「女海賊大全」より『アイルランドの海賊女王グレイス・オマリーの生涯』

最近図書館で見掛けタイトルから漂う民明書房臭に惹かれて借りた本。

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序章 女海賊とは何か

女海賊というとどうしても創作上のワイルドでセクシーな強いお姉さんとしてイメージされることが多い。

『伝統的に女性のものとされていない生活様式、つまり大胆で、移動的で、男性的で、海を放浪する生活を愛する女性たち。その象徴が女海賊である。男性や女性の観客が女海賊という存在に力強い喜びを感じるのも、そのためなのだ。彼女たちはその生活を選び、望む略奪品を手に入れる。女海賊が手に入れる略奪品は力であり、富であり、興奮である。海賊行為は、生きるためにおとなしく束縛されないですむ自由を象徴する。』(スタンリーP20)

しかし、これはあくまで創作上のイメージであって、事実ではない。

歴史上、海上で掠奪や殺戮、戦闘を行うことを生業とする海賊として語られてきた人物は圧倒的に男性が多く、また実際、ほとんどが男性であった。しかし、女性がいなかったわけではない。海賊船に乗った女性たちはまず男性海賊の妻子や親族、愛人などの一族、娼婦など性産業に従事した人々、ほか、そして水夫、甲板長、大工、御針子、料理人など船内での労働者にも女性は従事していた。そのほとんどが男性海賊の下で働く名もなき女性労働者たちで、男性の海賊同様、創作でみられるような自由や富や野心から海賊になったのではなく、多くが洋の東西を問わず当時の社会の下層に位置して、職業として海賊業しか選択肢が無いがゆえにその職に就き、ごくごく限られた人々を除いて歴史に名を残すことなく生きて死んでいった。

歴史上女海賊として名を遺したのは、わずか十人しかいない。そのうち三人は伝説上の人物(古代ギリシアのハリカルナッスス女王アルテミシア、イリリア女王テウタ、デーン人の女海賊アルヴェルダ)で名は残しても実在自体が疑わしく、四人(アン・ボニー、メアリ・リード、ロ・ホン・チョ、ライ・チョイ・サン)は男性海賊の配下として知られ、海賊の頭目として男たちを率いて活躍した女海賊は記録に残る限り歴史上、わずか三人である。そのうち一人はギリシア独立戦争で活躍した女提督ラスカリナ・ボウボウリナ(1771-1845)で海賊と言うよりは軍人として知られているため、実質、頭目としての女海賊は二人、清末の混乱期に下層階級から身を起こし最後は四百隻もの大船団を率いた鄭一嫂(チェン・イ・サオ:1775-1844)とアイルランドの海賊女王グラニュウェールことグレイス・オマリー(1530-1603)である。

グレイス・オマリーの生涯がとても面白いので同書の第七章『アン・チェンバーズ著「アイルランドの海賊女王」グレイス・オマリー』から主に彼女の生涯を、川北稔編「イギリス史」、ルネ・フレシェ著「アイルランド」をあわせて参照して同時代の歴史的背景について補完しつつ紹介したい。

第一章 グレイス・オマリー、夫の敵を討ち女海賊となる

グレイス・オマリーは1530年、アイルランド西岸コナハト地方クルー湾沿岸(現在のアイルランド共和国メイヨー州)ウール王国族長ドゥダラ・オマリーの一人娘として生まれた。古くからオマリー一族は「海と陸の勇者」を謳い、海産物の貿易と海上での掠奪を主な収益として財を成していたという。父ドゥダラは海上貿易を通じた莫大な収入を背景にして、当時着々とアイルランド侵略を始めていたイングランドに屈することなく毅然として独立を守る強い族長であったらしい。

グレイスは十五歳で地元の有力な族長ドナル=アン=コーギッグ・オフラハティに嫁ぎ、二人の子(長男オーウェン、次男マロウ)をもうけるが、夫のドナルは猪突猛進タイプの典型的な族長であったらしく、統治には無関心で盛んに戦いを好み、彼の部族の統治下にある人々は苦しい生活を強いられたらしい。自ずとグレイスが内政に携わることとなり、また、その才があったらしく、彼女が実質的なオフラハティ一族の指導者としての役割を担うようになる。

