ザビエルはキリスト教の矛盾を論破されたのか説得したのか問題

ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人 – るいネット
『ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人』によるミスリードと嘘 – Togetter

『日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」』(「ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人 – るいネット」より。以下引用元は同じ。)

上記のザビエルの発言について、僕も以前見かけて、何かしら違和感を覚えていたところではあったし、丁度図書館に行く用事があったので、ちょっとフランシスコ・ザビエルの書簡を入手して確認してみた。以下書簡の引用は全て河野純徳訳「聖フランシスコ・ザビエル全書簡〈3〉 (東洋文庫)」より。同書は全四巻だが日本に関するものは第三巻にすべて収集されている。

この箇所について、おそらく該当するのは、以下の一五五二年一月二九日、インドのコーチンからヨーロッパのイエズス会員に宛てた手紙から。

P201-202
48
日本の信者たちには一つの悲しみがあります。私たちが地獄に落ちた人は救いようがないと言うと、彼らはたいへん深く悲しみます。亡くなった父や母、妻、子、そして他の人たちへの愛情のために、彼らに対する敬虔な心情から深い悲しみを感じるのです。多くの人は死者のために涙を流し、布施とか祈祷とかで救うことはできないのかと私に尋ねます。私は彼らに助ける方法は何もないのだと答えます。
49
彼らは、このことについて悲嘆にくれますが、私はそれを悲しんでいるよりもむしろ、彼らが自分自身〔の内心の生活〕に怠ることなく気を配って、祖先たちとともに苦しみの罰を受けないようにすべきだと思っています。彼らは神はなぜ地獄にいる人を救うことができないのか、そしてなぜ地獄にいつまでもいなければならないのかと、私に尋ねます。私はこれらすべての〔質問に〕十分に答えます。彼らは自分たちの祖先が救われないことが分かると、泣くのをやめません。私もまた〔地獄へ落ちた人に〕救いがないことで涙を流している親愛な友人を見ると、悲しみの情をそそられます。

ここ以外には地獄や祖先について日本人と語っている箇所は見当たらなかったので、引用元の著者である土井氏はザビエルの書簡以外の他の資料から収集したか、全くの創作である可能性がある。一応書簡を読む限りは、議論ではなく信者の心情に宗教者として寄りそう趣旨の内容になっているようだ。

「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。』について、おそらく、一五五二年一月二九日、インドのコーチンからローマのイグナチオ・デ・ロヨラ神父にあてた手紙のいくつかの箇所の合成あるいは要約のようだ。

P214
10
〔日本人の〕質問に答えるために、学識のある〔神父〕が必要です。とくに哲学がよくでき、弁証法に優れた人で、〔僧侶との討論で〕明らかになる矛盾をすぐにとらえることができる人が必要です。ボンズは矛盾を指摘され答えに窮すると、いたく恥じ入ります。
P215
12
〔日本では〕さまざまな苦労に〔耐えてゆかねばならない〕ので、年老いた人に適した土地ではありませんし、また〔実社会で〕大いに経験を積んだ者でない限り、若い人にも不向きです。なぜなら、他の人びとの霊的な助けとなる代わりに自分自身が滅びてしまうからです。日本の地にはさまざまな罪があって、それに陥る危険があります。〔日本人の行為を〕とがめる〔神父を〕日本人はよく観察していますので、〔神父の〕ごくわずかな〔欠点〕がつまずきとなります。私はこれらのことについてシモン神父、もしも彼が不在の時にはコインブラの院長にあてて詳しく書きます。
P218
18
日本の地はキリスト教を長く守り続ける信者を〔増やす〕ためにきわめて適した国ですから、〔宣教のために〕どんなに苦労をしても報いられます。それで、あなたが聖なる徳を備えた人物を日本へ派遣してくださるよう、心から望んでおります。なぜなら、インド地方で発見されたすべての国のなかで、日本人だけがきわめて困難な状況のもとでも、信仰を長く持続してゆくことができる国民だからです。

また、シモン神父に宛てた手紙として、一五五二年一月三〇日のコーチンからポルトガルのシモン・ロドリゲス神父に宛てた手紙から。

P223
1
キリストにおいて親愛なる私の父であり、兄弟である〔シモン神父よ〕。日本へ派遣すべき神父について十分了解していただくために、日本についていくつかの特殊事情をお知らせしなければなりません。
まず最初に、坂東の大学やその他のところに行くために、日本へ派遣する者はさまざまな経験を積んだ人で、困難や大きな危険を切り抜け、十分に試された人物であることが必要です。といいますのは、坂東やその他の大学へ行けば、ボンズから大きな迫害を受けなければならないからです。大切なことなのでもう一度言いますと、非常に大きな迫害を受けなければならないし、もし大きな信頼を寄せることができる人物でなければ、他人を霊的に進歩させる代わりに自分が滅びてしまうような〔ひどい〕ところへ行くのです。

