愛と赦しの全体主義的宗教共同体アーミッシュについて

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1)アーミッシュの誕生前史

アーミッシュの信仰は十六世紀、宗教改革時に登場した「アナバプテスト(再洗礼派)」に遡る。一五三三年、神聖ローマ帝国の都市ミュンスターの人々が幼児洗礼を拒否し成人した者たちが自らの意志で洗礼を授けあい聖書の記述を厳格に守る共同体を構成しようとするアナバプテスト運動を起こす。この運動はすなわち、当時の社会体制――生まれながらにその都市や共同体に所属しなければならない――への反逆を意味したから、政治権力はもちろんカトリックだけではなくプロテスタント主流派からも激しく迫害を受けた。

十六世紀を通じて殉教した西欧のキリスト教徒の四〇~六〇%が再洗礼派の人々であったと言われる。一五四〇年代にメノ・シモンズという指導者に率いられて再洗礼派の主流派となる「メノナイト(メノー派)」が登場、一六九三年には社会に妥協的なメノナイトに反発する形でヤーコブ・アマンを指導者とする一派が分派。彼らは指導者アマンの名にちなみアーミッシュと呼ばれた。

一八世紀以降、メノナイト、アーミッシュとも多くが欧州での迫害を逃れ、新大陸へと移住。近代化の波の中でメノナイトはその信仰アナバプティズムを社会の変化と調和させる道を選んだが、アーミッシュはむしろ農村地域にとどまって伝統的習慣を守り、近代化する社会から一定の距離を置くことで信仰を堅持する道を選んだ。といってもアーミッシュが一枚岩であったわけではなく、一九一〇年代にはピーチー教会派、一九六〇年代にはニューオーダー・アーミッシュがそれぞれ分派し、伝統的慣習の堅持を続ける「オールドオーダー・アーミッシュ」に対して、より柔軟に変化を受け入れたコミュニティを形成している。ここでは、そのオールドオーダー・アーミッシュをアーミッシュと呼ぶ。

アーミッシュの生活の基礎となるのは男性家長を中心とする最大七五人にもなる拡大家族と、その拡大家族二五~四〇世帯からなる宗教的拠点である教区からなり、その教区に一人の監督、二、三人の牧師、一人の執事(相互扶助の調整役)がいて宗教共同体として自治を行っており、その教区が複数集まって居住区を構成する。米国、カナダの各州に三七五の居住区があり、およそ二二万人のアーミッシュがいる。

2)三つの成長要因「爆発的人口増加、文化的抵抗、文化的妥協」

アーミッシュの人々がその古い生活様式を守り続けることを可能としているのが爆発的な人口増加であった。二〇世紀初頭、アーミッシュの人口は五〇〇〇人足らずであったが、二〇年で二倍のペースで増え続け、上記の通り、現在二二万人を超える。その成長は、一家族当たりの子供の数が六・六人という高い出生率が支えている。

産児制限をしないこと、出産に関しては近代医学を全面的に受け入れていること、出産にかかる費用もアーミッシュの助産婦は米国の病院でかかる費用の五分の一以下でしかなく、大家族制を取っているので子育ても数十人規模の家族や隣人で全面的に協力しあう体制が整っていること、成人した子供たちも「ルムシュプリンガ」と呼ばれるアーミッシュ信仰への帰依の選択期間を経ても九五%がアーミッシュの信仰を続けていることなどが挙げられる。

驚異的な出生率に支えられた人口増加とともにアーミッシュのオールドオーダーな生活の持続を可能としているのが文化的抵抗と文化的妥協という二つの相反する特徴である。

彼らは血塗られた迫害の歴史から外の世界に対する強い警戒心と不信感がある。殉教者を聖人に列し、その信仰を守るため外部の世界との間に一定の線を引き、外部の文化の受け入れに際しても慎重に指導者たちの間で協議が行われる。「オールドオーダー」と呼ばれる伝統的慣習・生活様式を堅持する彼らの基本となっているのが「現世からの離脱」という聖書の教えを日常生活に適用した「オルドヌング(規律)」の存在である。

よく知られているように自動車の所有、電気の利用、テレビ、パソコン、携帯電話の所有、高等教育、軍隊への入隊などは教区によって若干の違いはあれど、概ね禁止され、服装も個人の好みではなく集団的秩序への服従を表すためオルドヌングによって決められている。ただし、決して彼らはテクノロジーそのものを悪と考えているのではなく、必要なテクノロジーを取捨選択することでその利用が共同体の秩序を揺るがさないよう距離の取り方を模索しているものであり、自身が積極的に利用するわけではない。例えば公共の電線から電気を引くのは禁止しているが、自家発電はOKであるとか、ドライバーを雇って必要最低限自動車で移動する、などである。

その線引きは必ずしも合理的なものではないが、そこに貫かれている原則は共同体を壊さないかどうかということだ。例えばアーミッシュの社会において電話は公衆電話のみで家庭には無いが、これは電話を使った会話が対面の交流から音声による会話だけを切り離したものであり、直接的な対話の機会を喪失させる恐れから禁止されているものだ。対面での交流はアーミッシュの社会で非常に重視される。一方で農業など事業に関する外部との連絡や、医師、事故や葬式などの緊急時にはどうしても電話が必要な場合がある。この理由から町の各所に地域住人たちが共同で利用する公衆のコミュニティ電話が設置されている。

