中世鎌倉の慈善活動の中心「極楽寺」

極楽寺

鎌倉を代表する古刹「霊鷲山感応院極楽律寺」通称極楽寺です。今年の春、桜が見ごろを迎えていた頃に参詣しましたが、境内は写真撮影禁止となっていますので、寺院の歴史やエピソードなど紹介だけ。

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極楽寺の歴史

極楽寺がいつの創建か、またその経緯などははっきりとしていないため諸説ある。寺に伝わる縁起では北条重時(第二代執権北条義時の三男)を開基、良観房忍性を開山として正元元年(1259)頃草創、翌文応元年(1260)にかけて寺院の伽藍が整備されたとされているが、伽藍が整備されたのは重時の死(弘長元年(1261)十一月)以後、重時の子長時(1264年没)・業時(1287年没)兄弟の頃のことで、また開山とされる忍性も鎌倉を訪れたのは弘長元年(1261)以降、極楽寺への入寺は文永四年(1267)八月のことである。また、設立当初は浄土教系の寺院で、忍性の入寺以降律宗寺院になったと考えられている。

非人救済活動の中心としての極楽寺

極楽寺は鎌倉における慈善救済の中心地として機能していた。律宗は平安時代の南都六宗の一つに数えられるが、鎌倉時代の律宗は南都六宗時代の律宗とは大きく違い、官僧ではなく私度僧で構成され、穢れ観念を強く持っていた平安時代の律宗と違って葬式儀式に従事し、積極的に非人救済活動を展開した。その代表者が叡尊(1201-90)とその弟子で極楽寺を活動拠点とした忍性(1217-1303)である。

現在とは比較にならないほど大規模な面積を誇っていた極楽寺は百を超える支院を抱え、その中には無料の診療所であった施薬院、孤児や身寄りのない老人・病人を収容する悲田院、ハンセン病(らい病)患者のための癩宿などがあり、中世鎌倉における医療センターの役割を果たしていた。また、土木事業にも精力的で『寺院造営八十三・架橋百八十九、道路修築七十一箇所・井戸掘り三十三カ所』(神谷P98)と伝えられている。

極楽寺は幕府から非人救済活動を一手に請け負っていたらしく、その見返りとして、現在の材木座海岸にあった中世鎌倉最大の貿易港和賀江津の維持管理を委託されるとともに同港の関税徴収権と前浜(由比ヶ浜)の漁業独占権を得ており、莫大な利益を得ていたとされている。この利益が極楽寺の様々な福祉活動の源泉であった。一方で、律宗最大のライバルとして布教活動を行っていたのが日蓮で、日蓮は既得権益を独占する極楽寺の律宗教団を「律国賊」と呼んで強く批判したという。

鎌倉幕府滅亡後の衰退

鎌倉幕府滅亡後、室町幕府や鎌倉公方の庇護を受けて鎌倉有数の寺院としての地位を保っていたが、戦国時代になると火災と災害と戦災などで相次いで建物を喪失、十六世紀以後衰退し、江戸時代になって小規模な形で復興を遂げ、現在へと至る。

境内は桜の季節ともなると非常にきれいで見応えがある。また宝物館には往時を偲ばせる様々な名品が収められている。江ノ島線極楽寺駅の目の前だが、丁度コース的に鎌倉大仏を見てから極楽寺坂方向へと足を延ばして鎌倉七口の一つ極楽寺坂を越えて極楽寺を訪れるというのも良さそうだ。


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江ノ島電鉄線極楽寺駅下車徒歩1分

参考書籍
・神谷道倫著「深く歩く鎌倉史跡散策〈下〉
・松尾剛次著「鎌倉 古寺を歩く―宗教都市の風景 (歴史文化ライブラリー)
・末木文美士著「日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

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