「ジプシー 歴史・社会・文化」水谷 驍 著

ジプシーは曖昧なイメージだけが先走り、その歴史や社会のありようはほとんど明らかになっていない民族集団である。僕自身、ジプシーについては漠然とした理解しかなかったのだが、この本はジプシーに対する偏ったイメージが作られてきた研究史、その多様なジプシー社会と人々の生活のあり方、差別と排除と迫害の歴史、そして現在のジプシーを巡る諸問題をコンパクトに整理しており、研究途上にある「ジプシー」のよくわからなさ、がよくわかる一冊になっていると思った。

ジプシーと思われる集団が欧州の記録に登場するのは十五世紀のことである。ドイツやパリなど各地に数十人程度の当時のヨーロッパ人には異様な風体と映った集団が次々と訪れ、彼らはエジプト人だと名乗った、か、エジプト人のように見えた、あるいは当時東方からの来訪者や旅芸人・行商人などはまとめてエジプト人と呼ばれていたという説もあるが、ともかく「エジプト人」(エジプシャン)と呼ばれるようになり、それが変化してジプシーと呼ばれるようになったという。以降次々と欧州に登場したジプシーは概ね貧しく、独特の言語と生活習慣を持つことから、次第に欧州で忌避され、差別される対象となっていく。

ジプシーの生活や歴史は、彼らが口承を中心に受け継ぎそれを記述する習慣を持ち合わせていなかったこと、マジョリティの差別意識から欧州の中にありながら欧州社会から隔絶されていたことなどから長く謎に包まれていた。

学問的なジプシー研究の第一歩が十八世紀後半のハインリッヒ・グレルマンによるものだが、グレルマンの研究は非常に主観的かつ恣意的な内容で、ジプシーの主要言語ロマニ語がヒンドスタン語と似ているというだけで、ジプシーがインドのカースト制度で最下層に位置するシュードラ出身であるとする「インド起源説」を唱え、最も邪悪な生まれついての賎民であるとした。不幸なことに、科学的研究の体裁で登場した人種主義的なグレルマン説が長くジプシー像として広まることになり、欧州社会における差別を強化し、ナチスによる「ジプシー民族」のジェノサイドへと結び付いていく。

十九世紀の英国のロマン主義作家ジョージ・ボローはグレルマン説を前提として、逆説的に、ジプシーを工業化する現代社会のアンチテーゼである自然人と位置づけ、古き良き生活を守る自由な人々として描いた。ボローらロマン主義者はジプシーを昔ながらのジプシー生活を守る「本もの」のジプシーと、現代社会の都市化した生活になじむ「偽もの」「堕落した」集団に分類し、自然の中でつつましく生きる良いジプシーと、堕落した盗みを働く悪いジプシーという虚構を創り出した。グレルマン説と並び、ロマン主義的ジプシー像もまた、現代の偏ったジプシー像を形成することとなった。

学問的にはグレルマンのインド起源説が主流となり、一般的なイメージはボロー以降のノスタルジックなジプシー像が人口に膾炙することとなったため、ジプシー研究は長く進まなかった。やっと進展を見せ始めたのは1970年代以降のことだとされる。近年有力になってきているのが、十五世紀以来の主流社会との関係性によってジプシーが形成されてきたとする説、すなわち『近代資本主義の形成過程で、国民として統合されることなく、排除・排斥されることになった人間集団』(P239-240)としてのジプシーである。

ジプシーが記録上次々と登場する十五世紀の欧州は地中海貿易の勃興とともに資本主義体制への移行期に突入、中世封建制が解体に向かい、黒死病を初めとする疫病が蔓延し、繰り返される戦争と掠奪などによって流民や貧民が都市に溢れほどなくして欧州中に大移動を始め、食い詰めた彼らがスラムを形成し、あるいは犯罪に手を染めるものの少なくなく、社会問題と化していた。

同時に、中世封建制の解体から資本主義的生産関係を基礎とした国民国家の形成までの初期近代(近世)と呼ばれる時代は、『キリスト教、定住生活、そして勤勉な賃労働』(P110)という『ひとつの価値観のもとに包摂された「国民」の形成過程』(P110)でもあった。このとき、貧民たちに対しては救貧制度が取られるが、あくまで救済されるのは地元民でよそ者は地元に戻されるか、さらに追放されることとなった。働く意思の無い者は「怠け者」として犯罪者扱いされることとなった。

『こうして、「国民」として包摂されることなく、都市や農村にあふれ、救貧制度による救済対象ともならない膨大な貧民・流民層は、近代的国家権力の確立とともに、「浮浪者・放浪者」と一括され、犯罪者ないし犯罪者予備軍として排除・排斥されるようになっていった。そのさい、とりわけ目立つ存在として「エジプト人」が「浮浪者・放浪者」の代名詞とされた。「浮浪者・放浪者」の実態がきわめて雑多だったことが、「エジプト人」や「エジプト風にふるまう者」、「異教徒」、「ならず者」、さらには「煙突掃除人」などといった各国の取締法の規定からも明らかである。』(P111-112)

ただ、この視点からはなぜジプシーの多くがインド諸語と共通の特徴を有する言語を使っているのか、独特の文化はどのように形成されてきたのか、などの点は不明であり、また、ジプシーという社会集団が社会関係で形成されたとして、ジプシーの民族性を否定する結論に至ってしまうと、むしろジプシーの歴史上繰り返されてきた悪しき同化政策へと結び付く可能性もあり、慎重な調査研究が必要となっている。

この本で描かれるジプシーは非常に多様であり、単一の文化・習慣・社会でくくれるようなものではない。ジプシーという呼称一つとっても、ジプシーの主要団体「国際ロマ連盟」はジプシーを差別語としてロマへの言い換えを主張しているが、一方で、ジプシー内の主要集団であるロマをジプシー内の非ロマにも当てはめることに対しては異論が多く、また自己認識としてロマではない集団もあり、「国際ロマ連盟」と距離を置くジプシー団体も多いという。現在はジプシーは民族であるという前提で、『世界じゅうに広がる「単一民族」としての側面を重視するか、数世紀にわたって定着してきたそれぞれの国の「少数民族」としての側面を重視するか』(P152)が、ジプシーが置かれた現状となっており、非常に複雑な少数民族問題となっている。

同書ではこのあたりのジプシーの社会、歴史、文化について概論的にまとめており、とても読みごたえがある。最終章では日本のジプシーと呼ばれることも多い「サンカ」研究とジプシー研究とを比較する論考もある。一言でいうとサンカの提唱者三角寛をグレルマンと対置して批判し、サンカとジプシーとを同じ近代化のプロセスの中で主流社会から疎外されることで他称的に生まれた社会集団と位置づけている。

流浪の民、フラメンコ、シターノ、幌馬車・・・そんなイメージを一新して、国際社会の中のジプシー問題、ひいては社会における疎外とマイノリティの問題を考える基礎知識として非常に有用な一冊だと思う。

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