「路上観察学入門 (ちくま文庫)」赤瀬川原平 藤森照信 南伸坊・編著

路上観察学入門 (ちくま文庫)
筑摩書房
売り上げランキング: 95,041

芸術史上画期的な発見の一つに「風景の発見」があるとされる。柄谷行人「定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)」によると、『「固定的な視点を持つ一人の人間から、統一的に把握される」対象』(柄谷P21)としての風景の発見は十八世紀ロマン派においてであった。このロマン派で発見された風景とは、エドマンド・バークが美と区別した崇高と呼ばれる『それまで威圧的でしかなかった深いな自然対象に快を見出す態度』(柄谷P33)であり、カントはその崇高としての風景において『内なる理性の無限性が確認される』(柄谷P33)とした。

この風景の発見は風景を見る内面を持った主体としての個人によってはじめて見出されるものであり、風景の発見と内面の発見によって近代的自我を持つ個人の誕生へと繋がっていく。この歴史的展開があってこそ、「風景」すなわち「客観」を「観察」する視点が生まれ近代以降の様々な文学・芸術・学問・科学が大きく発展することになった。

この風景を快と見る個人の誕生が、近代において客観であるところの風景を自立した個人が楽しむという娯楽としての散歩を生む。というわけで、この本「路上観察学入門」についてのちょっと長ったらしい前置きはここまでにしておいて、本題。以下敬称略。

「路上観察学」とは、八〇年代半ば、トマソンと呼ばれる『町の各種建造物に組込まれたまま保存されている無用の長物的物件』(P5)の名付け親である作家・芸術家の赤瀬川原平、建築史家の藤森照信、イラストレイター・エッセイストの南伸坊らによって提唱された趣味的学問で八六年には路上観察学会という団体も創設されている。その「路上観察学」について、赤瀬川、藤森、南を中心に趣味嗜好を同じくする人々によって入門的に編纂されたのが「路上観察学入門」という本だ。

彼らが「路上観察学」を提唱するに至った経緯を藤森が書いている。要するに今和次郎と吉田謙吉によって始められた「考現学」という言葉は使い易すぎる言葉ゆえにメディアで多用され、消費を煽る言説としてなんでもありな状態となってしまい『昨今の考現学は少し商売人さんたちの手アカがつきすぎている』(P8)。

美と崇高とが一体であったところから崇高としての風景が分離して誕生したように、路上観察学は『芸術と博物学をなつかしい故郷』(P21)としている。芸術と路上観察の違いは、『芸術には作者がいて作品が生れ、その作品には作者の心や思想や美意識がギュウ詰めに詰まっている』(P12)。つまり作品として「鑑賞」されるものだ。これに対して路上観察の対象となるのは『マンホールのフタやトマソンや消火栓やビルのカケラやニワトリ小屋に転用されたテレビ』(P12)など作品ではなく「物件」だから、鑑賞の対象ではなく、「観察」されるものだ。

路上観察学の要点はその「観察」という行為にある。科学的アプローチの重視だ。昔の学問は観察と記録から始まった。そのルーツとして「博物学」が存在する。やがて博物学から分化した諸学問の隆盛によって博物学は廃れるが、「路上観察学」はその原点に戻ろうという運動と位置づけられる。『もう一度、歩いて観察する所からはじめるのだ。路上観察の四文字があまりに非アカデミックというなら、フィールド・ワークといったらいい。』(P15)

路上観察の対象となる「物件」は全体秩序としての「空間」からはみ出した「物体」のことを指す。わかりやすく言うと本来の状態から自然とズレているものだ。『この世に存在する物体はすべて意図して作られているわけだが』(P18)、『観察によって、その意図の線上からズレてしまった部分を発見』する行為が路上観察であり、ゆえに科学的営みとしての「観察」が重視されることになる。一方で「受け狙い」は意図あるものとして否定される。あくまで自然なズレを発見して楽しむというものだ。

