「桂太郎 – 外に帝国主義、内に立憲主義」千葉 功 著

前回の記事『「明治国家の終焉 1900年体制の崩壊」坂野 潤治 著』で桂園時代と大正政変を巡る政局について簡単に紹介したが、その主人公と言うべき人物が桂太郎である。

現代人の間の、明治時代の政治家の知名度でいうと、桂太郎はその事跡に反してかなり低い方ではないだろうか。大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文、板垣退助あたりがほぼみんな知っているビッグネームで、次いで岩倉具視、山縣有朋、大隈重信、井上馨、松方正義、三条実美、黒田清隆、大山巌など、ほぼ明治維新第一世代に集中しているだろう。あとは日清・日露戦争で活躍した軍人たちが並ぶ感じか。

日本近代史上、桂太郎は非常に重要な人物である。明治維新が目指した体制の完成者であり、上記のビッグネームたちとの熾烈な政争を勝ち抜き、あるいは巧みに操縦して、一時は元老たちすら凌駕して天皇の名の下に絶大な権力を振るい、そして民衆の騒乱の中で権力を失った。本書は、桂太郎とは何者だったのか、を丁寧に描いた一冊である。

簡単に来歴だけまとめると、弘化四年(1848)、長州藩の重臣桂家に生まれ、戊辰戦争に参戦。維新後はドイツ留学して近代軍制を学び、帰国後軍政の専門家としてキャリアを積み、日清戦争で活躍。軍政の知識を評価されて初代台湾総督就任、山縣閥に属して天性の調整力を発揮して地位を築き、第二次伊藤内閣で陸相、1901年には初の非元老内閣として首相に任じられ、以後三度に渡って組閣する。1913年までの間政友会の西園寺公望とで交互に組閣し「桂園時代」を築いた。

その間首相として、日英同盟締結、日露戦争指揮、終戦時の条約に対する不満から民衆争乱となった際には日本初の行政戒厳を敷いて弾圧、1910年には韓国併合を断行、同年、天皇暗殺計画があるとして社会主義者24人を逮捕して秘密裁判で12人を処刑(大逆事件)、1911年には不平等条約を解消、同年からの南北朝正閏問題では南朝正統の決断を下し、その間悪化する財政問題に取り組んで破綻を防ぎ、明治天皇死後は内大臣兼侍従長として即位直後の大正天皇を補佐、元老すら掣肘して強権を振るった。

しかし、宮中からみたび首相に返り咲いた第三次桂内閣が成立すると、大正二年(1913)二月、彼の専横と彼が象徴した藩閥政治に対し民衆の不満が爆発、大規模暴動勃発とともに諸勢力を巻きこんで倒閣運動が起こり失脚を余儀なくされた(大正政変)。捲土重来を期して新党設立を画策し立憲同志会を設立、立憲同志会が後に政友会と並んで二大政党制の一翼を担う民政党へと発展するが、設立後まもなくの大正二年十月、病に倒れて死去した。

軍人としてキャリアを出発し、軍政家として日本の植民地支配の方向性を定め、抜群の調整力を発揮して対立する諸勢力の合従連衡をコントロールし、首相となってからは財務の知識を磨き上げ、一貫して緊縮財政を指向、軍閥を代表する存在でありながら軍拡を掣肘しつつ、内政においては苛烈に民衆を弾圧し、財務・軍事・外交・内政いずれにも卓越した手腕を身に着けて、制度としてではなく政治力でもって限りなく独裁者に近い存在へと上り詰めた。桂は「ニコポン政治家」という異名を取るが、これはニコニコと近づいてきて肩をポンと叩かれるだけで彼に籠絡されてしまう、ということからついた。一方で彼には国家構想と呼べるものは無く、ただ維新第一世代が作り上げた枠組みの中で、諸勢力を糾合することで明治国家を完成させた。それが藩閥・官僚を代表する桂太郎と議会を代表する政友会の西園寺公望・原敬との癒着によって成立した「桂園時代」であり、西園寺内閣と言っても桂の意向が大きく影響していた。

強権的でありながら、一方で最晩年には政党の設立へと向かう。彼が目指した政党は「立憲統一党」と名付けられて既存政党の全てを束ねることが出来る独裁的な政党であったという。政友会との連携に限界を見、自らの政党を設立することで、明治国家の統合原理である軍・官僚・議会の全てを手中に収めることで明治国家は完成を見ると考えていたようだ。結局、独裁政党の設立はならず、一部野党や政友会からの脱党者、桂のシンパから構成されるメンバーで構成された「立憲同志会」となったが、後に二大政党の一翼を担うまでに成長することになった。

本書のサブタイトル「外に帝国主義、内に立憲主義」は桂太郎を非難するスローガンとして日露戦争直後の日比谷焼打ち事件などを煽動した「国民主義的対外硬派」という勢力が唱えたものだが、むしろ桂はその実践者となった。対外戦争を勝ち抜き、植民地支配を広げ、明治憲法体制下での支配を目指して軍部・官僚・藩閥・政党あらゆる勢力に影響力を行使した。そして、「外に帝国主義、内に立憲主義」は、後の大正デモクラシー時代においても形を変えて日本の目指すベクトルとして唱えられ続けていくことになる。(参考「日露戦争直後、東京を火の海にした暴動「日比谷焼打ち事件」と大正デモクラシー」)

近代日本史は輝かしい明治維新、民主主義が花開いた大正、暗黒の昭和という対比があるのではなく、明治維新の正しく延長線上に大正デモクラシーがあり、さらにその真っ直ぐ進んだところに抑圧と貧困と侵略の昭和という時代がある、ということが彼の事跡から浮かび上がってくる。その結節点に桂太郎は屹立しており、ゆえに、非常に重要な人物なのである。

余談だが、大正政変を巡るいきさつは現代のエジプト政変と大きく重なり合って見える。桂太郎はキャリアや政変時の地位、立ち振る舞いなども含めて非常にムバーラク元大統領と似たところがあるし、結局、議会政治の発展とひきかえに軍部の台頭をもたらしていく様などもかなりオーバーラップする。ムバーラクは無原則な独裁者のように見えるがむしろ憲法の名の下に強権を振るった立憲主義的な独裁者であった。日本は軍部を初めとした諸勢力を掣肘しえる根本的な構造改革を成し遂げることが出来ないまま破滅への道をひた走ったが、果たしてエジプトは、そして中東諸国はどうなるか。そんなことを思いながら、大正デモクラシー前後の時代についてのいくつかの本を読んでいる。ちなみに同時代が現代日本を彷彿させるという説は、確かに個々の動きで見ると類似した展開は少なくないが、やはり根本的に違うと思っている。

明治国家の終焉 1900年体制の崩壊 (ちくま学芸文庫 ハ 32-1)
坂野 潤治
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政党政治と天皇  日本の歴史22 (講談社学術文庫)
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