結婚からほどなくして夫のドナルは宿敵ジョイス一族から奪った要塞コックス(雄鶏)城を巡る攻防の最中に戦死、ジョイス一族は城を奪還する。夫の死を聞いたグレイスは直ちに自らオフラハティ一族を率いて報復戦に出て、すっかり油断しきったジョイス一族を撃滅しコックス城を奪還、コックス城は彼女にちなんでヘンズ(雌鶏)城と改名されたという。

勇気と統率力を示したグレイスだったが、部族の慣習により女性の族長は認められず夫の従兄弟が次期族長に決まると、彼女はそれに異を唱え、すっかり彼女に心酔したオフラハティ一族二百人を連れて父の領土に戻り、クルー湾沖に浮かぶクレア島に拠点を築いて、父の船団を受け継ぎ、海賊業を開始した。後の海賊女王グラニュウェールの誕生である。同書では「半世紀以上に渡って」というからグレイスが海賊業を始めたときはおそらく二〇歳に満たなかったころだろう。

第二章 海賊女王、再婚相手を追放する

海賊船長として卓越した手腕をもっていたようで、イングランド、フランス、スペインの商船が次々と彼女の船団に襲われ、ワイン、鉄、塩、絹織物や宝石などが奪われていった。被害にあった商船からイングランド王室に対してグレイスの海賊船が「いとも残酷に何人かの若者を殺戮し、交易を望んでいる人々に大きな恐怖を与えている」と申し入れているが、彼女のガレー船は非常に機動力が高く、「三〇本の櫂と帆を使って進み、船上には彼女を守ろうと一〇〇人の優秀な射手が待機している」(P135)。

好き勝手に暴れまわるグラニュウェール一味に対し、ついに業を煮やしたイングランドが軍を差し向け彼女の城を包囲するが、彼女は二一日間の包囲を耐えて突如攻撃に転じるとイングランド軍を撃退してしまう。

まさかのイングランド軍撃退でその強さを見せつけたグレイスだが、さすがにまた独力でイングランド当局の弾圧をかいくぐるのは無理があると考えたか、彼女の後ろ盾となる人物を求め、クルー湾北辺のロックフリート城城主リチャード=イン=アイアン・バークと再婚をすることになった。ただし一年契約で、それ以降はお互いが望めば離婚できるとする結婚である。

果たして一年後、グレイスは突如部下たちを城内に配置して城を占拠するとリチャードを締め出し、こう叫んだ。「リチャード・バーク、お前を放逐する!」まんまと夫を追放して城を手に入れた彼女だったが、意外と二人の相性は良かったのか後に復縁して、三男(ティボット)も生まれ、生涯連れ添うことになった。ティボットは船上で生まれ、産後すぐに敵襲があって出産直後というのに彼女は戦闘指揮を執っていたという。後にグレイスと対面したアイルランド総督(Lord Deputy)ヘンリー・シドニー卿(在任1565-71年、1575-78年)の記録からリチャードがグレイスに頭が上がらなかったことが明らかであるという。

第三章 アイルランド侵略前史

グレイスの後半生は当時のイングランドとアイルランドの関係が非常に深く関ってくるのでここで少し歴史的背景について整理しておこう。

アイルランドとイングランドとの関係の最初の転機は十二世紀のことである。五世紀から八世紀にかけてキリスト教が広がっていたが、ローマカトリック教会に与せず独自の教会組織を形成し政治的にも諸部族乱立で、ヨーロッパとは一線を画していた。1170年、プランタジネット朝イングランド王ヘンリ2世がアイルランド南西部レンスター王ダーモット・マクマローの救援要請に応える形で侵攻を開始。以後、アングロ・ノルマン人が高い戦闘力を背景にしてアイルランド全土を席巻する。

文化的にイングランド化が進み、イングランド王の代理機関が置かれて支配体制が始められたものの、ゲール人勢力の強力な巻き返しと、広大な版図を誇ったアンジュ―帝国イングランド王権のジョン欠地王の失墜に始まる弱体化から百年戦争・薔薇戦争まで約二世紀余りに渡る混乱で、イングランド王権の影響力は十五世紀ごろまでにほぼアイルランドから一掃、移住していたアングロ・ノルマン貴族たちもイングランドの支配から離れて現地化していた。

