「図説 日本建築の歴史 (ふくろうの本/日本の文化)」玉井 哲雄 著

図説 日本建築の歴史 (ふくろうの本/日本の文化)
玉井 哲雄
河出書房新社
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神社・仏閣・城郭・古民家から古墳や遺跡まで様々な名所旧跡を歩いて回るときに、古い建築様式・形式とその歴史の簡単な知識があると無いとでは楽しめ方に天と地の差があるのは言を俟たないと思うが、その日本建築史を大まかに把握する入門として、とても分かりやすかったのがこの本だった。

全部で120ページあまりとコンパクトな大きさで、最低限の用語と建築の古代から近世末期までの発展の過程とが体系立ててまとまっており、かつ図表も豊富、おそらく、専門的に勉強している人には初歩の初歩で物足りないと思うが、僕のような素人には色々な発見があった。

同書では日本の建築を大きく宗教建築と住宅建築の二つに分類する。宗教建築は神社や寺院、住宅建築は民家だけでなく城郭、茶室、御殿などを含む、宗教建築以外の建物全般である。その両者を分けるのが「組物」の有無だとされる。

日本の木造建築は屋根部分となる「小屋組」とその屋根の下で居住空間となる「軸組」から構成される。その軸組は地面から垂直に伸びる「柱」と柱同士を柱の上で水平につなぐ「桁」「梁」からなる。その建物の配置や組み合わせで様々な建築様式が構成されるが、その「柱」と「桁」「梁」のぶつかる柱状部を接合して構造的に補強する役割を担うのが「組物」である。

「組物」の基本的な構造としては柱の上に「枡」という立方体の部材に「肘木」という人間の肘に似た部材をのせて「桁」を支えるもので、その組み合わせによって仏教建築に呼応する形で「和様」「大仏様」「禅宗様」の三つのタイプが存在する。「組物」は奈良時代には補強材としての役割が強かったが、平安時代以降になると構造が複雑化していくことで、補強材としてよりは装飾材としての役割の方が強くなっていった。

何故宗教建築にだけ「組物」があって住宅建築には無いのか。実は中国でも朝鮮半島でも庶民の住宅には「組物」が存在している。日本の住宅建築にだけ「組物」が無い。これについて、古代の日本の建築は高床建物にしろ竪穴住居にしろ「組物」を使っていなかったと考えられている。その発展形として古い神社建築も、これは伊勢神宮の「神明造」からの推定で「組物」は使われていなかったとされている。そこに飛鳥時代、「組物」を使った仏教建築が大陸から伝わり、宗教建築の主流様式となっていく中で、神仏習合の過程で神社建築も「組物」を採用するようになり、一方で庶民の住居はその最新の建築様式を導入することは出来ず、「組物」を使わない古い形式が残っていった。

宗教建築は神社建築と仏教建築に大別されるが、神社建築には伊勢神宮に代表される「神明造」、出雲大社の「大社造」、住吉大社の「住吉造」の三つが古い様式とされ、その他「春日造」「流造」「八幡造」「日吉造」「石の間造」「権現造」などがある。

これに対し仏教建築は奈良時代に仏教伝来とともに採用されることになるが、六世紀~何世紀前半の仏教建築を「飛鳥様式」(法隆寺など)、大化の改新以降の「白鳳様式」(薬師寺など)、平城京遷都以降の「天平様式」(東大寺など)が奈良時代の仏教建築様式の分類となる。平安時代は前半の山上伽藍・多宝塔・礼堂からなる五重塔などの「密教建築」と後半の平等院鳳凰堂に代表的な「浄土教建築」に大別される。しかし、この時代の仏教建築で現存しているのは奈良二八棟、平安二九棟の計五七棟でしかないという。

中世になると「大仏様(天竺様)」と「禅宗様(唐様)」が新たに大陸から伝わり、旧来の「和様」とともに三大様式となり、次第にこれらが融合して「新和様」「折衷様」が生み出されていった。近世、新たに「黄檗宗」の様式が伝わるが、日本建築の主流は武士や庶民の「住宅建築」に移り、新たな様式は生まれなかった。

住宅建築の歴史について同書で面白かったのが古代、高床建物に「貫」が使われていたかどうかを巡る議論だ。「貫」は『柱を貫通して横につなぐ部材』(P76)で、鎌倉以降に日本に流入した「大仏様」「禅宗様」で使われ、「和様」では使われていない技術であったという。従来の「和様」では柱に穴を開けず『柱を前後から挟み込む太い長押という横材で建物の横揺れを止めていた』(P76)。

中国では古くから「貫」が使われていたが、日本では鎌倉以降に主に仏教建築で使われるようになったと従来は考えられていた。しかし、弥生時代の遺構や建築部材などの調査の結果、弥生時代以前から高床建物に「貫」が使われていたとする説が有力になってきているという。これは現在も見解が分かれ論争となっており、一九八六年に発掘された吉野ケ里遺跡(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)の物見櫓・高床建物は「貫」を使った形で復原され、一方、一九九二年に発掘された唐古・鍵遺跡(奈良県磯城郡田原本町)の高床建物は「長押」を使った形で復原されているという。著者は「貫」が弥生時代にも使われていた説を取っている。

この「貫」が弥生時代に有ったのか無かったのか、有ったとしてなぜ奈良時代以降の宗教建築には使われなかったのか、など読みながら色々興味がわいてとてもエキサイティングだった。

住宅建築は貴族階級の住宅が「寝殿造」から「書院造」へという大きな流れがあり、中世茶の湯が始められると「草庵風茶室」が成立し、その影響下で「数寄屋風書院造」が誕生。民家は多様だが外観としては「風土型」と「格式型」とに分類され、それぞれ様々な形式がある。一方間取りは様々な「広間型」があったが、近世末期までに「田字型」という一つの類型に収斂していったとされる。一方、武士を中心に誕生した城郭建築は戦国時代の「中世山城」から戦国後半の「平城」へ、安土城・大坂城の登場とともに、宗教建築・住宅建築とも違う独自の建築様式を持つ「近世城郭」へと変化した。

以上、ポイントだけなので詳しくは読んでいただければいいと思うが、近世までの大きな建築史の流れが大きく掴めるとても良い入門書だと思う。個人的にはもう少し突っ込んで神社建築を知りたいので、この本の知識を第一歩としつつ、さらに調べていきたい。

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