江戸時代の公害、環境破壊と人口停滞

江戸時代はよく、エコでサスティナブルな社会システムが整備されていたという例として語られるが、一方で急激な経済発展の代償として環境破壊と公害が顕在化しはじめた時代でもあった。

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1)江戸時代の環境破壊

安土桃山時代から江戸時代前期にかけては全国で都市、街道や橋、用水などの建設ラッシュによって木材需要が高まり一七世紀から一八世紀初頭にかけて日本列島全体で森林伐採が行われた。

正保二年(一六四五)、幕府は諸国に対して山林の濫伐を禁じ、伐採の禁止地区の指定や利用制限などを取り決め、寛文六年(一六六六)、貞享元年(一六八四)の二度に渡って森林の乱開発が災害の要因になっているとして特に水害が頻発していた畿内を中心に濫伐の禁止や苗木の植え立てを命じる法令を出している。

このような森林資源の枯渇は江戸時代後半になると徐々に回復していったが、その要因として鬼頭宏「文明としての江戸システム」ではコンラッド・タットマンの指摘を以下の通り五つの要因にまとめた上で、最大の要因として人口停滞という条件が挙げられている。

『第一は生物的要因で、野生の食料・燃料・肥料などのために落葉広葉樹林を保存したことが、山林を豊かに保つことになった。第二に、技術進歩に反して大鋸による伐採が制限され、木材搬出の荷車の利用が禁止されたことが、過剰な伐採を防いだ。第三に、森林保全思想と倫理があって、領主の政策にも強く反映された。第四に、制度的な要因がある。「夜明け前」でも詳しく描かれているように、留山・割山・年季山・部分山などの制度的な工夫によって、森林の持続的な利用が可能になった。最後に、江戸時代の生活様式に関わる生態学的な要因がある。日本では山羊と羊の放牧がなく、また動物性タンパク質と肥料の供給はもっぱら河海の魚介資源に依存したから、食用に牛馬を飼育する習慣が無かった。放牧のために森林を開発しなければならないという圧力は低かったのである。
だが、何よりも森林への負担を減じるうえで大きな役割を持ったのは、人口の停滞という条件であった。人口停滞の実現と、節約という欲望の抑制が、森林にかぎらず環境資源に対する総需要を抑制し、実現するうえで、江戸システムの維持を実現したという点では最も特徴的で重要な要因であったといえよう。』(鬼頭「文明としての江戸システム」P136-137)

2)十八世紀の人口停滞

この森林資源の回復をもたらす主要因となった江戸時代中~後期の人口停滞について、十七世紀を通してほぼ倍増した日本の人口は一八世紀入ると停滞期に入るが、この人口停滞をもたらした要因として寒冷化による凶作を背景とした出生率の低下、都市への集中による都市人口の増大による短命化、晩婚化などが挙げられる。

まず、十八世紀は寒冷化の時代でたびたび飢饉が起こり農村人口は自然減に見舞われていた。同時に生活苦から間引き、子返しと呼ばれる嬰児殺人が出生抑制策として行われ、また母乳哺育が排卵を妨げることで妊娠を遅らせる効果があることが発見され、農村で自発的に行われていた。当時、人口減による財政難に苦しむ諸藩では子殺しの禁令が度々出され、出産手当や養育手当の支給をはじめとする様々な少子化対策が行われている。

また調査によると、十八世紀は女性の出生率が男性よりアンバランスに低く、同時期の西欧諸国の水準からみても低いため、将来の多産による生活水準の低下を恐れて、間引きが女児を中心に行われていたと推定されている。同じく出産抑制が行われていた産業革命前のイングランドに近いとされる。

次に、十八世紀には女性の晩婚化が進んだが、女性は主に農業世帯で家内工業に従事したり、商家や武家に奉公に出るなどの要因とともに、農家は人口増加に比して耕地面積がそれに見合うだけの拡大ができなかったこと、資源供給に制約があったことなどから経営規模が小さく、勤勉革命と呼ばれる労働集約型農業技術の発展をもたらす反面、子供数が家の存続に足るだけの必要最低限度に絞られたと考えられている。

