体罰の思い出とスタンフォード監獄実験

教師による体罰のニュースが報じられない日は無いほどに途切れることなく目に入ってくる。僕が通った福岡市内の高校も日常的に教師たちが体罰を行使することが特徴的な学校であった。僕は今四〇歳なので二五年ほど前の話だ。その体罰の思い出を少し断片的に書いてみようと思う。とはいえ、四半世紀も昔のことだし、あまり覚えておきたくない話でもあるせいか、記憶はかなり断片的であるので、あまり筋道は通っていない。

僕が入学した時、設立して十年にも満たない新設校であったせいだろうか、いわゆる偏差値は低いが生徒の大学進学・就職率を高めることに学校挙げて取り組んでいる学校であった。ゆえに他校に追いつけ追い越せとばかりに、生徒指導にも熱意があり、その指導の一環として体罰という名の教師による暴行行為が日常的に行われていた。

校則は厳格で、登下校の際に制帽を被らなければ問答無用で坊主、整髪料、パーマ、毛染めの類は一切禁止で破ったらこれまた坊主であった。また髪の毛の長さは男女ともオンザ眉毛というやつで、えりあし、もみあげも刈り上げていなければ毎月のように行われる頭髪検査で罰則が与えられる。まぁ、よくある不条理な校則を守ることに意義があるとする学校で、これら多様な校則を破ったら、もれなく鉄拳制裁が行われた。

主に生徒指導主任の数学教師A、体育教師のB,C、あと何故か書道教師Dが率先して”指導”を行っていたように記憶している。

体育教師Bは角刈りで綺麗な剃りこみが入って眉毛を細く切りそろえた、俳優で言うと永遠の切られ役福本清三氏によく似た細身の風貌で、非常に威圧感があった。

Bは不定期的に生徒で満員な通学バスに生徒の制服と同じ色の服を着て忍び込み、制帽を被っていない生徒を発見して鉄拳制裁を加える、あるいは街中の巡回など例えは悪いが秘密警察的な仕事を好んでいた。また、整髪料やパーマをかけているかどうかを遠くから見抜く達人でもあったと噂されていた。彼の手で丸坊主だったりこっぴどく殴られたりする生徒が毎月のようにいた。例え何らやましい所が無くとも、いかにして彼の近くに近づかないかが、生徒たちが学校生活を送る上で注意しなければならない事項であった。

体育教師Cはラグビー部の顧問で、創部したての部を県予選のそこそこのレベルまで送り出したことで評価されていたらしいが、サイボーグ的な風貌と体格で威圧感があった。例えるなら一回り細いヤン・スエ(Gメン75香港空手シリーズの)みたいな雰囲気だった。有り余るパワーで口より先に手が出るので話は通じない。

或る日のこと、休み時間に僕のクラスメート(ラグビー部員)が机の上に軽くよりかかって、友人と談笑していた。丁度廊下を通りかかったCはそれを見かけて、彼の胸倉を捕まえると頭を差し出させ、「手で殴ると俺が痛いからな」と笑いながら、彼の頭に肘鉄を喰らわせた。Cが去ったあと、クラスメートが突然頭を押さえて前かがみになる。頭から血がしたたり落ちた。数針縫うケガであったため、Cの他教師たちが彼の家に菓子折りをもって訪れると、けがをした生徒の親が「申し訳ありません。うちの子がご迷惑をおかけして」と教師に謝罪したという。達観したようにクラスメートが経緯を語っていたのでよく覚えている。

Dについては書道を選択していなかったこともあって良く知らない。風貌はパンチパーマで度付サングラスの大柄で無表情な男性であった。あくまで噂だが、自転車二人乗りで下校する生徒をみつけ、後部座席の生徒を引きずりおろして髪の毛を持ちあげ、「どこまで飛ぶか試してみようか」と凄みながら腹に蹴りを入れて生徒を吹っ飛ばしたという話が有名だった。

まぁ、日常的な殴打はあまりにも有り触れていたので特別取り上げて語るのは難しい。中学も似たような教師が複数居たので記憶がごっちゃになっているし。

生徒指導主任のAはいかつい体型の男性で、大型の三角定規や拳骨での殴打を良く生徒にくらわせていたが、意外と人当たりは良く、個人的にはそれほど悪い印象は持たなかった。しかし、妙に弁切に長けていて、彼が大きな声でルールについて語り出すと生徒のみならず教師も誰もそれに逆らえない雰囲気があった。

体罰ではないが、不思議と印象的だったのが、Aが女子生徒の肌着についての新ルールを発表したことだ。集会で語ったその内容が余りに歪だったので覚えている。曰く「不衛生なので、女子の夏服は下着の上に肌着を着用することを禁止する」と。開襟シャツだと下着が透けるので女子は下着の上に肌着を着るのは全く不自然ではないと思うのだが、そして当時もそう思ったのだが、それを禁止すると彼は全校生徒に伝えていた。二十数年たった今でも、時折、いびつな違和感と不快感と共にその彼のスピーチを思い出す。AにはAだけのルールに関する絶対的な信念あるいは正義のようなものがあったのだと思う。

何がきっかけなのかよく覚えていないが、ある頃から、それまでさほどルールに厳しくは無かった教師たちが次々と生徒に対して怒りを面に出すようになった。怒鳴り、殴り、あるいは殴ることが出来ない教師は角材など武器を手にする。比較的温和だった美術工作の先生が角材を持って授業に現われるようになったりしていた。おそらくAが教師の引き締めを図ったのだろう。

同じころに、どちらかというと生徒の自主性を重んじるタイプの二〇代の女性教師が授業中に泣きながら、この学校のやり方はおかしいと生徒に訴え始めた。名指しはしなかったが、主流になっている教師グループは生徒のことを考えていない、教師として戦いたいというような趣旨のことを言っていたと思う。その後どうなったかは知らないが、確か翌年、その女性教師は転出していったと記憶している。