以上のように、ロヨラ神父宛に僧侶との議論のために学識が必要で、日本は色々苦労させられ、魅惑的な出来事が多く、かつよくあらさがしをされるので経験豊富な人物である必要があり、また、アジア地域で布教に最も向いているので、聖なる徳を備えた人物、つまり一流の人物を差し向けてほしいというような手紙の内容と、シモン神父宛の、かなり過酷な環境なのでタフな人物である必要があるという内容が合わさって、出来上がった表現だと思う。

この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。』について、該当箇所は一五五二年一月二九日、インドのコーチンからヨーロッパのイエズス会員に宛てた手紙にある。山口での布教に関するエピソードである。

P184-186
20
彼らは悪魔がいること、そして悪魔が悪い者であり、人類の敵であると信じていましたので、もしも神が善であるならば、こんなに悪い者どもを造るはずがないから、私たちが言うようなことはありえないと考えました。私たちは神は善いものを造られたのですが、彼らが勝手に悪くなったので、神は彼らをこらしめ、終わりのない罰を科すのであると答えました。それに対して彼らは、神がそれほど残酷な罰を科すならば、情深い者ではないと言いました。さらに彼らは、〔私たちが言うように〕神が人類を造ったということが真実であるのならば、それほど悪い悪魔が人間を悪に誘うことを知っていながら、どうして悪魔の存在を許しておくのかと言いました。神が人類を創造したのは、神に奉仕するためですから、〔悪魔の存在を許すのは矛盾であると言うのです〕。またもしも、神が善であるとすれば、人間をこんなに弱く、また罪に陥りやすく創造しないで、少しも悪がない〔状態に〕創造したに違いないと〔言いました〕。そして神は、これほどひどい地獄を造り、〔私たちのいうところに従えば〕地獄に行く者は、永遠にそこにいなければならないのだから、慈悲の心を持つ者ではなく、したがって万物の起源である〔神を〕善であると認めることはできないと言いました。またもしも、神が善であるとすれば、これほど遵守しがたい十戒を命じなかったであろうと言いました。
21
また彼らの教義によると、地獄にいる者でも、その宗派の創始者の名を唱えれば地獄から救われるのですから、〔神の聖教えでは〕地獄に陥ちた者にはなんの救いもないのはたいへんに〔無慈悲な〕悪いことであると思われ、神の聖教えよりも彼らの宗派のほうがずっと慈悲に富んでいると言っています。このような大切な質問のすべてについて、主なる神の恩恵のお助けによって、罪の償いができると説明し、こうして彼らは満足しました。神の慈しみをより深く説明するにあたって、私は、日本人はよりいっそう理性に従う人びとであり、これは今まで出会った未信者には決して見られなかったことだと思いました。

相手の意見に対して、ザビエルは何を言ったのかはほとんどうかがい知ることは出来ないが、読む限り、相手を満足させる説明が出来たと書いている。神の恵みによって罪の償いが出来るということを語ったということなので、カトリックの教義を踏まえた想像するしかないのだろう。

ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。』について、同じく一五五二年一月二九日、インドのコーチンからヨーロッパのイエズス会員に宛てた手紙には以下の通り書かれている。

P204
53
〔ここにいる〕イエズス会の兄弟たちがこちらの消息を書いていますので、私はインドのことについては何も書きません。私は肉体的にはたいへん元気で日本から帰ってきましたが、精魂は尽き果ててしまいました。しかし、主なる神の慈しみに希望し奉り、また主なる神のご死去とご受難の無限のご功徳に希望を託し、きわめて困難な中国への渡航のために私に恩恵をお与えくださるように願っております。私の頭は白髪で覆われてしまいましたが、体力に関する限り、これまでに経験しなかったほど〔の充実感に〕満たされています。
思慮分別があり、自分の救霊にどの教えがよいかを知りたいと切望している〔日本〕人たちとともに苦しむ労苦は、内心に大きな喜悦をもたらすもので、山口ではまさにそのような体験をしました。領主が神の聖教を説教する許可を、私たちに与えたのち、質問したり討論するためにたくさんの人々がやって来ました。主なる神が私たちを通じて不信者たちを恥じ入らしめ、彼らとの〔討論において〕絶えず勝利を収めさせてくださったのですから、私の生涯で、これほどの霊的な満足感を受けたことは決してなかったと、ほんとうに言うことができると思います。

以上の通り、ザビエルの書簡を元に検証する限りではかなりの誤謬と創作が含まれていると見られる内容であるが、もしかするとザビエルの書簡以外にソースとなる他の資料があるのかもしれない。一応、参考用としてまとめ。

参考書籍
・河野純徳訳「聖フランシスコ・ザビエル全書簡〈3〉 (東洋文庫)
・ピーター・ミルワード著「ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)

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