「労働を通じての絶滅」~第二次大戦中ドイツ産業での囚人労働力の酷使

先日紹介したロバート・ジェラテリー著「ヒトラーを支持したドイツ国民」で特に興味深かったのが、強制収容所の囚人を企業や、市民たちが労働力として活用していたということだった。

収容所についてのナチの方針は「労働を通じての絶滅」という『イデオロギーと経済観念が混然となった』(P250)思想であった。アウシュヴィッツ収容所に掲げられた「働けば自由になれる」というスローガンを思い起こすならば、そのスローガンが示す真意はあきらかだろう。

強制収容所は当初共産党員やユダヤ人、各種刑法犯の収容を目的としていたが、やがて非社会的分子とされる様々な社会的アウトサイダー(乞食、浮浪者(ジプシー)、売春婦、同性愛者など)の収容に向けられ、また、『医学的にみれば労働に適していながら、正当な理由なしに働くことを二度拒否するか、仕事に就いてもすぐ辞めてしまう人間たち』(P118)を「怠け者」として収容所送りにした。第三帝国において、働かざる者は民族の敵であった。

設置して間もない1933~34年ごろは、ヒトラーは強制収容所の閉鎖も検討していたが、経済政策の成功により国力が回復してくると、対外戦争を本格的に検討し始める。そこで総力戦体制構築のために、国内の秩序を揺るがし、民族共同体の統一を阻害する者の排除が最優先課題であると認識して強制収容所施設の拡大に方針転換、開戦後にはポーランドを占領してポーランド人労働者を大量に徴収し、続く対ソ戦争でも大量の捕虜を獲得、彼らはいくらでも補充可能な無尽蔵の囚人労働力とうつり、文字通り死ぬまで働かせた。

彼らはただ強制収容所での労働に従事しただけではなく、強制収容所の周辺住民や民間企業が積極的に労働力として活用したということが、この本であきらかにされている。収容所の『地元農民は囚人を、「申し込んで」「借り出し」、低賃金で使い、搾取した。』(P247)

『明らかに一般市民も、自分たちのために囚人を強制して働かせることをなんとも思っていなかった。政権が、囚人を「人間以下の人間」、国家の敵、犯罪者として烙印を押していたからだ。』(P247)

民間企業も積極的に囚人を労働力として酷使した。まず航空機産業のハインケル社が「A4」ロケットの組み立てラインで囚人を働かせ、これを主導した同社技術者アルトゥール・ルドルフを初めとする技術者チームは後に米国に渡りアメリカ宇宙計画に携わる。ユンカース社、メッサーシュミット社が同社に続いて囚人を自由に使える労働力として利用した。

化学企業IGファルベン社はナチ幹部のヒムラーと協力して囚人労働者の大規模な利用計画を立案、その工場をアウシュヴィッツに造ることにした。アウシュヴィッツ収容所は同社の計画を前提として大規模収容所へと改装されることとなり、多くの囚人が同社工場の製造工程で死んでいった。

他にもジーメンス、ダイムラー・ベンツ、フォルクスワーゲン製作所、バイエリシェ・モーター・ヴェルケ(BMW)なども積極的に囚人を労働力として利用した。事業家・設計者として名高いフェルディナント・ポルシェはヒトラーや親衛隊(SS)に囚人を活用した工場建設計画を提案するなど積極的に働きかけ、彼の工場には、フランス人・オランダ人・ロシア人・ポーランド人・スペイン人などからなる元反ナチ抵抗運動活動家の捕虜が多く働かされ、後にアウシュヴィッツ収容所からもハンガリー・ユダヤ人囚人が多数派遣された。

民間企業で働く囚人は、普通の強制収容所よりましなあつかいを受けた』(P260)が、長時間労働と劣悪な衛生状況など酷い環境であったことには変わりがない。ジーメンス社の工場ではユダヤ人女性労働者に対し、解雇で脅すことで、生産効率が非常に高まったという。解雇は収容所への「移送」すなわち死刑を意味していたからだ。例に挙げた大企業だけでなく中小民間企業・工場でも同様に労働力として酷使された。企業は『高い死亡者数を当たり前のこととして勘定に入れていた』(P267)。

『正確にどれだけの男女がドイツ産業のために働いて命を落としたかは、ついに立証されなかった』(P267)

戦後、西ドイツは劇的な経済成長を遂げ、世界有数の経済大国としてその名を馳せることになる。

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