ボスニア内戦でボスニア軍司令官になった三人の組織犯罪者

一連のユーゴスラヴィア内戦では、前回紹介したアルカンのような組織犯罪者が次々と私兵を率いて民兵を組織し戦争を泥沼化させたが、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国では恒常的に不足する兵力を補うため正規軍にまでマフィア・ギャング出身者が参入していた。

ボスニア内戦において、クロアチア人勢力やセルビア人勢力と違いボスニア政府は諸外国の支援を一切頼りに出来なかったため、開戦前から武器弾薬等の調達には裏社会の犯罪ネットワークに頼らざるを得ず、警察や地方自治体と犯罪組織との共存・融合が各地で進んだ。ボスニア内戦が始まると、マフィアや犯罪組織は武装して政府軍の一部隊として機能し始める。

ボスニア内戦下の犯罪者上がりのボスニア軍指導者として代表的な人物は三人いる。

ユスフ・プラズィナは幼いころから非行を繰り返して十代後半で裏社会の中で頭角を現し、強請(ゆすり)を得意としていたことから債権回収会社を立ち上げて三〇〇人近い部下を抱えていた。内戦が始まると部下を武装させてサラエボ防衛戦で活躍、市街戦での戦闘能力が高く、鉄壁の防衛体制を誇り三〇〇〇人以上の兵力を動かした。

プラズィナとともにサラエボ防衛に活躍したのがムシャン・トパロヴィチで、ロック歌手という表の顔とは別に、サラエボ旧市街を根拠地として密輸や恐喝を行うギャング団のリーダーだった。かつてイゼトベゴヴィチ大統領が政治犯として収監されていたときの刑務所仲間だったことから、地域防衛隊地区司令官の一人に任命され、一九九二年にボスニア政府軍第一軍第一〇山岳旅団の旅団長に昇進しボスニア軍最精鋭部隊として様々な作戦に参加した。

ラミズ・デラリッチはトパロヴッチの盟友で同じく組織犯罪者としての経歴を持ち、与党「民主行動党」傘下の準軍事組織「愛国同盟」に私兵を率いて参加していた。九二年四月からのサラエボの市街戦はそもそもデラリッチの私兵がセルビア系住民の結婚式を襲撃したことに始まると言われている。同九月、ボスニア政府軍第一軍第三山岳旅団旅団長に任命されてサラエボ防衛にあたり、最強部隊の一つに数えられた。のち、第九機械化旅団副団長。

トパロヴィチ部隊とデラリッチ部隊で悪名高いのが九三年の「グラボヴィツァ事件」である。第九機械化旅団と第一〇山岳旅団は九三年九月八日、中央ボスニア地方ヤブラニッツァから十二キロのグラボヴィツァ村に宿営したが、非協力的だったクロアチア人住民三三名を殺害、その遺体をネレトヴァ川に投げ捨てた。ボスニア人勢力による民族浄化の代表例として知られている。

また軍事司令官ではないが、イスメット・バイラモヴィチもトパロヴィチ同様にイゼトベゴヴィチ大統領の刑務所仲間で、刑務所の顔役としてイゼトベゴヴィチが服役中の面倒を見たことから内戦が勃発するとサラエボ憲兵隊司令官に抜擢、刑務所での捕虜虐待などで悪名を轟かせた。

彼らは高い戦闘力を誇りボスニア軍の中核となった一方で、犯罪組織のやり方も続けていた。市民を脅して物資・金品を徴収し、商店は上納金を強要され、人道支援物資を横流しして資金力を蓄え、犯罪ネットワークを駆使して武装をさらに強化する。政府も戦闘力強化の目的からそれを黙認し、高い戦闘力と豊富な資金力から次第に独立勢力化した。

プラズィナはイゼトベゴヴィチ大統領の指示以外は聞く耳を持たず、デラリッチ隊もトパロヴィチ隊も軍というよりは私兵として司令官の言うこと以外聞かなかった。ボスニア軍参謀本部は愛国同盟出身のセフェル・ハリロヴィチが牛耳っていたがデラリッチとトパロヴィチはハリロヴィチと組んで思うがままにふるまうようになり、これに危機感を覚えたイゼトベゴヴィチ大統領がプラズィナを参謀本部入りさせることで、それを牽制しようとした。

ところが、プラズィナは参謀本部入りしたことで増長して独断専行に手が付けられなくなり、九二年十月、大統領はついに反逆罪でプラズィナの逮捕を命じたが、これに対しプラズィナは私兵を率いて叛乱を起こし、政府軍と激しく戦闘を繰り広げ、さらにボスニアと敵対する「クロアチア人防衛評議会」の下について、ボスニア市民への攻撃や、捕虜収容所での虐待などを行った。クロアチアの庇護下にあったプラズィナだったが九三年一二月、ベルギー・ドイツ国境付近で射殺体で発見された。

やがてボスニア政府軍の体制が整うようになると旧連邦軍出身将校の発言力が増し、彼ら独立勢力化した部隊を統制下に置こうとする動きが強まり、九三年七月、トパロヴィチの副官逮捕に端を発してデラリッチ部隊とトパロヴィチ部隊が政府軍作戦司令部を占拠、イゼトベゴヴィチ大統領自ら仲裁に入るという事件が発生する。

九三年十月二六日、大統領はついに両勢力の一掃を決断。「トレベヴィチ作戦」と名付けられた秘密作戦で三〇〇〇名の兵力で第十旅団司令部を急襲、デラリッチは逮捕、トパロヴィチは殺害されることで、犯罪者上がりの独立勢力化した軍司令官たちは一掃されることとなった。

しかし、変わらず武器調達は犯罪者ネットワークに多くを頼っており、非正規の民兵組織の力も衰えることなく重視されていた。その事情はボスニアだけでなくクロアチア、セルビアも同様であり、民兵たちは各政府の後ろ盾を得て略奪や殺戮を合法的に行い、バルカン半島全土に悲劇をまき散らしていった。

犯罪者が略奪や虐殺行為を行うために愛国心を訴えていたのか、愛国心に満ちた人々が略奪や虐殺に手を染めていたのかの境界線は非常に曖昧で、その曖昧さの例として、内戦初期のボスニア政府軍の構成は象徴的であった。

参考書籍
・佐原徹哉著「ボスニア内戦 [国際社会と現代史] (国際社会と現代史)」P300-302,P365-375

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