1485年、薔薇戦争が終結しヘンリ7世(在位1485-1509年)が即位してテューダー朝が成立すると、アイルランド情勢は大きく転機を迎える。それまで、形ばかりのアイルランド総督は現地化した貴族キルデア伯が世襲するところとなっていた。キルデア伯の歴代当主はアイルランドの諸部族と強力な同盟関係を築いて権門として強い影響力を誇っていたから、当初ヘンリ7世はキルデア伯を排しようとしたが叶わない。次代のヘンリ8世(在位1509-47年)は、トマス・クロムウェルらを重用し、イングランド国教会を設立するなど強力な王権の確立を目指したが、その一環でアイルランド政策も見直しがされはじめる。

1534年、国王秘書トマス・クロムウェル主導でのキルデア伯支配への介入に対し、堪えかねたキルデア伯が反乱を起こすと、すぐに軍が差し向けられ鎮圧される。これまでのキルデア伯に対する委任統治から一転、アイルランド直接統治に乗り出した。1541年、アイルランド議会でアイルランドの王国昇格とイングランド王ヘンリ八世のアイルランド王就任が議決され、それを実効支配に移すため、諸部族に対する懐柔政策が進められる。

その懐柔政策が「譲渡と再授封」である。これは現地の諸部族長に対して、一旦その領地をヘンリ八世に譲渡させ、あらためてその領地に封じることによってヘンリ八世が族長の地位と財産を保障し、英国慣習法に基づく封建体制に組み込もうとするものだ。旧来の現地法であるブレホン法は男系血縁集団を財産所有の主体とし、族長は支配一族から土地の統治を委託されるにすぎず、ゆえに後継者や権力を巡る争いが慢性化するという特徴があった。かつてグレイスが後継者に選ばれなかったのもこのブレホン法の慣習に基づいている。英国慣習法に基づくと、族長の地位が保全され、長子相続によって継続される。一見メリットも多いが、部族個々の事情もあるので一概に成功するとはいえず、逆に混乱や対立の火種となることも少なくない。

というわけでグレイス・オマリーの生涯に戻る。

第四章 海賊女王、美貌を称賛された後、ひどい悪態をつく

この「譲渡と再授封」はグレイスの夫リチャード・バークにとっても重要な政策であった。リチャードはマックウィリアム族の後継者であったが、現族長の子ではない。族長が死ぬと英国慣習法に基づけばリチャードは跡を継げないことになってしまう。というわけで、1576年、リチャードとグレイスは便宜を図ってもらうため、アイルランド総督ヘンリー・シドニー卿を招待して大いにもてなすことになった。

グレイスはシドニーを自分のガレー船に乗せてクルー湾を周航し、シドニーもイングランド宮廷で噂の女海賊の接待に大いに喜んだという。『彼女は愛想がよく、「きわめて女性らしい」様子をしていた』(P140)とシドニーは書き残した。様々な接待攻勢のお蔭でリチャードはマックウィリアム族長位を継ぐことができ、騎士に叙せられ、その叙任式で美しく着飾ったグレイスを見た英国人は『グレイニー・オマリーは自分がなかなかの女性だと考えている』(P140)と書いたという。

しかし、グレイスはバーク夫人としてではなく、女海賊グラニュウェールとしての顔が本性なので、夫が騎士に叙せられたのを良いことに本業に力を入れた。1577年、グレイスはついに掠奪の罪で逮捕され、ダブリン城に十八か月に渡って投獄されることになる。丁度、リチャードもマンスターでの対イングランド反乱に関与しており、その説得を条件に釈放されることになったが、釈放後、彼らの元を訪れたイングランドの徴税役人はこう書き残している。

「マックウィリアムのもとに参りましたところ、彼は妻のグレイニー・オマリーとともに全軍を従えて私に会い、彼らの国に侵入した罪で私の命をもらうと暴言をはきました。とくに彼の妻の暴言はすさまじく、会見場に近づく半マイルも前から、私を殺してやるとののしるのが聞こえたほどでした」(P140)

