1920-30年代日本の失業問題と失業対策を断固拒否した財界人の意見まとめ

最近読んだ加瀬和俊著「失業と救済の近代史」で、1920~30年代に社会問題化した失業問題についての当時の財界を代表する人々の発言がとても興味深かった。

まずは背景として1900年~1930年ごろの日本経済情勢概観を簡単に。(参考書籍は記事下の加瀬、浜野、伊藤、松元著)

政府財政は発足時から慢性的な財政赤字を抱えており、1895年の日清戦争の賠償金で一息ついたものの、1899年の恐慌、1900年の金融危機、日露戦争の戦費負担、輸入超過による正貨流出問題、地方振興・インフラ整備のための財政支出の拡大など構造的問題をいくつも抱えており、文字通り財政危機にあった。と、ここで山積する諸問題に一つ一つ地道に取り組み、抜本的構造改革に乗り出しておけば後の歴史は随分変わっていただろうが、歴史の女神は残酷なほどにいたずら好きである。

1914年、元老井上馨が「天佑」と呼んだ第一次世界大戦が勃発。戦争特需によって日本は一気にバブル景気に沸く。1914年から19年のGNP年平均成長率は驚異の28.5%、実質国民総支出の年平均成長率は7.3%、1915-19年の累計貿易黒字額30億円、輸出額は1914年の約6億円から19年約19億円へ、流出に悩んでいた正貨保有高は1914年末34千万円から20年末217.8千万円へ、日本銀行券の発行高は14年末38.6千万円から19年末155.5千万円へ四倍増、と景気の良い数字が並んでそりゃ成金もお金燃やすって話だ。主力産業である造船・海運・製鋼・製糸・紡績が軒並み急成長を遂げ、金融・銀行業が発展、農業国から工業国へと産業構造が大転換、戦前は緊縮財政を余儀なくされていた政府はここぞとばかりに積極財政に転じて産業振興を促進、戦後は国際連盟の常任理事国入りを果たして維新以来の悲願であった一等国の仲間入り、全ての問題は「天佑」が雲散霧消させた・・・かにみえた。

戦争が終わると、バブルが一気に弾ける。1920年3月、株式市場の暴落を契機として日本は戦後恐慌に突入、信用不安で同4月-7月に169の銀行が取り付けにあい、21の銀行が休業に追い込まれ、政府は25.5千万円の融資を行うが、これが業績悪化企業を生き延びさせることとなり不良債権化する。さらに世界的な生産過剰とインフレで各国が引き締め政策を実施し、世界中をデフレの波が覆う。1923年9月1日、未曾有の大災害となった関東大震災発生、死者行方不明者14万人余、被害総額はGNPの三分の一にあたる55億円と多大な被害を出して首都壊滅、不良債権問題と並んで震災復興費用が重くのしかかる。財源確保のために増税に次ぐ増税を余儀なくされ、地方財政は破綻寸前、農民の生活は窮乏の一途を辿り、1927年には金融恐慌が発生、銀行・企業が次々と連鎖倒産し、1929年、金本位制度復帰のための不良債権処理・貿易赤字解消を目的とした引き締め政策の最中という最悪のタイミングで世界恐慌発生、昭和恐慌へと突入。最後のチャンスの高橋是清財政によるリフレーション政策で迅速に回復しつつあったが、1936年2月26日二・二六事件発生、高橋是清暗殺、大政翼賛・戦時経済体制へと転げ落ちていく。

というわけで、20年代から30年代は農業国から工業国への大規模な産業構造の転換による雇用労働者の増加、すなわち、以前は自営農民・商人・職人として生活できた層が賃金労働しないと生活できない層へと転換し、その後に起きた長期の不況による雇用環境の悪化によって、失業が非常に社会問題として顕在化した時期であった。

職工五人以上の工場の労働者数は1914年男子38万人、女子56万人から19年には74万人と87万人へ、また別の統計では1919年の工場労働者数328万人から29年393万人、31年に366万人に減少したあと増加の一途を辿り、1936年501万人、37年603万人になっている。(加瀬P34-35)失業者総数は統計として取られたのが1930年だけで、その数値は総数32万人(男子29万人、女子3万人)、同年の雇用労働者総数の推計値は約600万人で失業率約5%となるが、この失業者は「雇用されていったん職についていた者のうち、その職を失った者」のみを指すため、戦前と戦後で単純比較は出来ない、とされる。(加瀬P7-8)

そんな中で失業対策は喫緊の課題であった訳だが、当時は失業手当も失業保険も存在せず、職業紹介と公共事業による日雇い労働提供という救済事業のみであった。勿論欧米諸国ではすでに失業保険制度などが始まっており、開明的な官僚たちも海外の事例を参考に失業保険制度を立案したが、財界の猛烈な反対にあって全て頓挫したのである。というわけで、前置きが長くなったが、そんな当時の財界諸氏の御意見を加瀬和俊著「失業と救済の近代史」からまとめてみよう。

失業者対策反対の急先鋒となったのが王子製紙社長藤原銀次郎である。彼は失業対策の弊害について論陣を張り、『各種の労働政策構想に対する妥協なき敵対者として財界のリーダー的役割を果た』(P116)した。

