東日本大震災から二年、当ブログ災害関連記事のまとめ

2011年3月11日の東日本大震災からちょうど二年ということで、このブログの過去の災害に関する記事のまとめ。

地震後、僕はいかにして三軒茶屋付近から八王子まで帰ったか?
よみがえる「天譴論」~石原天罰発言の超克
「津波災害――減災社会を築く」河田惠昭 著
災害・避難情報の迅速な通知に活躍する携帯エリアメール
東京市長永田秀次郎、関東大震災後の名演説「市民諸君に告ぐ」
「災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか」レベッカ・ソルニット著
災害救援活動のしなやかな即興の協働(Knotworking)と市民社会の創出
「復興計画 – 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで」越澤明 著
関東大震災の朝鮮人虐殺を生んだ流言の拡散経路
ハリケーン・カトリーナは何故これほどの惨状をもたらしたのか?
「アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか」

これらの記事を振り返ると、ブログの書き手として反省させられることが多い。特に「よみがえる「天譴論」~石原天罰発言の超克」は、10万PV近いアクセス数となった記事で、その論旨も間違っていないとは思うのだが、一方で石原慎太郎氏というわかりやすい「敵」を提示してしまった。「敵」という存在を対置することで、自身の説を補強し支持を得たところで、それは分断でしかなく、なんら社会に貢献する意見ではないという点で、僕はこの記事に対して罪悪感の方が強い。

東京市長永田秀次郎、関東大震災後の名演説「市民諸君に告ぐ」」はその「敵」を提示してしまった反省として、社会の連帯を説く趣旨の関東大震災後の東京市長の演説を紹介したものだが、その反応としてやはり過去と今とを比較して政治批判の文脈で読む人が少なくなく、結果として一時的ではあれ一部に、昔はよかったのに今は・・・という不安の種を蒔いてしまったかもしれない。

「災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか」レベッカ・ソルニット著」は、災害時に生じる様々な現象から見えるコミュニティ、連帯の姿を描いた本の紹介だが、特に「エリート・パニック」の部分が2chやtwitterなどを通じてかなり多数引用されることになり、むしろ反権力的な心理を煽ってしまったことになった。同書も僕の記事も趣旨は「エリート・権力批判」ではなく、あくまで「災害時こそ市民社会の重要性を問い直さねばならない」というところにある、ということはあらためて書いておかねばならないとずっと思っていた。

災害時に、被災者ではない立場から災害についてなんらか発言することの難しさは非常に痛感させられた。だから僕は反省と自分への戒めのためにブログに「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する」と掲げるようにしたのだ。勿論それでどうなるというものではないのだが、自制にはなっている。

災害時には、その社会の様々な矛盾が露呈するという。時の政権は程なくしてほぼ例外なく瓦解し、内包していた差別や格差は対立の種になり、その災害を巡って怒りと不満と不安とが人々の心に芽生えざるを得なくなる。一方で、人々は自発的に助け合い、社会のしなやかな強さはここぞとばかりにその強靭さを見せつけ、平時から備えられていた非常時のための対応は真摯に試され、効果を上げることになる。

列挙した最後に、災害とは直接関係ない、米国の銃乱射事件の対応の事例である「「アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか」」を挙げたのは、今こそ「赦し」と言うことを考え直す重要性が高まっていると思っているからだ。この本を読んだのは、2010年で、ずっと感想を書き続けながら書き上げることができず、色々と寄り道をしながら、東日本大震災が起こり、その後の日本社会の変化を観ながら、この本の重要性が増していくのを実感していた。

もう一度、同書から引用しておく。

『他者から不当な害を受けたとき、憤る権利を否定するのではなく、加害者に憐憫、慈悲、愛を与えようと努めることを通じて加害者への憤りを克服することを赦しという』(クレイビルP198)

『赦しとは、赦して忘れることではなく、むしろ赦したことがいかに癒しをもたらしたかを記憶にとどめておく(remember)ことなのだ。記憶するとは、悲劇と不正に寸断された(dismembered)生のかけらを広い集め、何かしら完全なものに再び組み入れる(re-member)ことである。残忍な犯罪を忘れることは個人としても集団としても困難だが、忘れ得ぬことをどう記憶にとどめておくかは自分の意志で決められるし、我々は実際、そうしている。』(クレイビルP281)

災害という不当な害に対してその憤りや悲しみを克服しながら、一方でその災害によって起きた悲劇と不正に寸断された生のかけらを拾い集め、何かしら完全なものに再び組み入れる、そのプロセスには赦しと向き合うという辛い第一歩が必要になってくる。しかし、一個人として何ができるか、を考えてみても、もちろん様々なアクションはあるけれど、最終的には被災者がその赦しの過程に向き合う、ということについては、何も出来ず、ただ見守ることしかできない。

また、社会として災害という「忘れ得ぬことをどう記憶にとどめておくか」というのは、文字通り、「「津波災害――減災社会を築く」河田惠昭 著」で河田先生が書いておられるように「災害文化」「持続可能な減災社会」をどう築くかという点にある。そこで再び「市民社会」の重要性を問い直すことへ立ち戻らざるを得なくなる。

災害時に問われるのが市民社会の強さであり、災害時に見られる共同性が戦争の道徳的対価物であるならば、市民と戦争を問わねばならなない。それに留まらず今自分が生きているその地域を問い、社会を問い、政治を問い、経済を問い、それらを形作ってきた歴史を問わなければならない。そのときに露呈する渦巻く怒りや憎悪、思想、感情を見つめ直さなければならない。そんな大きな流れの中の人びとのささやかな営みにこそ目を向けなければならない。

東日本大震災以降の僕の興味の方向性はあきらかに過去を向いている。過去を問い直すことで今ここにある「現在」を、僕の抱える「原罪」を見つめていきたいと思いながらこの二年ブログを書いてきた。

アニメ「装甲騎兵ボトムズ」の予告編の台詞からの拝借だが「今日という日が、昨日のためにあるのだとしたら」という想いは日に日に強まっていく。

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