「北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大」山内 進 著

十字軍は聖地エルサレム奪還を目指した東方遠征軍だけではない。南フランスの異端カタリ派・ワリドー派に対するアルビジョア十字軍、イベリア半島奪還戦争であるレコンキスタ運動、そして本書で描かれるプロイセン・ロシア・バルト海沿岸地域の異教徒に対する北方十字軍などがある。

本書は、その北の十字軍の主力となったドイツ騎士修道会の興亡を通して中世欧州世界の拡大の様子と北方十字軍を正当化する論理としてのキリスト教聖戦・正戦論の理論的展開の過程を丁寧に描いた好著である。一九九八年度サントリー学芸賞思想・歴史部門受賞。

人気ライトノベルシリーズ「狼と香辛料」の著者支倉凍砂氏が同シリーズの執筆に際しての参考書籍の一覧が話題(参考1参考2)になっていたが、その一つとして本書を挙げていた。支倉氏のコメント通り僕もとても面白い本だと思う。

十字軍とは何か、『経済的問題や政治的問題を踏まえつつも、異教徒の攻撃からキリスト教とキリスト教徒を守り、キリスト教世界を純化し拡大する、という宗教的な課題を武力に訴えても実行する』(P70)という精神に基づく軍事的運動であった。その始まりは一〇九五年のローマ教皇ウルバヌス2世の演説に始まるが、基本思想は奪回と防衛を前提としていた。これが攻撃と征服を基本思想とする積極的な聖戦論に転化した結果として起きるのが北方十字軍である。

そこで登場するのがクレルヴォーの聖ベルナールである。彼はシトー会の中興として知られ、同時にテンプル騎士団創設のイデオローグとして第二次十字軍を提唱し、また南フランスの異端討伐にも活躍し、そして北方十字軍誕生の契機を作った人物であった。後に聖人に列せられる彼は熱狂的にこう書いている。

『キリストのために殺すか死ぬかすることは罪ではなく、最も名誉あることだからである。殺すのはキリストのためであり、死ぬのはキリストをうることである。キリストは、当然のこととしてかつ喜んで、敵を罰するために彼らの死を受け入れた。彼は、さらに快く、死した騎士の慰めに専心する。私はいいたい。キリストの騎士は恐れることなく殺し、さらに安んじて死ぬ、と。キリストのために殺し、キリストのために死ぬのであれば、ますます良い。キリストの騎士は理由もなく刀を帯びているのではない。彼は、悪行を罰し、善を褒め称えるための神の使いなのだ。悪行者も殺害しても、彼はまさしく殺人者ではなく、もしそういえるとすれば、悪殺者(malicida)である。キリストの騎士は、明らかに、悪しき者の処罰者、キリスト教の守護者とみなされる。たとえ自らが死したとしても、彼は死滅したのではなく、天に到達したことを知る。それゆえ彼が科する死はキリストの利益であり、彼が引き受ける死は彼の利益である。異教徒の死はキリスト者の名誉である。なぜなら、それはキリストの栄光を称えるものだからである。』(P86-87)

一一四七年、聖ベルナールは第二次十字軍への参加をドイツ北部の諸侯に呼びかけたが、彼らの領地の北方に広がる異教徒世界への拡大の方に興味を持っていた。そこで聖ベルナールは方針転換し、北方の異教徒支配地域をキリスト教化する十字軍の結成を呼び掛けた。『かの異教徒たちを完全に根絶するか、確実に改宗』(P92)させよと言ったという。

一一四七年四月十三日、教皇エウゲニウス3世も聖ベルナールの報告に応じて北方十字軍の結成を呼びかけ、かくして、三百年以上に渡る長い長いバルト・スラブ侵略戦争が始まった。

まずポーランドのヴィスワ川西岸に住むヴェンデ人に対する攻撃から始まり、リヴォニア、エストニア、プロイセンなどの諸部族が攻撃と改宗運動の対象となり、熾烈な戦いが繰り広げられた。やがて軍事的に優勢な「キリストの騎士」たちによって次々と異教徒は虐殺され、あるいは改宗の果てに文化的に絶滅させられていく。

一三世紀、北方征服の常備十字軍として騎士修道会が作られることとなり、まず誕生した刀剣騎士修道会はあまりに悪辣・残虐すぎたためキリスト教世界ですら支持を失い消滅、その刀剣騎士修道会を吸収するなどして勢力を拡大したのがドイツ騎士修道会であった。

破竹の勢いでプロイセン一帯をキリスト教化し、容赦なく破壊と略奪と殺戮を繰り広げるドイツ騎士修道会だったが、流石に無敵とはいえなかった。一二四二年、カトリック国ポーランドとの連合でノブゴロド公国に侵攻するものの英雄アレクサンドル・ネフスキーによって撃退され、続いてドイツ騎士修道会はポーランドが領有するはずの諸地域すら傘下に治めようとしたことで、ポーランドが離反、逆に異教徒と連携してドイツ騎士修道会最大のライバルとして立ちはだかることになる。