同じようにコンピュータやテレビ、ラジオ、インターネット、家電製品などもそれらを利用することで生じる様々な情報の流入が共同体の崩壊に繋がると考えられているために利用が禁止され、これらの利用へと繋がる電気の利用もまた制限が加えられている。公共の電気は一一〇ボルトで、これを使えば上記のテクノロジーは全て利用できてしまう。そのため一二ボルトのバッテリーやディーゼルによる自家発電だけが認められ、その用途も農業や建築など限定的使用に限られている。このような戒律による電気の使用制限は風力発電や空気圧、油圧などを使った動力技術の開発へと結びつき、効率的な農業・手工業が行われているという。

外部の世界の様々な情報や文化、テクノロジーを共同体の崩壊に結び付かないように選択的に受け入れ、決して変化を拒否するのではなく、漸進的に、外部の変化とは比較にならないほどゆっくりとしたペースでの変化にとどめるように共同体の在り様をコントロールしようとしているといえる。

3)アーミッシュの精神

このような外部の価値を受け入れない不自由さが持続可能となっているのは、その教義にある。アーミッシュの信仰の根本理念は「ゲラーセンハイト(服従)」で、自己の放棄と神の意志の受容を満足して受け入れることを第一の美徳とする。彼らはイエス・キリストの自己犠牲を範として、新約聖書の中でも特に「マタイによる福音書」を重視し、イエス・キリストが歩んだ道に従うことを理想とする。子供のころから利己的な意志を捨てることを教えられ、個人主義は否定され、服従と謙虚さ、他者との調和こそが繰り返し教えられる。高等教育は傲慢やうぬぼれを、大規模な商業行為は高慢さを、芸術は芸術家を目立たせることに繋がるとして悪いことと考えられる。

服従の美徳ゆえに戦うこともまた彼らは拒絶する。良心的兵役拒否を実行し、訴訟は一切行わない。また、再洗礼派の人々の殉教者の言行録である「血塗られた劇場、あるいは無抵抗なキリスト教徒の鏡となった殉教者たち(通称「殉教者の鏡」)」は新約聖書と共に重視され、抵抗せず、報復せず、敵を愛し、死を受け入れることで自己を放棄する手本とされた。イエス・キリストが従容と死したように、「弟子の道」の実践者であるアーミッシュは、現代でもたびたび見舞われるアーミッシュを被害者とする悲惨な事件に際しても、被害者となった人々は大人から子供に至るまで進んで死を受け入れ、その加害者に対して赦しを実践し、そのたびに外部の社会に驚きをもたらしている。

その信仰が共同体への服従を求めているが、それは教会や聖職者などの世俗の権威への服従を必ずしも意味しない。アーミッシュの社会には教会は存在せず、宗教的シンボルを拒絶し、各家庭が信仰の中心となる。男性の家長が宗教指導者となって日々の信仰が実践され、監督らはくじで選ばれて数十家族からなる教区の相互扶助の調整などにあたる。各教区間で協力関係にある複数の教区は所属教派として独自の慣習を持つが、中心的な組織は存在せず、最終的な決定権は個々の教区や家庭にある。

宗教共同体であるがゆえに非常に強い相互扶助、助け合いのネットワークが作られ、家族同士や大家族の隅々まで頻繁に交流がなされ、支え合って生活をしている。そのためホームレスも失業者も、あるいは政府の補助で生活する人も存在せず、概ね徹底した非暴力主義に貫かれた平和で安全な社会である、と捉えられている。

4)アーミッシュの陰の面

一方で、彼らの社会は決して外部の人々が想像するようなユートピアではない。その家族は家父長的で女性は従属する立場にある。宗教指導者も家長である男性が兼ねるため社会で女性がリーダーシップを発揮することは無い。ただしリーダーシップを発揮することが社会の美徳ではないという点は考慮する必要がある。一方でアーミッシュの学校の教師や、農業と並ぶアーミッシュの主要産業であるアーミッシュキルトなどの手工芸品を製作する家内工業は女性が担っている。

出産などで近代医療を受け入れていると言っても、原則、近代医療は忌避され、自然治癒や代替医療が重視される。特にホメオパシー療法は少なからずみられるという。一九九四年に妻を殺害したアーミッシュの男性は以前から統合失調症の診断を受けていたが、同じ教区の人々が彼に対して処方箋に代わってホメオパシー療法を受ける手伝いをしていた。また、近親結婚の多さとの関係は不明だが、アーミッシュの子供たち五〇〇人に一人の割合で脳性小児麻痺に似たグルタル酸尿症が見られるほか、複数の遺伝病があり、医師によって障碍児の診療施設が作られている。