都市においても、例えば江戸では農村に比べてさらに出生率が低く、生活基盤が不安定でかつ所得が低かったことから出稼ぎや奉公人として働く若者が未婚で、結婚も晩婚化の傾向が見られた。享保六年(一七二一)の調査では江戸の町方人口は男性三二万人に対して女性十八万人で著しく男性過剰な社会構成であったという。男女比がバランスするようになるのは慶応三年(一八六七)のことになる。

また、都市では高い人口密度による劣悪な生活環境を原因として農村に比して死亡率が高かった。『死亡率の高い都市に農村から流入した人々が数多く死んでいく』(鬼頭前掲書P101)傾向が見られ、農村から出稼ぎに出た若者たちは濃尾平野の安八郡西条村の十八世紀末から幕末にかけての追跡調査では『男子の半数は出稼ぎ先で死亡、または行方不明』(鬼頭前掲書P188)、『女子の場合はそれほどでもないが、両者をあわせてほぼ三割』(鬼頭前掲書P188)であった。このような現象は近世の西欧でも見られ都市の「蟻地獄効果」と名付けられている。
以上のような諸要因を背景とした十八世紀の人口停滞が森林破壊の歯止めとなっていた。人口は十九世紀に入って再び増加傾向になり、幕末を迎えることになる。

3)江戸時代の公害

また、近世はプロト工業化時代として位置づけられ、様々な産業が勃興、経済発展をもたらしたが、その反面で公害が顕在化した。
幕末明治の洋式製鉄導入以前に中心だった「たたら製鉄」では作業工程で砂鉄を取るために鉄穴流しという風化岩盤を掘り崩し水流で土砂を押し流す技法が行われていたが、それによって大量の土砂が流出し河川の汚濁、洪水の要因となった。また製鉄過程で大量の木炭が必要となるため燃料林の過剰な伐採が繰り返される。「たたら製鉄」を巡っては江戸時代を通してたびたび公害を巡って訴訟が繰り返されている。

また陶器や瓦の製造では煙害、金銀銅の採掘では土砂流出にともなう洪水や田畑絶作・荒廃、その他鉱業でも毒水や汚水によって飲用水や漁業に影響が出たり、農業では洪水、製塩も塩害などの要因になっている。『訴訟や事件として記録が残るものには、鉱山廃水(毒水・濁水・砂泥堆積)、排ガス(毒気)・煙害、用水・航路障害、塩害、地形改変・地盤沈下など』(鬼頭前掲書P197)多様な公害が江戸時代を通して起きているという。

自然と調和した再生的なシステムは確かに江戸の特徴的な社会システムであり、当時の西欧と比較しても独自の社会体制ではあったが、一方で様々な矛盾や限界が露呈していた時代でもあった。当時の環境破壊と公害の背景には現代人が想像しているより遥かに人の命が軽かったし、また弱かったという点があったと言えるだろう。

あくまで個人的な意見だが、人が弱く儚いものであるがゆえに自然を怖れ、人の力程度では自然は壊れないという信頼が、逆説的に当時の環境破壊へと結び付いていたのではないかと思う。自然を畏怖するがゆえに環境破壊が行われ、そして人々は知らず知らずその報いを受けながら、人も経済もただ循環し、徐々に発展していくという、ある種の悪循環と呼べるようなシステムが江戸時代の社会の特徴の一つであったように感じている。

その、儚くもぐるぐるとまわる袋小路のような社会で、力強く歩もうとする人々の営みこそが江戸時代の魅力なのだ。ということで江戸時代の環境破壊、人口停滞、公害を通して見えてくる江戸時代の、特に十八世紀の社会について簡単に触れてみた記事でした。

参考書籍
・鬼頭 宏 著「文明としての江戸システム 日本の歴史19 (講談社学術文庫)
・鬼頭 宏 著「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫 (1430))
・浜野潔他編著「日本経済史1600‐2000―歴史に読む現代

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