子どもはなぜ「替え唄」を歌うのか?

先日「子どもの間で「どちらにしようかな」に歌われる「ごんべえさん」の謎」の記事で紹介した「伝承児童文学と子どものコスモロジー―“あわい”との出会いと別れ」から、『子どもはなぜ「替え唄」を歌うのか』の考察がとても面白かったので簡単にまとめておきたい。

子どもの頃から中高生ぐらいまでか、替え唄は誰彼ともなくよく歌っているのを耳にしたし、僕も歌っていた。僕が小中高生だったのは70年代末から80年代後半ぐらいにかけてのことだ。本書では1980年代から90年代初頭にかけて小学生だった男女に対するアンケート調査を行い、その結果を中心にして各種史料などを踏まえて替え唄の分析を行っている。

「替え唄」と「替え歌」の違いについて、『作詞者・作曲者不明の「伝承された民間のうた」[traditional, folk songs]には「唄」の字を、作者がわかっている「創作された私的なうた」[creative, private songs]には「歌」の字を』(P34)あてるとしている。子どもたちが歌うのはほぼ、前者の『誰が作り替えをしたのかがわからない「唄」』(P34)の方であるため「替え唄」とされている。また、パロディ・ソングは「替えうた」の中でも風刺性や嘲笑性・滑稽さなどの属性を伴うもので、より限定性を伴うとしている。子供たちにかぎらず、大人が主体となった替え唄文化もあり、世相批判や社会風刺の「ワザウタ」、エロティックな替え唄である「春歌」などに分類されている。

■替え唄の形態

(a) 語尾付加型…………それぞれのフレーズ(分節)の語尾に、しりとりの形で新たなフレーズが付け加えられるもの
(b) 語句入替型…………フレーズの一部もしくは全体が別の語句と入れ替えられるもの
(c) 文字入替型…………単語のなかの一音が入れ替えられたり、あるいは一音が挿入・削除されたり、さらにはひっくり返ったりするものをさす。
(d) メロディ入替型……元うたの歌詞を別のメロディで歌うもの
(e) しりとり型…………末尾の単語や音を受けて、まったく別の唄へと変化させ、メドレーで続けるもの

替え唄の形態として上記の五つに分類されている。「語句入替型」が最も多く、「語尾付加型」「文字入替型」がそれに続く。「語句入替型」の例として「ひなまつり」の替え唄「あかりをつけましょ ばくだんに お花をあげましょ 菊の花」、「語尾付加型」では「キャプテン翼」の替え唄「それにつけても 俺たちゃなんだろうそく ボールひとつに きりきりまいさつまいも ダッシュダッシュ ダッシュクリーム キックアンド ダッシュークリーム」、「文字入替型」では「かたつむり」の替え唄「んでんで しむしむ りむつたか」などが挙げられている。「メロディ入替型」だと「どんぐりころころ」を「水戸黄門のテーマ」で歌う、「しりとり型」だと「レインボーマン」のテーマで「いんどのやまおくでんでんむしむしかたつむりんごはまっかっか・・・」と続く。

■替え唄のモチーフ

(a) <死>に関するモチーフ
(b) <悪>に関するモチーフ
(c) <食>に関するモチーフ
(d) <性・身体>に関するモチーフ
(e) <排泄物>に関するモチーフ
(f) メディア・キャラクターに関するモチーフ
(g) その他

替え唄に使われている語句から、元歌とは違う新たな物語世界のモチーフが導き出される。「お葬式」「霊柩車」「殺人」「死んだ」など死に関するモチーフが多い。「坊や よいこだ 金出しな」(冒頭部分は嘉門達夫の創作。続きの部分に種類がある)など悪に関するモチーフも多く社会的規範からの逸脱の指向がうかがえる。食に関するモチーフは古今東西変わらず、軍歌の替え歌にも同様の傾向が見られるという。特に「にんにく」「さつまいも」など笑いを誘う食べ物が多いとされる。

性・身体に関するモチーフは日本だけでなく海外の子どもたちの替え歌にも多いという。また、古くは江戸期にも性・身体をモチーフとした替え歌・言葉遊びは見られていたが、戦後、大人のエロティックな替え唄「春歌」は土着性を失い、画一化の傾向が見られており、子どもたちの替え唄の中にその要素が残っているという。

