子どもの間で「どちらにしようかな」に歌われる「ごんべえさん」の謎

先日、人気アニメのネットラジオ「咲らじ」の最新回(最終回)を聴いていると、番組中(48分33秒あたりから)で、「どちらにしようかな」という何かを選ぶときの「選択の唱え言葉」について、奈良県生駒市や川上村では「ごんべえさんの言う通り~」という歌詞だという話をしていて、僕(1972年生まれ、福岡県福岡市出身)が子どものころ(1970年代後半~80年代前半)だと「天の神様の言う通り~」だったので、へぇと思った。

ちょっと軽くググってみると、天の神様、裏の神様、神様、天神様、大黒様、ごんべえさん、裏のごんべえさんなど地域によって色々種類があるようだ。ネット上のいくつかのサイトからごんべえ(権兵衛、ごんべ)さんと唱っている地域を抜き出してみると

http://homepage3.nifty.com/docchi/docchi-p.htm
大阪府岸和田市、大阪府大阪市阿倍野区、奈良県生駒市、奈良県川上村、兵庫県高砂市、兵庫県米田町、兵庫県加古川市、兵庫県明石市、兵庫県加東郡、兵庫県神戸市、兵庫県三原郡緑町、高知県高知市、高知県中村市
http://www1.ocn.ne.jp/~jiccho/dotirani-1.htm
大阪府、大阪府大阪市生野区
http://www.kikaku-box.com/03_seito_contents/tq2008/ThinkQuest24/6/p0100.html(リンク切れ)
大阪府、兵庫県明石市、淡路島(ごんべらさん:権兵衛さんではなく金比羅さんかもしれない)、奈良県桜井市、岡山県、徳島県、高知県

また、後述するが、京都府と和歌山県もごんべえさんと唱うことがあるらしく、概ね近畿圏(大阪、京都、奈良、兵庫、岡山、和歌山)と四国(高知、徳島)中心に広がっているようだ。

直感的に、戦国時代の豊臣(羽柴)秀吉配下の武将で、播磨(兵庫県)攻め、淡路島攻め、四国長宗我部氏(徳島県、高知県)攻めなど上記地域と活躍地域が大いに重なる仙谷権兵衛秀久と何か関係が?と思ったのだが、勿論地域が重なっているからというだけの類推で根拠は無い。

ということで、なぜ「ごんべえさん」なのか興味が湧いたので、CiNiiなどで関連する論文が無いか検索してみて、鵜野祐介氏論文「唱えことば「どちらにしようかな」にみる子どものコスモロジー–伝承児童文学研究序説(その2)」というのを見つけ、これが収録されている書籍が「伝承児童文学と子どものコスモロジー―“あわい”との出会いと別れ」という本であるとわかり、同書を取り寄せて読んでみた。

結論から言うと何故ごんべえさんなのかわからなかったのだが、「どちらにしようかな」という唱え言葉の分析や心理など非常に面白かったので簡単に紹介しておきたい。

フォークロア研究のうち、子どもたちの間に共有・伝承されてきた、また現在も共有・伝承される「子ども文化」を研究対象とするものをチャイルドロア研究と言い、「子ども文化」のうち子ども自身によって創造され、子どもが伝承の主体となる文化を言語表現の文化、身体表現の文化、事物表現の文化の三つに大別、「どちらにしようかな」はその中の言語表現の文化に属する「唱え言葉」の中の「選択の唱え言葉」に分類される。

「選択の唱え言葉」は英語圏にもみられ、ケルト系諸言語にまで遡ることが出来るようだ。日本では文献に残る最古の「選択の唱え言葉」はかなり新しく、1704年ごろの文献「筆のかす」に鬼を決める「鬼きめ」の唄「橋の下の菖蒲は誰が植えた菖蒲ぞ、じたい殿、たい殿、たいが娘梶原」ともう一つの計二つが残っているという。たいが娘とは源頼朝の娘、梶原は頼朝の家臣梶原景時のことらしい。

