けられ「神権論」的な「超然主義」が実質的に優越することで明治憲法は空洞化していくことになる。「天皇機関説」は明治憲法下で「議会主義」を位置づけようとする試みであったが、それも挫折し、かくして明治憲法は権力の中心を裏付ける理念を持たず、また暴走した際に歯止めがきかない欠陥憲法として、多大な犠牲とともにその役割を終えた。

明治憲法体制は、権力集中による独裁者を生み出したことによって崩壊したのではなく、意思決定中枢を欠くために、指導者がお互いに手詰まり状況に陥り、事態打開のための決断が遅れ、積み重なった既成事実が選択肢を狭めるなかで、対米開戦といった破滅的決定を下し、崩壊へと突き進んだのである。(飯尾P17)

その明治憲法の反省から生み出されたのが現行憲法という位置づけになっている、はずだ。

現在の問題は憲法が定めた政治構造、行政機構の空洞化が進んだことで、山積する諸般の深刻極まる課題に対し「意思決定中枢を欠くために、指導者がお互いに手詰まり状況に陥り、事態打開のための決断が遅れ、積み重なった既成事実が選択肢を狭」めようとしつつあるという点にある。致命的なほどに。だ・か・ら、憲法改正論議とかで誤魔化さずに、今そこにある危機をいかに打開するかの現実的な方策と実行に向けた道筋をこそメインに訴えていただきたい。

「我が国固有の文化」という虚構に基づく「天賦人権説」の排除によって生まれた明治憲法体制の失敗に学び、欧州で生まれた自由主義を日本の歴史の中に位置づけていく不断の努力こそ歴史と伝統を重んじる保守だと思うのだが、何やってんだか、としか思わない今日この頃。自主憲法制定とか植民地から独立したてor内戦終結したてor独裁体制打破したてほやほやの小国みたいなトピックは日本の喫緊の課題ではない。エジプトかアフガニスタンでやってろ。

参考書籍
・坂野 潤治 著「近代日本の国家構想―1871‐1936 (岩波現代文庫)
・飯尾 潤 著「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)
・杉原 泰雄 著「人権の歴史 (岩波市民大学 人間の歴史を考える 7)

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