女海賊の面目躍如なエピソードだが、彼女の人生はこのあと暗転していく。1583年、夫リチャードが死去、そして、最大の波乱が彼女を襲う。

第五章 エリザベス1世のアイルランド侵略

再び、イングランドとアイルランドを巡る同時代の情勢について。

1558年、エリザベス1世が即位したとき、イングランドを取り巻く環境は非常に困難なものとなっていた。最大の問題が父王ヘンリ8世によるイングランド国教会の設立に始まる宗教的混乱である。ヘンリ8世の後を継いだエドワード6世はプロテスタント化を進め、その後を継いだメアリ1世は反対にカトリック化を進めてプロテスタントを弾圧する。

宗教問題は同時に国際問題である。国王を頂点として教皇権を制限する国教会化はカトリック諸国を敵に回すこととなり、特にスペインとフランスと言う二つの大国との外交関係は悪化の一途を辿る。エドワード6世時代にスコットランドとの統一の画策が失敗してスコットランドはフランスと結んで戦端が開かれ、メアリ一世の代には悪化した対スペイン政策としてメアリ1世とフェリペ2世との間の婚姻が成るがスペインと結んでのフランスとの戦争で大陸に残った橋頭堡である領土カレーを失い、さらにメアリの死とともにスペインとの和平はわずか五年で水泡に帰す。エリザベス1世が即位した当時、いつ、フランスやスペインが攻めてきてもおかしくない。国内でも度重なる戦争の戦費負担で経済が混乱し社会不安が増大、相次ぐ叛乱と住民蜂起でまさに危機的状況にあった。

対外的孤立の状況で、イングランドにとって非常に重要になったのがアイルランド政策である。イングランドの背後を固める意味でアイルランドにおけるイングランドの支配権確立は急を要する最重要課題となった。ゆっくりと懐柔政策を進めてはいられず、力による侵略と統治へと方針が変わる。一五七〇年代末から強大な軍事力を持った地方長官を派遣し、有力部族の私兵維持を禁じて、その見返りに族長を地方統治の評議員に迎えるという中央集権制の導入が一気に始められる。同時に改革に応じない部族は軍事制圧して撃滅し、大規模な植民を行い、アイルランド社会のイングランド化を進めるというものだ。

これに対してアイルランドの諸部族の間でも反イングランドの機運が高まり、さらにカトリック側が精力的にアイルランドで布教活動を行ったことでア宗教的にもアイルランドは反国教会で固まっていく。イングランドが後背の守りとして重視したように、スペインにとってもアイルランドはイングランド攻略の戦略的要衝となり対イングランド抵抗運動への支援が積極的に行われた。一五八〇年代、アイルランドは抵抗戦争の時代へと突入しつつあった。

この時代の渦はグレイス・オマリーとその家族や仲間たちをも巻き込んでいく。

第六章 海賊女王、英国女王と会見し意気投合する

1583年、コナハト総督に就任したリチャード・ビンガム卿は容赦なく族長たちを屈服させようとし、コナハト住民もたびたび反乱を起こすようになる。このとき、グレイスは三度に渡ってコナハト住民の蜂起に深く関与し、そのたびにスコットランド傭兵の輸送を請け負ったという。

ビンガムは反乱の扇動者としてグレイスを捕え絞首刑に処そうとするが、メイヨーの族長たちが人質を差し出すことで、処刑寸前で助け出された。ビンガム卿はその報復に彼女の家畜や財産を没収、さらにビンガム卿はコナハトの反乱を鎮圧すると、グレイスの三男ティボットを捕えて人質にとり、長男オーウェンは殺され、次男マロウはビンガム卿を恐れて寝返り、グレイスの怒りを買った。グレイスはマロウの拠点を攻撃して町を焼き払い、掠奪して、抵抗する部下四人を殺したという。