また、子どもたちの排泄物についても日本だけでなく海外でも多く、子どもたちは排泄物に関する言葉を好んで用いている。現代だけでなく近代においても同様で、戦前・戦中は特に「屁」を使った替え唄が多いという。例として教育勅語の冒頭「朕惟ふに我が皇祖皇宗の・・・」の替え唄「朕おもわず屁をこいて汝臣民臭かろう」は『全国的に流布していた』(P43)とされる。

メディア・キャラクターに関しては多いものとして「ジャイアント馬場」「サザエさん」「ムーミン」などが挙げられる。「どんぐりころころ」の替え歌「どんぐりころころ 馬場チョップ」、「太陽にほえろ」のテーマソングにあわせて歌う「タラちゃん イクラちゃん ワカメちゃん そしてサザエさん」など。

その他に分類されるのは上記のいずれにもあてはまらないもので、主題に注目してナンセンス、ニヒリズムなどに分類されるようなものだとされる。例えば「さっちゃんはね みっちゃんっていうんだ ほんとはね だけどちっちゃいから 自分のこと よっちゃんて 呼ぶんだよ おかしいね たっちゃん」など。

■物語の脱構築

(1) 錯綜……別の物語(異物)が混入することによって、複数の物語世界が錯綜するという状況を呈するもの
(2) 分裂……物語がつぎつぎと分裂して別の物語へと転移し、これが際限なく続いていく、もしくは始めに戻って再び転移が繰り返されるというもの
(3) 中断……唐突に「物語」が締めくくられるというもの
(4) 解体……単語のなかのある文字の入替・挿入・削除や分節の逆転によって、その単語が意味をなさなくなるというものや、はじめから物語を度外視して、語感や無意味さを楽しんでいるというものなど、物語そのものが解体されてしまっているもの

元歌における物語が、その構成要素となっていたモチーフの一部または全部が変換(転移)されることによって、構築物としてのまとまりを維持できなくなること』(P45)を「物語の脱構築」として「錯綜」「分裂」「中断」「解体」の四つに分類している。

「錯綜」の例としては「もりのくまさん」の替え唄「ある日(貧血) 森の中(浣腸) 熊さんに(にんにく) 出会った(短足)」、「分裂」の例としては「レインボーマン」の替え唄「インドの山奥でんでんむしむしかたつむりんごはまっかっか・・・」、「中断」の例としては「赤い靴」の替え唄「赤い靴 はいてたら ぬげちゃった」や「ギザギザハートの子守唄」の替え唄「(チャチャッチャッチャ チャーランを五回繰り返し)ヘイ ちっちゃなころ死んだ」、「解体」の例としては「ぶんぶんぶん」の替え唄「ぶるんぶるんぶるん はるちるがるとるぶる」など。

■物語の再構築

(1) 鏡像的世界…………元歌の物語世界を裏返しに映し出した世界=「あべこべの物語」
(2) 反復的世界…………「ひとつの単語への固定」によって生まれる「繰り返しの物語」
(3) 祝祭的混沌世界……エロスと哄笑にみちたカーニバルの狂乱

「脱構築」が構成要素の再構成に向かわないのにたいして、『「イメージの再構成」の過程を経て成立したもの』(P49)を「物語の再構築」として、三つに分類している。

「鏡像的世界」を表現する例として「サザエさん」の替え唄「お魚くわえたサザエさん追っかけて はだしで駆けてく 陽気なドラ猫」が挙げられる。また、この「鏡像的世界」としての替え唄は『元歌の物語世界が、道徳や分別を説いたものである場合』(P49)、反道徳・無分別の物語世界を構築するため、風刺性を持つ。その例として、「はとぽっぽ」の替え唄「ぽっぽっぽ はとぽっぽ 豆がほしいか ソラやらねえ 世の中そんなに 甘くない」などがある。

