鎌倉の梅の名所「荏柄天神社」

鎌倉の梅の名所の一つに数えられる荏柄神社、通称荏柄天神社です。

荏柄天神拝殿

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荏柄天神社の歴史

社伝では、長治元年(一一〇四)、雲の中に束帯姿で憤怒の表情をした菅原道真が銀杏の木に降りてきて光を発したため、当社を創建したというが、はっきりとした由来はよくわかっていない。とりあえず源頼朝の鎌倉入部以前からあったとされている。

治承四年(一一八〇)、鎌倉に入った頼朝により自身が政務を執る大倉御所を選定するに際して、鬼門に当たる東北の位置に荏柄神社を移したとされており、以後鎌倉を取り巻く歴史の舞台として様々な形で登場することになる。

建仁二年(一二〇二)、道真没後三百年祭に大江広元が参詣、建仁三年(一二〇三)、比企の乱に際して北条時政らが荏柄神社先の朝夷奈切通で軍議、建保元年(一二一三)、泉親衛陰謀事件で捕えられた渋河兼守は、当時当社が冤罪を雪ぐ御利益があると信じられていたことから十首の和歌を奉納し、その後赦免されている。

享徳四年(一四五五)、駿河守護今川範忠によってご神体が持ち去られるなど、戦国時代に衰退したが北条氏康が再興の資金のため六浦道(朝夷奈切通)に関所を設けて関銭を徴収、天正十九年(一五九一)、関東入部した徳川家康によって社領が寄進され、以後再興された。

現在の本殿は寛永元年(一六二四)、鶴岡八幡宮の若宮が造営されたのにともなって、それまでの若宮を移設したものとなっている。

荏柄天神の梅

現在は梅の名所として知られています。僕が行った時も、梅が見ごろを迎えていて、多くの人が訪れていました。

荏柄天神の梅

御神木と梅

絵筆塚

絵筆塚

鎌倉在住だった漫画家の故・横山隆一氏によって奉納された絵筆塚。漫画家154人による河童の絵が掘られている。

熊野社

熊野社

鎌倉散策ではほぼ王道なコースとして挙げられる箇所の一つですので、鶴岡八幡宮、頼朝の墓所や大倉御所跡地などと合わせてまわると良さそうです。


大きな地図で見る
鶴岡八幡宮より徒歩10分

参考書籍
奥富 敬之 著「鎌倉史跡事典

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