「どちらにしようかな」について、同書では明治時代と現代との「どちらにしようかな」の比較を行っているが、明治時代の「どちらにしようかな」の場合、神頼みの対象は、『最も頻出するのが「恵比須」、続いて「大黒」、そして「天神様」』(P69)、また超自然的存在ではなく人間の場合は『「水屋のばば」「隣の大工」「じじばば」「裏の甚兵衛さん」「殿様」「裏のちょんべえさん」などである』(P69)という。また「天の神様」は天神様からの派生・転化、「裏の〇〇さま」は『実際に家の裏手に祠などと立てて神様を祀っていたことと関係するのかもしれない』(P70)という。同書で文献から採録しているもののうち「ごんべえさん」となっているのは1979年「日本わらべ歌全集」の京都市の例だけのようだ。

現代の例として同氏が2004年と2005年に大学生に対して行ったアンケート結果の一覧も掲載されている。対象時期から学生が子ども時代の1990~95年ごろの「どちらにしようかな」の例になるが、こちらはほぼ「天の(裏の)神様」で統一され、「(裏の)ごんべえさん」は京都府向日市と和歌山県和歌山市だけのようだ。

明治時代に主流だった「恵比須」「大黒」「天神様」などが消え、「天の(裏の)神様」一色となった理由について、『おそらく「天神様」からの転化であろう「天の神様」は、キリスト教の天国や仏教の天上界(天道)のイメージとも混合した、宗旨や教派を越えた漠然としたネーミングによって、今日の子どもたちの高い支持を得ているのだろう』(P75)とされている。

また現代の「どちらにしようかな」の特徴として、「〇〇さまのいうとおり」に続く「補足的フレーズ」が非常に長くバリエーションに富んでいることが挙げられる。明治時代は『全般的に詞章の長さが短く、擬声音や同音反復による「言葉遊び」や、意中の対象に当たらなかった場合に「もひとつおまけに」などとくっつけて引き伸ばし、意中の対象を射止めるまで続けようとする「戦略的引き伸ばし」など、「補足的フレーズ」がほとんどみられない』(P70)。たしか僕が子どもの頃(福岡県福岡市、70年代後半~80年代前半)は「どちらにしようかな 天の神様の言う通り けっけのけの あぶらむし のおまけつき・・・(途中忘れた)・・・柿の種のもひとつおまけの・・・」という感じに伸ばしていたように記憶している。

同書では非常に多数の補足的フレーズの伸ばし方と登場する言葉が紹介されている。「けっけっけー」「ぶっぶっぶー」「あっぷっぷー」「あのねのね」など濁音・半濁音・擬音などを使った反復や、「柿の種」「桃の種」「さくらんぼ」「さつまいも」「かぶとむし」「あぶらむし」「毛虫」「赤とんぼ」「ゴリラの息子」「坊さん」「おなら」「坊さんが屁をこいた」「ゲゲゲの鬼太郎」「ネズミのしっぽ」「鉄砲」「天国」「地獄」などなど多様な言葉がまとめられている。特に頻出するのが「柿の種」であるという。

興味深いのが、この補足的フレーズで頻出する「柿の種」の登場時期について、「柿の種」メーカーによる広告説、さるかに合戦説など諸説があるが、1970年代以前には見られないことから、フォークグループ「あのねのね」が1973年に発表した「赤とんぼの唄」の影響によるとするのが最有力の説であるとしている。

赤とんぼの唄 あのねのね 歌詞情報 – goo 音楽

「赤とんぼ」「あぶら虫」「柿の種」「あのねのね」など歌詞に歌われる言葉がいずれも補足的フレーズに登場し、また、「あのねのね」のメンバー出身地である近畿地方を中心に西日本一帯に多く見られている。現時点では、発売となった1973年以前の「どちらにしようかな」の用例には「柿の種」など上記の言葉は登場していないという。同曲と「どちらにしようかな」はどちらも「反復性」「固着性(特定の音や言葉に対する執拗なまでのこだわり)」「リズム」の重視、「ナンセンス指向」という特徴で非常に共通している点も有力であるとされる。

