第一次大戦の前哨戦「第二次モロッコ事件」と仏首相ジョゼフ・カイヨー

1911年五月、仏独間で支配権を巡って懸案となり1905年に一応フランス権益の優越が認められていた北アフリカのモロッコでベルベル人が蜂起し、フランスはその鎮圧のため部隊を派兵、これに対して現地ドイツ人保護を口実としてドイツも軍を送り両軍がモロッコ南西部の都市アガディール周辺で一触即発の危機となった。第二次モロッコ事件またはアガディール危機と呼ばれ、後に第一次世界大戦の前哨戦の一つとして位置づけられる。

このとき、フランス首相に就任したばかりだったのがジョゼフ・カイヨーで、戦争必至のムードが両国に漂い混乱が支配しつつあったが、彼は非常に冷静に対応した。同じくフランス陸軍最高司令官に就任したてのジョッフル将軍にこう尋ねたという。

「将軍、ナポレオンは勝算が七〇%以上だと判断して初めて、戦争に打って出たと聞いております。戦争に突入した場合、我々にはこうした勝算はあるでしょうか」
「いいえ、そのような可能性はないと思います」
「わかりました。では交渉することにしましょう」(「仏独共同通史 第一次世界大戦(上)」P39)

ぎりぎりの交渉の中で両者の妥協点を粘り強く模索したカイヨー首相とフランス駐独大使カンボンはアフリカのフランス領コンゴ、ノイカメルーンなど植民地を一部ドイツに割譲してまでドイツ軍の撤退を引き出し、戦争回避につとめた。一方で、仏独協調を恐れたイギリスはフランス側の後ろ盾となることを宣言し、英仏協商が強化されることとなった。ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世も「仏独間に良好な関係をもたらす」(P41)と確信していたという。

戦争寸前の危機からフランスとドイツの協調、フランスとイギリスの関係強化という最高の結果を導き戦争回避に努めたカイヨーの外交手腕は後世非常に高く評価されているが、同時代の人々にとっては弱腰と映り、フランス国内のナショナリズムを著しく高揚させる。協定の締結を巡って国内世論は紛糾し、協定批准と引き換えにカイヨーは辞任を余儀なくされた。

代わって首相となったのがレイモン・ポワンカレで、彼は世論に配慮してカイヨー政権時代から転換、対独強硬路線を推し進め、1912年のバルカン戦争でロシアと結びドイツを孤立させ、国内でも徴兵制を強化して対決姿勢を煽り、次第に追い詰めていくことになる。第一次大戦の開戦は1913年に大統領となったポワンカレ政権のことだ。戦時中は戦時体制を構築して強いリーダーとして君臨しフランスを勝利に導いたが、戦後も、ドーズ案への反対姿勢を貫き、ルール地方占領を断行するなど敗戦後のドイツを徹底的に追い詰めた。ポワンカレは確かにフランスに勝利をもたらし、また戦後のフランスの復興に多大な貢献をしたが、その強引な強硬姿勢がドイツ国内の混乱を招きナチス台頭の一因になったとも言われ、功罪相半ばしている。

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