鎌倉権力闘争の舞台となった比企谷の妙本寺

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妙本寺総門

妙本寺総門

妙本寺の歴史

日蓮宗長興山妙本寺はかつて比企谷(ひきがや、ひきがやつ)と呼ばれた谷戸にある桜やカイドウをはじめとする四季折々の草花が綺麗な静謐な雰囲気の寺院です。開創は文応元年(1260)。

元々この一帯には鎌倉幕府初期の有力御家人比企氏の館があり、その名を取って比企谷と呼ばれていましたが、頼朝死後、北条時政と二代将軍頼家の義父比企能員の対立が先鋭化し、建仁三年(1203)、北条時政が比企能員を謀殺、北条軍が当地の比企館を攻撃して比企氏を滅亡に追い込みます(比企の乱)。

比企一族は女子供に至るまで悉く殺された中で唯一比企能員の末子大学三郎能本が生き残り京都に逃れて出家し順徳天皇に仕えたが順徳天皇が承久の乱によって佐渡に流されるとそれに従い、後に赦されて鎌倉に戻り、日蓮に師事、日学妙本と名乗りました。

その後、頼家の娘竹ノ御所が住んでいましたが、竹ノ御所が文暦元年(1234)に亡くなると、文応元年(1260)、その菩提を弔うため日学妙本によって法華堂が建立、妙本寺とされたと伝わります。

妙本寺参道

妙本寺参道

妙本寺祖師堂

妙本寺祖師堂

訪れたのは三月末の桜が見ごろを迎えたころで、桜とカイドウがとても綺麗でした。

日蓮像

妙本寺日蓮像

境内の植物

妙本寺境内の桜

妙本寺境内の桜

妙本寺境内の桜

妙本寺境内のしだれ桜とカイドウ

妙本寺境内のしだれ桜とカイドウ

女性を巡って三角関係に陥っていた中原中也と小林秀雄がこのカイドウの下で和解したという。

比企氏の墓

比企氏の墓

この地で族滅した比企氏の墓。

一幡袖塚

一幡袖塚

二代将軍頼家の長子一幡を弔った塚。比企の乱は体調を崩して床に伏せった二代将軍頼家の不在を狙って北条時政が頼家弟の実朝(後の三代将軍)を擁立してクーデターを起こしたもので、頼家の長子一幡は比企能員の娘若狭局の子にあたることから、乱に乗じて殺害されました。その一幡の着物の袖が焼け跡から見つかったことからそれを弔った塚です。

蛇苦止堂

蛇苦止堂

文応元年(1260)十月十五日夕刻、連署(副執権)北条政村の娘の一人が突如錯乱し蛇のように体をよじらせて狂態を見せた。錯乱した姫が語る所によると、姫に乗り移っているのは比企の乱で死んだ能員の娘の一人讃岐局の怨霊で、比企谷の地下で大きな角の生えた大蛇となって火炎の苦を味わい続けているという。その怨霊を鎮めるべく鶴岡八幡宮別当隆弁が供養を行い、政村がその怨霊を弔うために建てたのが、妙本寺の裏手にある蛇苦止堂です。

かなり血みどろの歴史に彩られていますが、現在はとても静かで参拝客も多く訪れる美しく雰囲気の良い寺院となっています。祇園山に囲まれた静謐な雰囲気に惹かれて鎌倉に行くとちょくちょく足を運ぶ場所の一つです。


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JR横須賀線鎌倉駅徒歩10分

参考書籍・サイト
・奥富 敬之 著「鎌倉史跡事典
・松尾 剛次 著「鎌倉 古寺を歩く―宗教都市の風景 (歴史文化ライブラリー)
ホーム/境内散策 | 日蓮宗 霊跡本山 比企谷 妙本寺

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