生徒間のいじめも少なくなかった。決定的に暴力を伴うものは記憶に在る限りでは無かったと思うが、精神的に追い詰めたり、無自覚に言葉で詰ったり、仲間外れにしたりというのは少なからずあったと思う。一年生の時に入学してすぐ一人クラスメイトがいじめで退学した。中学のころから身体的特徴でいじめられていて、高校に入学してからすぐ、何人かの生徒が彼の過去を知らずに、その身体的特徴をからかい、それに釣られてクラスの人たちが次々と同調しため、中学時代からの苦痛の積み重ねが爆発し、退学に至ったのだった。クラスのホームルームで、からかった生徒たちは彼のいじめられていた過去を知らなかった、ということで自己を正当化していたが、教師はそれに対して特に何か注意していたという記憶は無い。知らなかったことが身体的特徴をからかって良いという免罪符にはならないだろう、しかし、当時の僕はそれに思いが至らなかったし、立ち上がって伝える勇気も無かった。それどころか、当時の僕は自分の殻に閉じこもっていたのでそもそも他者とのコミュニケーション自体に取り組まなければならないものであった。以降も彼らは弱い立場の生徒をからかうスクールカーストの上位にいたと思う。僕も”からかい”の対象になったことがあった。一年で彼らとはクラスが別れたのでその後の事は知らない。

ところで、以前、都知事選に出馬してスクラップ&スクラップの名言で知られた革命家の彼は、当時、福岡市内で学校の体罰や管理体制に対する抵抗活動を行っていて、福岡市内でも聞こえる体罰校であった我が母校にも目をつけ、校門前でビラを配ったり、演説を行ったりしていた。僕も通学途中に何度かビラをもらったが、内容は覚えていない。Aが彼のビラに流されないように、と集会で生徒に釘を刺していたのを覚えている。都知事選で久しぶりに名前を観たときはその風貌と言動に大層驚いたものだった。

生徒の側はしかし、戦々恐々と日々を送っていた、という訳では全くない。抵抗するよりも、不自由さや暴力は受け入れるしかないものとして、受け入れつつ、その中で充実した生活を送ろうとする。環境が与えられればその環境の中で楽しみを見つけ、あるいは学校の矛盾には見ない振りをするもので、与えられた自由の範囲内で学校生活を送り、見えないところで見つからないようにみんなルールを逸脱していた。それが果たして幸せであったのか、あるべき姿だったのかはいまだにわからない。むしろ忘れてしまいたいという思いの方が今でも強い。

当時の教師たちの心理は、今思うと、有名なスタンフォード監獄実験の看守たちのそれと似ていたのかもしれない。

フィリップ・ジンバルド:普通の人が どうやって怪物や英雄に変貌するか | Video on TED.com

スタンフォード監獄実験の責任者だったフィリップ・ジンバルド博士のスピーチがTEDで公開されている。イラク戦争でのアブグレイブ収容所での虐待事件からミルグラム実験、スタンフォード監獄実験まで、普通の人が何故非人道的な暴力行為に堕ちていくのかを解説している。この動画で、スタンレー・ミルグラムによるミルグラム実験についても紹介している。ミルグラムは被験者を教師と学習者に分け、教師役をショック装置の前に座らせて権威者役の人物にこう言わせた。

「教師としてのあなたの仕事はこの人に学ぶ材料を与えること。正しければ報酬をあたえる。間違えれば感電箱のボタンを押す。最初のボタンは15ボルトで彼は何も感じないだろう」

ジンバルド博士はスピーチでこう続ける。

これが重要です。全ての悪は15ボルトから始まるのです。

一回目の実験では2/3が、16回目の実験に至っては90%が最後の450ボルトのボタンを押すまで行ったという。

ジンバルド自らが行ったスタンフォード監獄実験では看守と囚人に被験者を分け、囚人たちに屈辱を与え、そして看守たちの行動はエスカレートしていった。その善と悪とを分ける境目は個人の責任にはなく、状況を作り出すシステムの側にある。原因を調べるときに、誰が腐った林檎か?を問うことの根本的な間違いをジンバルドは動画の中で指摘している。

権力はシステムの中にあります。システムが個人がを堕落する状況を作ります。そのシステムとは法や政治経済や文化的背景です。権力はシステムの中で腐った樽を作ってしまいます。もし人を変えたければ状況を変えることです。もし状況を変化させたければシステム上の権力はどこにあるかを知るべきです。

システムの中で教師は体罰という暴力を振るうことを選択するようになり、役割を演じる。生徒に学ぶ材料を与えるために、15ボルトのボタンを押す。高校生のときはまったくわからなかったが、教師というのは心理実験の被験者であり、得体の知れない何かに演じさせられていたのかもしれない。先生たちの言動は今振り返ると、どこか、社会から隔絶している印象があった。30ボルト、45ボルトと徐々に上げていくその過程に彼らと僕らがいたのだろうか。

色々検索したりしてみると母校は、今は体罰も無く厳格だった校則もかなり緩和されているらしい。スタンフォード監獄実験は一人の勇気ある女性研究者によって止められたが、母校の体罰はどのようにして終わったのだろうか。もちろん、完全に閉鎖された空間で行われた実験と、社会と連続的に繋がっている学校とを重ねあわせるのは妥当ではないと思うが、どうにも似通ったものを感じる。ただし、学校が心理実験であるとして、この実験には神の目としての観察者はおらず、ただただ実験だけが繰り返され続けているようだ。暴力を是として組み込んだ学校という実験はいつだれが終わらせるのだろうか。

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