1593年七月、船団の一部も没収され、追い詰められたグレイスは起死回生の手段に出る。エリザベス女王に訴状を書いたのである。自身の過去の海賊行為と反乱の経歴について『陛下の愚かな臣下としては、自分や部下を支えていくために海上でも陸上でも武器を取らざるをえなかった』(P142)として、ティボットの釈放と、次男マロウの地位保全を請願し、その見返りに『現在も未来も、生涯を通じて、どこであろうと、どんな者たちにも妨害されることなく、陛下の敵に対して剣をぬいて侵入し、戦う』(P143)ことを提案した。これに対してエリザベス女王は十八項目からなる「グレイニー・イ・マリーによって答えられるべき質問事項」という文書を送り、グレイスがそれに返信する。

グレイスは請願を送っただけではなく、さらに同時にクルー湾を出航、顔をあわせて話をした方が確実と考えたか、エリザベス女王に会いに向かっていた。イングランド宮廷はまさかの来訪者に騒然としたかもしれないが、ともかく二人の会見が行われ、そしてどうやら意気投合したらしい。1530年生まれのグレイスと1533年生まれのエリザベス、海賊と君主という違いはあれど、どちらも強い女性リーダーとして男たちを従え、四面楚歌の中自力で道を切り開いてきた。女王はビンガム卿に対してティボットの釈放とマロウの地位保全を命じ、そしてグレイスに忠誠を求めるのではなく、海賊に戻る許可を与えた。

グレイスは海賊稼業に戻って略奪を繰り返し、ときにスコットランドにまで足を延ばし、そしてアイルランドの抵抗運動を公然と支援した。

第七章 アイルランド九年戦争と、海賊女王の最期

少し遡って1588年、ついにスペインは虎の子の無敵艦隊をイングランドに進撃させる。それを迎え撃つのはフランシス・ドレイク、ジョン・ホーキンスら海賊艦隊で、最強を謳われたスペイン無敵艦隊をゲリラ戦で撃滅、英西戦争における英国の優位が確立される。世にいうアルマダの海戦である。アイルランドへのスペインの介入が弱まり、イングランドの支配体制が強化される中で、1594年、アイルランド最大の抵抗戦争「九年戦争」が勃発する。

アルスター地方は部族たちの力が非常に強く、最もイングランド化が困難であった。代表的なのがゲール人系のオニール族とオドンネル族、スコットランド系のマクドナルド族で、オニール族とオドンネル族は長らく対立関係にあったが、マクドナルド族が新たにスコットランドから進出してきてスコットランド傭兵の供給源となったことで、地域一帯のさらなる軍事力の強化となって反乱の機運が高まり両者が手を結ぶ。反イングランド戦争の指導者となったのがオニール族長ヒュー・オニールである。

オニールの下にアイルランド諸部族が結集され、軍事力に勝るイングランド軍を破竹の勢いで次々と撃破していく。オニールは開戦後も巧みにイングランドに服従してみせたかと思えば、再び敵対するなど翻弄し、1598年八月、イエローフォードの戦いではイングランド軍司令官ヘンリー・バゲネルを戦死させるなど壊滅的打撃を与えた。スペインも無敵艦隊を再建し、オニール軍への増援を送り込む。

グレイスの海賊船団もオニールに求められて彼らを支援し、イングランドを攪乱する。「生涯を通じて陛下の敵に対して戦う?」何のことですかね、知りませんね。しかし、オドンネルがメイヨーに入り、三男ティボットのマックウィリアム族長位を奪おうとしたことでころっと旗幟を変えた。ティボットを通じてイングランドと和議交渉を行い、1601年キンセイルの戦いではイングランド側に寝返ってアイルランド軍と戦っている。

1599年、追い詰められたエリザベス女王はついに大兵力でもって戦局を動かす決断をする。人口五〇万の国に対し一万七千もの兵力を――ある統計資料によると1590年代のイングランドの兵動員数は三万というから、本国の守りなども考慮すると実質全兵力といえそうだ――侵攻させ、しかし、これも失敗すると司令官エセックス伯を更迭の上処刑までして信賞必罰を明らかにする(理由は反逆罪)。エセックス伯は当時の英国屈指の猛将で数々の戦功を上げた寵臣として知られたから、女王の鬼気迫る覚悟が知れるだろう。さらにひるまず軍を投入、大軍勢で徹底的にアイルランドを蹂躙する。スペインからの増援もむなしく、1603年、ついにヒュー・オニールは降伏、九年戦争は終結したが、エリザベス女王はその報を聞くことなくこの世を去っている。