路上観察学の母「考現学」の誕生は大正十二年(一九二三)の関東大震災が契機となっている。柳田國男に師事して東北の民家研究を行っていた今和次郎と吉田謙吉(後に日本演劇史における舞台美術の草分けと呼ばれる)が関東大震災で灰燼に帰した東京で、ガレキの中から古いものと新しいものとが混在して生まれていく様に驚き、それを考古学的方法で記録しようとスケッチを始めたのが始まりである。吉田謙吉に影響されて今和次郎が始めたというから、吉田が祖になるようだ。後に今は柳田の下を飛び出して「考現学」を提唱、日本風俗学・生活学誕生の母体となっていく。考現学は視点の珍しさはあるが、徹底した資料収集と観察に裏打ちされている反面、学問として完成していく過程で魅力を失っていったと同書のメンバーは認識しているようだ。

ということで、同書では赤瀬川、藤森による概論、赤瀬川、藤森、南の対談、メンバーによる路上観察の報告、荒俣宏、四方田犬彦、杉浦日向子による関連読み物などが掲載されていて、荒削りながらも路上観察学の混沌としたパワーは感じられる内容になっていて面白いと思う。

個人的には僕は路上観察というスタンスには立っていない。藤森が書いている路上観察と共に誕生した「空間派」に近いがそれともちょっと違う。藤森によると空間派は僕も好きな本の一つである陣内秀信の名著「東京の空間人類学」など都市の空間に潜む視覚的印象を一つにまとめ上げる秩序を記号論的に読み取ろうとする態度を指しているようだ。いわば全体像を見ようとするものなのだろう。

僕の散歩は確かに全体を意識するものの、もっと狭い「場所」の文脈を重視する。歴史のコンテキストで場所に積み重なってきたかもしれない虚構としての精神・物語を読もうとするので、敢えて言うなら「地霊(ゲニウス・ロキ)派」とでも言うものかもしれない。まぁ、なんちゃら派には属したくなくて、個人的営みとして完結させたいというのが本音だ。狭く限られた場所に拘って探究するので「観察」というアプローチを取り、路上観察学とも親近感は無きにしも非ずだが、今の生活や風俗や営みや自然と生じたズレとしての「物件」にはさほど興味を持っていない。

むしろ歩いていても路上観察学が対象としているだろう人の営みとか都市生活の残滓とはちょっと距離を置きたいな、人間邪魔だなぐらいに思っている。暗渠や坂、雑木林や山道、湧水や川、宗教的オブジェや歴史的建造物が興味の対象だし、さらには今そこには無い、かつてそこにあった何かにこそ思いを馳せる。

とはいえ、この科学的アプローチとしての「観察」を重視する「路上観察学」は娯楽的側面と学術的側面とを上手くブレンドして、散歩のモデルの一つを浮かび上がらせる試みとして評価されるべきだと思う。まぁ、学問的厳密性が追究されているという印象はそれほどないが黎明期の面白さは確かに感じる。

一方で、「科学的手法」の名の下に目的が正当化されている印象も否めない。南が今和次郎が当時の女性たちをつけ回して散歩コースを記録した調査を挙げて冗談めかして「まるで痴漢ですよ」と言い、赤瀬川は「僕に言わせるとほとんど芸術」と言っているが、「芸術」的であるということは、「路上観察学」が求めるものとは対立するものではなかったっけ。あるいは一九七〇年の南による「文化団地23号館の状況」という各団地の様子を観察して「40代の主婦ふとんをしきはじめる」等個別に記録しているのとか、森伸之による「女子高生制服ウォッチング」と称した街中での女子高生の制服観察記録での『何ぶんこちらは「中身」じゃなくて「外身」を問題にしているわけだから、人格とかのハナシはひとまず置いといて下さい』(P251)というエクスキューズとか、確かに行き過ぎ感は覚える。

路上観察学であれ考現学であれ趣味の散歩であれ、それらがいずれも個人の誕生を契機として生まれ、個人を主体とした営みであり続ける限り、風景の中にも人がいるということ、すなわち公共性をどう意識し適切な関係性を保つかが問われなければならない。個人と社会との関係はいかにあるべきか、という問いと散歩における散歩者と風景との関係はいかにあるべきかという問いは、たとえ風景の中に人が居なくとも、全く同じ構造の上にある。どれほど人間邪魔だなと思ったとしても、風景の中には厳然として人の営みが存在しているということに、より自覚的であらなければならいと常々思っている。

そんなわけで、「散歩」を考えたい人にオススメの一冊。

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