『この言葉遊びの面白さは、神霊への態度の二重構造にある。すなわち、唱える子どもにとって「天の神様」をはじめとする神霊とは、表向きはその「いうとおり」に従おうとする、いわば「天の声」であり「絶対者」であるが、実際には、あらかじめ意中のものがあり、「天の声」がそれと異なる場合には、平気で「もひとつおまけに……」と引き伸ばして裏切ることのできる相手でもある。時と場合に応じて、神サマよりも人間サマ(=自分)の方がエラくなるのである。「地獄の沙汰も金次第」のことわざに典型的に表現されているように、宗教に対する日本人の一般的な庶民感情としての、神霊への態度の二重構造(本音と建前の使い分け)はよく指摘されるところだが、この唱え言葉において端的に表現されている。
ただし、別の見方をすれば、神霊をよそよそしく扱うのではなく、たとえば「裏のごんべさん」や「じじばば」と同じような身近な存在として、親近感をもって接しようとする態度の現われともいえる。時には裏切ったりごまかしたりしても許される、そんな感情もまた別な意味で「信頼感」に結ばれた関係といえるのかもしれない。』(P84)

以上のように総括して子どものアニミズム的なコスモロジーの表出として「どちらにしようかな」を位置づけている。

民俗学・文化人類学の面白さが全力で伝わる非常に興味深い論考でこのチャイルドロア研究の分野はもっと深く研究されかつ広く知られて良いのではないかと思う。ただし、データ自体は少ないし、わからないことの方が多いのだが、むしろ、そのわからなさこそが面白い。

というわけで神頼みされる「(裏の)ごんべえさん」とは何者かに戻るのだが、この論考でも、その正体はあきらかにならない。というかあきらかにできないのではないか。

最初に挙げた仙谷権兵衛など特定の実在の人物ではなく、英語圏で言うところのJohn Do、つまり「名無しの権兵衛」のような誰でもない誰かを指す用途としての「権兵衛」なのかもしれない。「天の神様」と並んで子どもが信頼感を抱いている神ならざる人として位置づけられているごんべえさんというのは、この論考を読む限り、そういう「誰でもない誰か」であるという側面が強いように感じる。何故近畿を中心に広がっているのか、いつから使われているのか、など謎は多いので、なんとも言えないところではあるが。

あと消極的な説としてではあるが、前述の通り、本書で挙げられているごんべえさんの古い例が1979年のものであって、もし70年代以前にごんべえさんが唱われていないとすると、例えば「まんが日本昔ばなし」(1975年放映開始)の何かのお話の影響かもしれない。「まんが日本昔ばなし~データベース~」によると、79年以前の「まんが日本昔ばなし」で放映された「ごんべえ」にまつわるお話として「かもとりごんべえ(1976年04月17日放映)」「ごん兵衛とからす (1978年11月18日放映)」を見かけた。他有名どころとして「権兵衛峠」というのもある。「赤とんぼの唄」のようにこれらテレビの影響という可能性もあるかもしれない。

気が向いたら「名無しの権兵衛」さんの由来について調べてみる。何故誰でもない誰かが権兵衛と名付けられたのか、というのは日本の民俗学史上非常に大きなテーマであると思うが、そういう論考結構ありそうな気がするな。あるのかな。Wikipediaには深川の私娼説と赤坂の山王日枝神社の子守唄説とが挙げられているが、どちらもちょっと眉唾な印象ではあるし。あと「名主の権兵衛」が訛って名無しになったという説もどこかのウェブページで見かけたがどうだろうか。

ということで詳しい方や専門家の方、このあたりを包括的に調査研究して書籍にしてくれれば読みます、はい。

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