『オニールは、エリザベス女王がすでに死去していたのに、女王に敗北したことを知って涙を流した。勝利の栄光、敵に最後まで抵抗したという栄光は、彼ではなく女王のものになるのだ。』(フレシェP61)

ヒュー・オニールとその一族は亡命を余儀なくされ、1613年、アイルランド議会の決議で彼の私権が剥奪。1616年、ローマで客死する。現代まで禍根を残す長い長いアイルランド植民地時代が始まった。

オニールが降伏し、エリザベス女王が崩御したころ、グレイス・オマリーの生涯も終わろうとしていた。1603年、居城ロックフリート城でアイルランドの海賊女王は破壊と略奪と殺戮に彩られた七三年の波乱の生涯を終えたと伝わっている。

終章 グレイス・オマリーは何故語られなかったのか

著者によると、アイルランドではグラニュウェールの物語は子供たちに語られる物語の一つではあるが、その姿は愛国者で敬虔なクリスチャンで勇敢な女戦士というもので、実情とは大きく乖離しており、さらに著者がグレイスについて調査を始めた1975年時点では歴史書で彼女に触れているものは一冊も無かったのだという。それは『アイルランドのヒロインやヒーローは、愛国心をあらわす緑の外套をまとっていなくてはならない』(P129)からで、グレイスはその枠から大きく外れているからではないかと指摘する。

川北稔「イギリス史」によると、アイルランドの分断された複雑な歴史から、『自らをイギリス人と認識し、北アイルランドをイギリス(連合王国)の不可分の一部とする、ユニオニスト』(川北P415)と、北アイルランドをイギリスの植民地とみなして、アイルランド統一を唱えるナショナリストとが二大勢力として存在し、その間の歴史観の齟齬が強く、双方の歴史観を巡って対立が繰り返されている。

グレイス・オマリーは、そのどちらにもくみしない生き方を辿った女性であるといえるのだろう。ゆえに、人々の間に語り継がれてはいてもそれは大きく形を変え、また、ナショナリストであれユニオニストであれ、「正統な歴史」では決して語られることは無い、ということなのではないだろうか。まぁ、抜群に面白い人生を送ってはいるけれど、ただのならず者であるわけでもあり。女海賊グラニュウェールなら豪快に笑い飛ばすか、屈強な男どもに命じて簀巻きにして海に放り込んで解決というところなのだろうが、複雑に入り組んだ歴史が、一刀両断を許さない。

ところで、ここで語られるグレイス・オマリーの生涯は、冒頭の女海賊のテンプレ化したイメージとかなりの部分マッチするようにも思う。おそらくは歴史的分析の対象外にあったことから、現時点でわかる様々な史料と伝承などから組みたてられたのがこの姿であって、実際に生きたグレイス・オマリーそのものの姿ではもちろんないのだろう。とはいえ、非常に魅力的な人物であるし、歴史認識を巡る対立から自由なところで、一つの物語として楽しみたいところだが、ネタ切れに悩むハリウッド映画は映画化すればいいと思います。

最後に、グレイス・オマリーの死後について簡単に触れて終わりにしておこう。

グレイス・オマリーがエリザベス女王と会見までして助けた最愛の三男ティボットは1603年、騎士に叙せられ、以後イングランド王の臣下として活躍。1627年、メイヨー子爵家を創設して貴族に列せられることとなった。

全ての悪名は母へ、全ての栄光は息子へと与えられ、海賊女王は歴史の闇に消えていった。

参考書籍・サイト
・ジョー・スタンリー編「女海賊大全
・同書収録:アン・チェンバーズ著『「アイルランドの海賊女王」グレイス・オマリー』
・川北稔編「イギリス史 (世界各国史)
・ルネ・フレシェ著「アイルランド (文庫クセジュ)
・竹田 いさみ 著「世界史をつくった海賊 (ちくま新書)
アイルランドの地方 – Wikipedia
ヒュー・オニール (第2代ティロン伯) – Wikipedia
ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯) – Wikipedia
アイルランド総督 (ロード・デピュティ)
Henry Sidney – Wikipedia, the free encyclopedia(英語)

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