藤原の論は『途上国日本では労働条件が先進国より劣悪であるのは当然であること、働かないで生活できるなら労働者は皆怠け者になってしまうことという原理的理解がまずあり、次いで経営者としての実践的立場に基づいて、景気好転・企業経営の改善がなければ求人は増えないから、必要なら労務コスト削減(首切り)の措置をとることは当然であるという理解が続き「景気好転以外に独自の失業対策は無い」と』(P116-117)して、失業保険や救済事業等一切の失業対策を否定、『企業内の労使関係に国家が介入して企業の自由を制限することは労働者を増長させる結果をもたらす』(P117)と論じた。

日本石油社長内藤久寛も『「人員の需要が起こらなければ、多数の失業者に職を与えるという訳には行か」ないから、「失業問題の根本的対策としては産業の振興を促し、人員の需要を盛んならしむる」以外の方策はない、これに対して政府による労働保護は「産業を委縮させる」し、政府の支えをあてにして労働者が企業に対して要求を出すなどして「労資間に争議を醸すに至れば事業の利益を挙ぐるに由無く、従て投資者の出ざるに至」り失業はますます激化する』(P117-118)として、失業対策全般を否定した。

また、日雇い労働者や俸給労働者だけでなく例えば小津安二郎監督の映画「大学は出たけれど」が公開(1929)されたように高学歴者の失業問題も重要視されていたが、その高学歴者の失業問題に関して「日本経済連盟会」の会員たちの意見(1930年四月)は以下の通り。(加瀬P122-124)

〇学術を修める機関である大学と実業界とは求めるものが異なるから、卒業生が実業界に迎え入れられるのは「根本に於いて無理ある」ことを自覚すべきであり、「必要以上に学問を修むる傾向を阻止することが必要である(三菱商事会長・三宅河百太郎)
〇「教育事業が若し生産工業であったならこんなに売れ口のない卒業生を濫造して責任がないとは謂われ」ない。上級学校の魅力を減らすために「官学全廃、学士号全廃」が必要である(第一生命保険相互会社社長・矢野恒太)
〇実業に役立たない「商科、経済科及法科の卒業生の数を相当の程度迄思い切つて減少」させるべき(日本共立火災保険株式会社会長・原錦吾)
〇「就職難の大原因は高等教育過重の結果」であって産業面の問題ではないから、「教育上の緊縮が今日の急務」である(千代田火災保険会社監査役・山名次郎)
〇「家業を有する者は断然郷里に帰りて家業に精励」し、他は「職業に付選択を行わず又報酬の多寡を論ずることなく」、何でもやるべきである(生命保険会社協会会長・弘世助太郎)
〇「卒業後、進んで職工徒弟の如き下級地位に投じ、実地に叩き上げるという質実剛健の美風を在学中より鼓吹すること」(日本産業社長・鮎川義介)
(中略)
〇「求人側に於て初任給を引下げ下級の職務に就かしむる」べきである(芝浦製作所社長・岩原謙三)
〇「老朽無能が新進の進路を邪魔し居る嫌」ある点の改善を図るべきである(阪神電鉄専務・今西与三郎)
(後略)

財界人の失業対策観の共通点としては『「景気の回復がなければ失業問題は解決しない」ので、「景気回復のためには企業にもうけさせなければならない」、したがって企業利潤を抑制したり、経営の自由度を制約したりする失業対策はマイナスであり、原則として失業対策はとるべきでない』(P118)という趣旨で一貫しており、労働者の地位を高めるような諸政策は全て拒否の姿勢を貫いている。

そのような中にあって失業対策にも理解を示して協力しようとした財界人もいる。渋沢栄一は公共事業による政府の失業救済事業を支援、池田成彬(三井合名会社筆頭常務理事。1932年より三井財閥総帥、1937年より日本銀行総裁、蔵相など歴任)は失業対策委員会で社会局の提案する日雇い失業共済制度普及・退職金制度法制化案を支持し藤原銀次郎と論争していたという。

結局、財界の反対によって不十分な失業対策しか打てなかった結果、雇用情勢は悪化、失業問題は解決せず、社会不安は増大し、やがて職を得られない不安から若者たちを中心に左翼思想が広がり、日々の生活にすら困窮する人々が地方・都市を問わず溢れる中で、世直しの機運が盛り上がっていき、暴動やテロリズムが横行、それを鎮めるべく警察機構が強化され、戦時体制が確立されていく。1920~30年代に顕在化した失業問題はその大きな要因の一つとして存在している。

財界の人々の直感に基づく極論に配慮しすぎて情勢を著しく悪化させてしまった歴史がこの国にはある、ということと、新自由主義とかグローバリズムとかを待たずとも前世紀初頭の段階で現在とさほど変わらない経営者的労働倫理が存在していた、という二点を把握することで、現代の労働問題を少し視点を変えて歴史的に考える一助になるのではないかと思います。

参考書籍

失業と救済の近代史 (歴史文化ライブラリー)
加瀬 和俊
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日本経済史1600‐2000―歴史に読む現代
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