エリック・ダニングによる暴力の形態の8つの類型

社会学者エリック・ダニングがノルベルト・エリアスとの共著「スポーツと文明化」に収められた論文「スポーツにおける社会的結合と暴力」で以下の通り、人間の暴力の形態を八つに類型立てている。(P331-332)

(1)暴力が実際的なのか、あるいは象徴的なのかということ。つまり、それが直接の肉体的な攻撃というかたちをとるのか、あるいはただ単に言葉によるジェスチャーと言葉によらないジェスチャーの両方かそのどちらかを含むのかどうかということ。
(2)暴力が「遊戯的」形態をとるのか、あるいは「模倣的」形態をとるのか、またそれが「真剣」なのか、あるいは「真実」なのかということ。この次元は「儀式的」暴力と「非儀式的」暴力の違いによってもまた捉えられようが、しかし、マーシュとかれの仲間には失礼だが、儀式と遊戯の両方には暴力的なものが含まれているということに注意しなければならない。
(3)武器がひとつ、あるいはいくつか使われているかどうかということ。
(4)武器が使われている場合、攻撃者たちが直接、接触するかいなかということ。
(5)暴力が意図的なものであったのか、あるいは、最初は暴力を意図していない行動の連続が偶然、結果として暴力になったのかどうかということ。
(6)何も刺激がないのに始められた暴力が扱われているのか、あるいは、意図的な暴力行為であれ、無意識の暴力行為であれ、それに対する報復的な態度で始められた暴力が扱われているのかどうかということ。
(7)社会的に規定された一連の規則・規範・価値に一致しているという意味で暴力が合法的なのか、あるいは許容された社会的基準の違反を含んでいるという意味で暴力が非規範的で非合法的なのかどうかということ。
(8)暴力が「合理的」形態をとっているのか、あるいは「感情的」形態をとっているのかどうかということ。つまり、暴力が一定の目標を達成する手段として合理的に選ばれているのか、あるいは、感情的に満足できる、楽しい「本質的目的」として行使されているのかどうかということ。この違いを概念化する別の方法は、「手段的な」形態の暴力と「感情的な」形態の暴力を区別することである。

あくまで類型であって、ダニングは『相互に関連した両極性とバランスによって概念化する方がもっとよい』(P332)としており、この類型を踏まえて『スポーツにおけるいくつかの暴力の問題に体系的に応用』(P332)することで、『類型的に区別されるいくつかの暴力の諸形態間のバランスの変化』(P330)の原因が『社会的結合の諸形態における観察可能な変化に求められる』(P330)こと、つまりエリアスの言う文明化の過程であるということを述べ、その社会的変化がスポーツにおける暴力と深く関連する、という趣旨の論を展開している。

本論については僕もよく理解していないところなので、可能であれば別の機会に紹介できればと思うが、とりあえず暴力の八類型がとても示唆に富む類型分けであると思ったのでメモ的に紹介するにとどめておく。印象としては戦時や無秩序下の暴力というよりは平時の暴力の類型とも思う。また、あくまで類型であって正当化の基準ではない。実際的であるか言葉のみか、武器を使うか使わないか、合法か非合法か、合理的か感情的かのどちらかだからと言って正当化されるかどうかの直接的な基準にはならない。

現在の日本で話題になる教育機関やスポーツ団体下の体罰は(7)の変形のようにも思う。つまり、暴力の行使自体は社会的な法に抵触する非合法なものである一方で、それが行使される準拠集団における内部の規則・規範・価値とは合致し、社会的基準と当該準拠集団内基準とが相反しながら、暴力の行使が脱法的に容認されている状態、と見える。また、その規範が(8)の『暴力が一定の目標を達成する手段として合理的に選ばれている』というエクスキューズで内部において規範づけられているという面もありそうだ。

と、すると、法の厳密な行使だけではなく、その準拠集団の規範や在り方、場合によっては存在そのものを変えない限り、その集団内での暴力は繰り返される、ということになるのだろう。

ということで、今回は簡単に紹介だけ。色々と勉強になる本なのでもう少し熟読しようと思います。

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