「聖戦」の7つの類型と成立の歴史

山内進編「「正しい戦争」という思想」にジェームズ・ターナー・ジョンソンの類型を紹介するかたちで、聖戦の七つの類型がまとめられている。それによると、「聖戦」は以下の七つに分類されるという。(P11-12)

(1) 神の命令のもとに戦われる戦争
(2) 正しく権威付けられた神の代理人により、神のために戦われる戦争
(3) 神自身によって戦われる戦争
(4) 内外の敵に対して宗教を守るために行われる戦争
(5) 正しい宗教を宣伝するか神の権威と一致する社会秩序を打ち立てるために行われる戦争
(6) 宗教的一体性を強制し、かつ(あるいは)逸脱者を処罰するために行われる戦争
(7) 参加者自身が儀礼的にかつ(あるいは)道徳的に「聖」的になる戦争としての聖戦

同書によると、(1)は古代イスラエルの聖戦本来の考え方であり、またイスラームのジハード理念の核となっている。(2)は中世の十字軍や、スンニ派の宗教指導者・シーア派イマームによるジハード、(3)はユダヤ教やキリスト教の終末論的な聖戦観で、神自らが戦うものだが、イスラームには無い。(4)は宗教的防衛概念で、宗教を問わず広く見られる。(5)は攻撃的聖戦として批判されることが多いが、ユダヤ教、キリスト教、イスラームなどで(4)より重要度は低いものの聖戦の構成要素として見られる。(6)はキリスト教で異端に対する十字軍をはじめとする討伐戦争、中世の宗教戦争など広く見られたとされる。

古代から国家・共同体間の戦争はすなわち各々の信じる神同士の戦いという側面を強く持っており、戦争は大なり小なりそれぞれの類型が重なり合う形で聖戦であったが、戦争を正当化するロジックとして「聖戦」という言葉が初めて登場することになるのは中世ヨーロッパの十字軍である。第一次十字軍を組織したローマ教皇ウルバヌス2世によって異教徒(ムスリム)からの領土奪還の戦いが「聖戦」(praelia sancta)という言葉で表現され、その「聖戦」に参加することで、神の恩寵が得られるとされた。

キリスト教の初期教会では戦争は公式に否定されていたため、むしろキリスト教徒が軍務に就くこと自体反対されていた。これがローマ帝国と共存していく中で四世紀ごろ、ミラノ司教アンブロシウスによって旧約聖書のモーセのエピソードを引きつつ信仰が軍務の障害にはならないことを唱え、アウグスティヌスは警察権の行使という側面で「正戦論」を唱えた。以降、秩序の維持や処罰としての正戦観が進展した。

十一世紀に「聖戦」が唱えられるようになった背景には教皇権の強化がある。欧州を統べる普遍的権力を巡っては神聖ローマ皇帝とローマ教皇との間で熾烈な権力闘争が繰り広げられていたが、フランス、イングランド、スコットランド、ポーランド、ハンガリー、スカンディナヴィア諸王国など諸勢力乱立による神聖ローマ皇帝の権力の低下と、司教職の任命権を巡る聖職叙任権闘争、ローマ教皇による教会改革などを経て次第にローマ教皇が優位に立つようになっていた。

歴代ローマ教皇による教会改革とはすなわちキリスト教世界の浄化運動であり、その「教皇革命」が一定の成果を収めていく過程でキリスト教世界だけでなく非キリスト教世界へとその運動は拡大、聖地エルサレム奪還やイベリア半島再征服(レコンキスタ)へと目が向けられた。

第一次十字軍の成功とその後の教皇権の増大は、「聖戦」観に攻撃性・殲滅性を付加することになった。十二世紀にはプロイセンやバルト地域などの異教徒に対する北方十字軍が組織され征服・殺戮・略奪が行われた。『異教徒は異教徒であるというその一点で無権利』(P15)とされるようになった。

その後、ヨーロッパでは教皇権の失墜と分裂による欧州全土を巻き込んだ激烈な宗教戦争の時代を経て宗教は政治から排除され世俗的な主権国家が成立・発展していくが、その過程で宗教的意図に基づく戦争を正当化する観念としての「聖戦」は否定され、自然法観念に基づく正戦論が主流となっていった。しかし、正戦論もまたその意義を失い、二度の大戦を経て「正戦」かどうかではなく合法かどうかが「正しい戦争」の基準として重視されるようになっていった。

西欧史においては、戦争正当化の論理としての「聖戦」は過去のものとして否定されてきた歴史があるが、一方で現代社会で再び「聖戦」が戦争・闘争の正当化の論理として存在感を増しつつある。

イスラームにおける「聖戦(ジハード)」が、無条件に戦闘行為を意味するようになったのは現代、しかもここ半世紀のことである。

もともと「ジハード」は「能力を尽くす」「全力で仕事をする」といった信仰のための努力を意味する言葉で、戦闘行為を指すものではなかった。ジハードに戦闘的意味が付加されたのは西暦六二二年の聖遷(ヒジュラ)以降であったが、このときも異教徒との関係において言論による説得などのジハード、財産の拠出による支援などのジハードとともに、武器を取って戦うジハードとして挙げられ、非常に用途は限定的なものとされていた。戦闘行為の正当化の範囲が限定的であったことが他宗教とも共存するイスラーム文化の寛容性を育んでいたとされる。

ジハードの意味の転換は近代以降の西欧諸国によるアラブ世界の植民地化の影響が大である。イスラエル国家の建設と侵略、冷戦下の東西両陣営に支援された世俗的独裁体制による宗教・文化・市民生活の抑圧の中で、復古主義と過激な闘争主義とが結びつき、イスラーム的な「努力」としての「ジハード」がすなわち「聖戦」としての暴力行為を意味するようになった。

サラフィー・ジハード主義と呼ばれるこれらの戦闘主義思想の先駆的な運動として後にサウジアラビアの国教となるワッハーブ運動、「聖戦」論の代表的思想家に一九六〇年代にエジプトで獄死したサイード・クトゥブがいる。ウサマ・ビン・ラーディンはクトゥブ思想を発展させ、善悪二元論的な戦闘的聖戦論を形成した。また、イスラエル国家による侵略と抑圧への抵抗運動が展開される過程でイスラームの教えとの整合性が図られるようになり、イスラエルに対する自爆テロは「殉教的実践行為」としてイスラームの道に反しないとする説を唱えるイスラーム法学者(ユースフ・カラダーウィー)もいる。

キリスト教やイスラームに限らず仏教でもヒンドゥー教でも宗教的意図を暴力・戦闘行為の正当化の論理とする「聖戦」観は存在してきたし、現在も各地で紛争の火種となっている。

「聖戦」が再び現代において暴力を正当化する理念として装いを新たにして浮上しているのは、世俗主義と普遍主義に基づく「近代」が世界を席巻し、不平等と抑圧をもたらしてきた歴史に対する異議申し立てという側面がある。自身が属する社会や文化、日々の生活を象徴するものとして宗教は存在してきたのであり、それゆえに、どれほど世俗化が進展しようとも、どれほど国際法が発展しようとも、人々の間で抑圧や不平等への抵抗に正当性を与える論理として、宗教が何度でも再発見されることになる。

参考書籍
山内進編「「正しい戦争」という思想
小田垣雅也著「キリスト教の歴史 (講談社学術文庫)
ウィリアム・H・マクニール著「世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)
小川忠著「テロと救済の原理主義 (新潮選書)
小杉泰著「イスラームとは何か (講談社現代新書)
保坂修司著「新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦 (朝日選書)

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