「オルドヌング(規律)」は教区ごとに定められるが、その規律を違反してしまう者に対してはその罪を告白し悔い改める機会が与えられる。しかし、罪を告白しないとき、アーミッシュのメンバーとの交流や行動を制限される「シャイニング(忌避)」と呼ばれる恥辱が与えられることになる。それは謙虚さ、共同体への服従を喚起し、教会へ復帰を促す目的で行われるもので、『「コリントの信徒への手紙一」第五章「不道徳な人々との交際」』を根拠にしている。『外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を取り除き去りなさい。」(新約コリント信徒への手紙一 第五章 十三節)』の言葉通り、シャイニングを経ても悔い改めないときには追放される。愛の実践として行われる行為だが、この習慣は外部からは過酷にうつるため批難されることが多い。

5)全体主義社会としてのアーミッシュコミュニティ

アーミッシュの共同体は中世欧州にルーツを持つ古い習慣を堅持した旧き良き世界に見えるが、実質的には二〇世紀初頭、特に大恐慌前後の一九三〇年代に誕生したものだ。丁度同時期、米国では進歩主義が躍進し、ニューディール政策を後押しするリベラル派が伸長、保守派が衰退し、一九一〇年代に誕生したキリスト教原理主義が進化論論争の敗退で閉鎖性を強めていた。これら古い宗教共同体は科学的な価値観に対して大なり小なり閉鎖的な共同体を作り始め、その一環としてアーミッシュも閉鎖性を強めていった。ただし、他の原理主義や宗教保守派と違い、外部に対する攻撃性を一切持つことなく、赦しと自己犠牲を理念として、質素な生活を送り、爆発的な人口増加と文化流入のコントロールによって、独自の文化を作り上げた。

その文化は、およそ全体主義的と言って良い。敵を憎まず質素で愛と非暴力と自己犠牲の精神に貫かれた全体主義社会である。社会学者ジェラード・デランティは著書「コミュニティ グローバル化と社会理論の変容」で、社会が国家の機能を代替するか、国家が社会を吸収することで創出される統制された道徳的全体性を持つ共同体を「トータル・コミュニティ」と呼び、前者の例としてアーミッシュを、後者の例として全体主義国家を挙げている。

『自由な個人主義を絶対とする外の世界に対して、アーミッシュは、個よりも全体を上位に置く。しかも、モノやエネルギーの転換と情報の取得をコントロールしているので、彼らの社会は全体主義に陥る危険性を孕んでいる。にもかかわらず、アーミッシュがファシズムから無縁でありえるのは、絶対平和主義や謙遜、簡素などの生活信条以外に、非膨張主義ともいえる彼らの組織原理によるところが大きい。強固な信念をもっていながら、他者に対して宗教的勧誘を行わない彼らの世界は、数百人規模の小さなコミュニティで閉じている。したがって、彼らにとって、全体とは、家族であり、コミュニティである。』(ドナルド・B・クレイビル「アーミッシュの昨日・今日・明日」杉原利治P156)

知的な宗教革新運動として二〇世紀初頭に始まったキリスト教原理主義運動の帰結が、リベラリズムへの敵意とポピュリズムと融合しての宗教右派という巨大なモンスターを生んだわけだが、それと同時期に誕生したアーミッシュの共同体はむしろ、個人主義を前提とする近代社会のオルタナティブとして、赦し、平和主義、謙虚さ、相互扶助、コミュニティといった、外部世界が求めても求め得ぬものを実践しつつ、最も対極的な社会である米国社会に内包される形で存在し、成長し続けている。

基本的に彼らは高等教育を否定しているので外部の人々と比べると無知であり、情報もテクノロジーも外部のものを取捨選択して受け入れているに過ぎないから、外部の我々の世界があってこそ存続し得ている面が大いにあるが、一方で、その社会は数百名の教区という小規模な自律組織の組み合わせで構成されており、全体の人口規模は拡大しても、基礎となる組織自体は肥大化せず、中央の統制が無いが理念を共有する分散型ネットワーク社会として機能しており、それが、アーミッシュ社会が持続可能なものとなっている要因の一つとされる。

個よりも全体を上位に置くことに美意識を覚える価値観への憧憬が、個人主義社会に対する閉塞感やオルタナティブの中に登場するのは歴史の必然であるのだが、一方で個人主義が育んだその発展形としてのナルシシズムが行き着く先にあるものが個を超越した全体との調和という、全体主義的な観念と親和性を持つこともまた歴史の必然であろう。アーミッシュのコミュニティの例はそれがあくまで補完的にしか存在しえないことをあらわしている反面、近代が生んだ表裏一体の落とし子であることも示唆している。現代社会を考える上で、このジレンマには正面から向かい合う必要があると思う。

アーミッシュについてはもう一つ書く予定。

参考書籍
・ドナルド・B・クレイビル著「アーミッシュの昨日・今日・明日
・ドナルド・B・クレイビル著「アーミッシュの謎―宗教・社会・生活
・ドナルド・B・クレイビル著「アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)
・ジェラード・デランティ著「コミュニティ グローバル化と社会理論の変容
・R・W・スクリブナー、C・スコット・ディクスン著「ドイツ宗教改革 (ヨーロッパ史入門)
・小田垣雅也「キリスト教の歴史 (講談社学術文庫)
・日本聖書協会「小型聖書 – 新共同訳

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