タカミムスヒ→アマテラス論の古事記日本書紀でのズレについて

タカミムスヒからアマテラスへという戦後知識人の妄想 – 国家鮟鱇

だが俺には「タカミムスヒ→アマテラス」説は、とても重要なことをスルーしているとしか思えないのだ。

それは『日本書紀』本文で天孫降臨を命じているのはタカミムスヒ(「皇祖高皇産霊尊」と明記してある)であり、アマテラスが命じているのは「一書」の方であるということだ。「本文」に書くということは、これが正統だと『日本書紀』の編者が主張しているということであり「一書」の方が異説とみなされているのだと考えるのが自然だろう。

これが逆なら話はわかる。本当はタカミムスヒだったのを『書紀』が改竄したのだと。ところがそうではないのだ。むしろそこから連想されるのはアマテラスからタカミムスヒへの転換だ。

こんな重要なことを軽視して都合の良いところだけを採用するというのは、実のところ戦前の思想の表面的な裏返しにすぎず本質的な部分は変わってないのである。

という言及を昨日の記事「「アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る」溝口 睦子 著」にいただいたのですが、溝口氏の同書はその日本書紀と古事記の表記のズレをまず序章で

『このように、『古事記』が国家神、つまり皇祖神として真っ先に掲げているのは、『日本書紀』とは違ってアマテラスである。

(中略)

しかし『古事記』をよく注意して読んでみると、『古事記』がアマテラスをひとりだけ天孫降臨の主神として掲げているのは3(引用者注『古事記』上巻、葦原中国平定条)の一箇所のみで、あとの七か所ある場面ではすべてタカミムスヒの名前をアマテラスと並べて、二神をともに命令を下す主体として記しているのである』(P6-7)

というように最初に取り上げて、『このような、古代天皇制思想の核心部分である国家神についての疑問の解明が、本書の主要なテーマである。』(P7)としているほか、同書の「第2章タカミムスヒの登場」でまるまる一章かけて考察されているだけでなく、その章はあくまで要点のみであるとしてタカミムスヒ→アマテラス転換の『結論が出された詳しい経緯は別稿に譲って』(P63)と同氏の著書「王権神話の二元構造」が挙げられているので、軽視しているのかどうか、お読みになってみるとよろしいかと思いますよ。

まぁ、僕も特に詳しくはなくタカミムスヒ→アマテラス論の信奉者でもなんでも無いので、このあたりの経緯や議論はとても興味深いところであり、他の研究者の意見も読んでみたいと思います。とりあえず近所の図書館で「王権神話の二元構造」の在庫検索したけど無かった・・・残念。

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