書籍に奥書が書かれるのは享保の改革の出版統制・検閲政策から

徳川吉宗による出版統制・検閲令について軽くメモ。

現在の書籍で必ず書かれる奥書(奥付)だが、これが一般的に書籍に記されるようになったのは享保の改革のこと。享保七年(1722)十一月、吉宗政権は出版統制・検閲強化を目的として新刊書に関する五箇条の法令を出した。その第四条にこうある。

一、 何書物ニよらじ此後新板之物、作者并版元実名奥書致可申事(大石学「吉宗と享保の改革」P149)

如何なる書物であっても今後新刊書は作者ならびに版元の実名を奥書として書くこと、と定められた。

ちなみに第一条は、今後新刊書は儒書・仏教書・神道書・医学書・歌書の出版は許可するが異説を交えた物は禁止すること、第二条は過去に出版された書籍のうち好色本を絶版とすること、第三条は諸家の先祖について誤りを記し世の中に流布することを禁止し、子孫からの申し出のあった場合には取調べを行うこと、第五条は徳川家康を初めとして徳川家に関する書籍の出版を一切禁止することが定められている。

同時に検閲体制も整えられ、江戸・京都・大阪で公認の本屋仲間の代表が『あらたに出版される新書について、幕府が出版を禁止した「禁書」や、他の出版物と同一のものである「重板」、同一でないにしてもよく似た内容である「類板」にあたるかどうか、事前に内容を検閲する体制が整備された』(大石学「吉宗と享保の改革」P150)。以後順次出版統制は強化され、風説・心中物・博奕関連での絵双六本の出版が禁止され、幕府批判の弾圧と思想統制がはかられた。以後、享保の改革の出版統制策は引き継がれ、幕府の規制への抵抗として、法の網の目をかいくぐりながら出版文化もまた盛り上がっていく。

吉宗と享保の改革 (教養の日本史)
大石 学
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