「反復的世界」の例として「どんぐりころころ」の替え唄「どんぐりころころ馬場チョップ お池にはまって馬場チョップ どじょうがでてきて馬場チョップ 坊ちゃん一緒にラリアート」がある。子供たちは繰り返しを好み、歌や昔話などに共通して三回の反復が見られるという。また、「祝祭的混沌世界」では、『元歌の物語世界における価値の軽重』(P51)が失われ『戯画的世界のなかで歌い手も聞き手も、物語の登場者と一緒に騒ぎ興じている』(P51)。例として「アルプス一万尺」の替え唄「田舎のじっちゃんばっちゃん イモ食って屁こいて パンツに穴あいて 大騒ぎ ランラランラン ランランランラン」など。

著者は子どもたちの替え唄の特徴として「ナンセンスへの指向性」があることを指摘している。すなわち、既成の社会道徳や価値に対して『閉塞感や束縛感を覚え、そこから逸脱し、これを解体し、さらには新たに、自分自身にとっての「意味ある事柄」や「意味ある世界」を自ら作り出そうとする性質』(P51)を替え唄という行為は持っている。

『元歌の物語世界を味わい、作者が込めたメッセージをそのまま受け止めようとすること、これが「センスへの指向性」であるとするなら、替え唄づくりによって元歌の物語世界の脱構築や再構築を図ること、これが「ナンセンスへの指向性」にほかならない。既成の物語世界を錯綜・分裂・中断させ解体する「脱構築」の方向と、新たに「鏡像・反復・祝祭的混沌」の物語世界へと進む「再構築」の方向からなる「ナンセンスへの指向性」は。環境世界に対する子どもの独自的な意味づけの仕方としての「子どものコスモロジー」の、重要な一側面とみなせるのではないだろうか』(P52)

現代の二次創作等にも通じるところが多々ある思う。自分や自分の周りの人たちが子どものころに歌っていた様々な替え唄が、果たしてナンセンスへの指向だったのか、自分ではよくわからない。ただ、分類されている例でいえば、非常に鏡像的世界的な替え歌を好んでいたように思う。「お魚くわえたサザエさん追っかけて はだしで駆けてく 陽気なドラ猫」なんて今でもふと口をついて出てくるし、「はとぽっぽ」の方もひどく印象に残っている。

あとは同書の例で中森明菜のDESIREの例もあるのだけど、そちらは「まっさかさまに 落ちて DESIRE 落ちたら早いよ 水商売」となっていて、あ、進化していると思った。僕の頃は「真っ逆さまに落ちたら痛い。炎のように燃えたら熱い」だった。また、チェッカーズもどうやらやたら替え唄として愛されていたようで「ギザギザハートの子守唄」の例も多く収録されている。僕のころは「ちっちゃなころからちっちゃくて、一五になってもちっちゃくて・・・」だったが、同書では「ちっちゃなころからちっちゃくて 一五で小五とよばれたよ」になっていた。地域差や世代差なども見えて面白い。

あと続きが気になっていたのがガッチャマンの替え唄で「誰だ 誰だ 誰だ 俺のパンツを取ったのは 白い〇〇のパンダちゃん」と「地球は一つ 割ったらおけつ」が記憶にあったのだが、同書に収録されているものは以下の通りで、微妙に記憶と違うが、ああ、そうだったかもとにやにやした。

誰だ 誰だ おれのパンツを脱がすやつ 白いお目目の パンダちゃん
命をかけて 飛び出せば 電信柱にぶつかって
行け 行けない パンダちゃん 飛べ 飛べない パンダちゃん
地球はひとつ 鏡に映せば二つ おおパンダちゃん パンダちゃん

余談だが、今やっているガッチャマンのリメイクアニメ「ガッチャマンクラウズ」でガッチャマンのメンバーの一人パイマンがパンダ風なルックスなのはもしかして、もしかしなくても懐かしのこの替え唄へのオマージュだろうか?『命をかけて 飛び出せば 電信柱にぶつかって 行け 行けない パンダちゃん』って替え唄の歌詞(電信柱じゃないけど)、本編見ている人にはグッとくるのでは。

ということで、前回紹介した「子どもの間で「どちらにしようかな」に歌われる「ごんべえさん」の謎」とともに、同書では他にも子守唄やわらべうた、子どもの肝を食べる昔話の考察、トトロや上橋菜穂子作品の考察など伝承児童文学についてのとても興味深い考察となっていてとても面白い論集だと思う。

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