自由主義の歴史が無い社会の陥穽に関するトクヴィルの論メモ

昨日の記事を書いたときに久しぶりにトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」をパラパラと読んでいたので、昨日引用した部分周辺、第二巻(下)「第四部 民主的な観念と感情が政治社会に及ぼす影響について」からまた少し引用してみる。

トクヴィルは平等が重要な理念であることを認めつつ、広がる平等の観念が独立の気風を生む一方で、個々を孤立させ無力にし、その帰結として専制的な権力を生む危険性があることを危惧していた。そんな中で、自由主義の歴史がある社会では、平等から生まれる専制的傾向に対して抵抗が行われ、独立が損なわれることはないが、自由主義の歴史が無いままに平等だけが与えられた社会については以下のように警鐘を鳴らしている。

『かつて自由を知ったことがなく、あるいは長い間これを見失っていた国に平等が成長しだすと、国民の古い習慣が突如として、ある種の自然の魅力に惹かれて、社会状態の産み出す新たな習慣や教義と結びつくに至るので、あらゆる権力がひとりでに中央に馳せ参ずるように見える。権力が驚くべき速さで中央に集積し、国家は一挙にその力の限界に達する一方、私人はたちまちにして無力の極限に落ち込む。』(トクヴィル「アメリカのデモクラシー〈第2巻(下)〉 (岩波文庫)」P225-226)

アメリカと比較してヨーロッパ大陸の諸国への批判として書いたものだが、特に前段は現代の日本社会にも何かしら通じる、というかずばり言い当てているところがあるような。ただ、後段に関して、日本の統治構造の持つ構造的欠陥であり救いでもある特徴は、集積された権力が、行き場を失ったまま浮遊し、雲散霧消していくという点にあって、官僚機構が政治に対する権力の集中を許さず、権限が分散されたまま自律的に活動していく。専制が防止される反面、リーダーシップ・政治権力の行使もまた阻害されがちである、という趣旨のことを以前「日本の統治構造」などで読んだ。

他、このあたりも興味深い。

『多くの党派は政府の行動が悪いと見ているが、すべての党派が政府は絶えず行動すべきで、あらゆることに手を出さねばならぬと考えている。この上なく激しく相争っている諸党派でさえ、この点は一致せずにいない。社会の権力は単一、遍在、全能であり、その規則は画一的であるという見方は現代に生み出されたあらゆる政治的理論体系を特徴づける際立った特色である。』(P217)

『人々が特権に向ける憎悪の念は特権が稀になり、小さくなればなるほど増大するものであり、したがって、民主的情念の炎は火種がもっとも少なくなったその時に一層燃え上がるように思われる。(中略)境遇がすべて不平等である時には、どんなに大きな不平等も目障りではないが、すべてが斉一な中では最小の差異も衝撃的に見える。完璧に斉一になるにつれて、差異を見ることは耐え難くなる。』(P222)

『民主的世紀の人間は自分と同等の隣人に従うことに極度の嫌悪感を覚えざるを得ない。彼は隣人が自分よりすぐれた知識をもつことを承認しない。隣人の正しさを疑い、その力に猜疑の目を向け、彼を恐れ、かつ蔑む。ことあるごとに、二人とも一人の主人に共通に服していることを彼に感じさせようとする。』(P223)

トクヴィルは良くも悪くもブルジョワ貴族なので、啓蒙主義的であると同時に大衆や民主主義への懐疑も持っている。そういうところが、デモクラシーとリベラリズムとの間に生じるジレンマが顕在化してきた現代社会で再注目されているポイントなのだろうとは思う。

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