「私の戦場はここじゃない」のでTwitterでの発言は暫く止めます

掲題の通りですが、一応はてなブックマーク連動でのツイートとブログ更新通知だけ続けて、それ以外の発言はTwitterでは止めるつもりです。理由としては端的に言ってしまうとこういうことです。
呟かないのかい?
いいえ。私の戦場はここじゃない
(魔法少女まどか☆マギカ10話台詞から改変)
Twitterは2007年から使ってきましたが、やはり140文字で表現することが僕にはとてもハードルが高い、というのと、ブログに書こうとするならもっと膨らませられそうなこと、深く掘り下げられそうなことでも、呟くことで、その時点で僕の中で区切りがついてしまって、そのまま忘却の彼方に追いやってしまうということ。また、Twitterとブログとの切り分けが僕には未だに上手くできない。やはりWEB上の自分の発言はブログに集約させてしまいたいという思いが強くなる一方です。
コミュニケーションは大別すると『話し手と聞き手とが完全にわかれ、情報は話し手の独占するところであるようなコミュニケーションの形式』である「直流コミュニケーション」と、『情報は参加者のすべてが共有するところであり、話し手は同時に聞き手であるようなコミュニケーションの形式』である「交流コミュニケーション」の二つに分けられるといいます(井上『「世間体」の構造』P133-134)。
これは以前から考えていたところではありますが、WEB上の情報と言うのはその基本的な構造としては発信者(話し手)と閲覧者(聞き手)とが分離した「直流コミュニケーション」の形式であると思いますが、一方でその発信される量が爆発的に増大してきた過程で、あたかも『情報は参加者のすべてが共有するところであり、話し手は同時に聞き手であるよう』な疑似的な、あくまで疑似的な「交流コミュニケーション」の上部構造、いわゆるソーシャルメディアが現れてきているという経緯を辿っているように思います。
「情報の共有」というプロトコルを前提としてソーシャルメディアというのは成り立っている、つまり基本的構造において「直流コミュニケーション」でありながら、そのWEB上での振る舞いとして「交流コミュニケーション」的行為を行うことをコンセンサスとしましょうね、という発展の先にソーシャルメディアが誕生してきた、と理解しているのですが、間違っていたらすいません。WEB上においては「直流」と「交流」との間を厳密に分けるというのももはや不可能なのかもしれないとも思います。
その「交流コミュニケーション」の振る舞いを行う主体としてそれぞれ用途に応じたサービスがあるわけですが、それを上手く使い分けられることにこしたことはないのですが、どうしてもその使い分けを上手く出来ない。どうしても自身の主体をtwitterに置くのか、ブログに置くのか、という究極の選択へと追いやってしまう。こういう融通の利かなさって年取るごとに強くなるのは何でだろう~と思わずにはいられないのですが。
むしろ、「直流コミュニケーション」という基本的な構造に戻って、ただ情報を発信し続けることに重きを置くことが、重要である、ということで、より自身にとって多くの情報を発信し、かつ、制限の少ないサービスに絞るのが、やはり本筋ではないかなぁと思うので、しばらくの間、Twitterでの発言は控えようと思います。ただ、上手くバランスを取ることができるようになる方法を模索する余地を残しておきたいとも思うので、発言は控えるけども、他サービスとの連携でのリンクは流していくという折衷的な落としどころに、とりあえずはしておこうという趣旨です。
ということで、これまでならTwitterで呟いていたような他愛のないこともブログに書いて行ければ、あるいはちょっと膨らませた感じの記事を書ければと思いますので、よろしくお願いします。まぁ、がっつり頑張った記事だけじゃなく適当なこともよく書くようにしたいのでお手柔らかに・・・というエクスキューズ的な記事です、はい。

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井上 忠司
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