一三世紀後半から一五世紀にかけて、バルト海の大国として台頭していたのがリトアニアで、一三八五年、反ドイツ騎士修道会連合としてポーランドとリトアニアは同盟を結成、リトアニア王ヤギェウォはポーランド王女ヤドヴィガと結婚し、ヤギェウォをはじめとする王族、重臣がキリスト教に改宗の上でヤギェウォはヴワディスワフ2世を名乗ってポーランドと同君連合を組み、リトアニア・ポーランド連合によるドイツ騎士修道会への反撃を開始する。

ドイツ騎士修道会は流石に驚いた。敵であるはずのリトアニアがキリスト教に改宗してしまうと異教徒への攻撃を目的とする同会の存在理由が無くなってしまう。そこでリトアニアの改宗はうわべだけだとして(勿論その通りなのだが、国王は意外と本気だったらしい)、攻撃を継続、一四一〇年、両勢力による中世ヨーロッパ最大の会戦タンネンベルクの戦いを迎えた。一進一退の激しい攻防の末、ドイツ騎士修道会は中枢メンバーが悉く戦死する壊滅的な敗北を喫し、その勢力は著しく衰え、また、北方十字軍もほぼ終わりを迎えていった。また、リトアニアも本格的にキリスト教国化していき、カトリック欧州世界がほぼ確定していく。

この過程が非常に詳しく描かれていて、特に一九世紀以降の大国の思惑に翻弄されるポーランドやバルト諸国がぶいぶい言わせていた全盛期を垣間見ることができるので、欧州史ファンは特に楽しめるのではないだろうか。

また、正戦論の展開の視点からも、特にポーランドとドイツ騎士修道会とが戦争の正当性を巡って論争を繰り広げたコンスタンツ論争での様子も詳述されているので、非常に面白いと思う。教会大分裂(参考「600年前のローマ教皇(法王)退位「教会大分裂(大シスマ)」終結までの歴史まとめ」)の解消やフスの火刑を決定したコンスタンツ公会議で、同時に欧州のその後の戦争観を大きく左右する重要な論争が行われていたのだ。

コンスタンツ公会議でドイツ騎士修道会側は「ホスティエンシスの見解」と呼ばれる一四世紀の異教徒に対する法的認識を踏まえてすべての裁判権、統治権、所有権はキリスト教徒のみが有し、異教徒の下には存在しないと主張する。その見解を踏まえて異教徒への攻撃を教皇や皇帝から委任されている自身の正当性を唱えた。

これに対してポーランド側は、当時ポーランド最高の教会法学者であったパウルス・ウラディミリを使者として、異教徒もまたキリストの羊であり、異教徒もキリスト教徒も等しく保護されるものだと主張する。すなわち『キリスト教の君主たちは、正当原因(iusta causa)がない限り、ユダヤ人やその他異教徒たちを自己の支配地から追放してはならず、彼らから掠奪してはならない』(P282)として、ドイツ騎士修道会の数々の侵略行為が不当であることを訴えた。

ウラディミリの論は後のグロティウスをはじめとする国際法思想の偉大な先駆として位置付けられる。

『万民法すなわち自然法および人定法によれば、物の所有権は明らかである。すなわち、ある者によって先占された物は、他者によっては占有されえない。それは自然法の禁止するところである』(P283)

『異教の放棄は自由意思によらねばならない。なぜなら、多くの教会法が主張するように、この召命が効力を有するのは、神の恩寵によるしかないからである』(P283)

『法は静かに暮らすことを望んでいる者たちを苦しめてはならない』(P282)

しかし、コンスタンツ公会議ではこの論争に決着をつけることは出来なかった。ドイツ騎士修道会の主張を認めつつ、ポーランドを罰する訳でもなく、またポーランド国王をロシアにおける教皇代理に任命するなど厚遇し、論争そのものは曖昧な形でうやむやにした。ウラディミリの先駆的な思想も長く歴史の闇に眠ることになる。

その責任回避が後に欧州全土のみならず世界中を血で血を洗う戦争に巻き込んでいく。聖ベルナールが唱えたような北方十字軍で醸成された異教徒への不寛容は、ドイツ騎士修道会の消滅による北方十字軍終結後、レコンキスタが完了したスペインに受け継がれ新大陸に向けられていく。スペインによるインカ征服戦争や北米の現地民に対する植民地獲得戦争は北方十字軍精神というべき異教徒の権利を一切認めない攻撃的な聖戦思想に貫かれていた。また、一六世紀に欧州全土を覆う苛烈な宗教戦争も同様だ。

北方十字軍は歴史上、それほど重きを置かれてきたとは言えないが、むしろその生起から終結までの過程を丁寧に追うことで、実は歴史上非常に重要であったということを見事に浮き彫りにしており、とても読みごたえがある一冊である。もう欧州中世史を学ぶ人の必読本と言ってもいいと思う。

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