「ザ・フェデラリスト」A.ハミルトン J.ジェイ J.マディソン 著

八年に渡る独立戦争に勝利して独立を勝ち取った北米十三植民地は、独立当初はそれぞれ主権を持つ邦(state)が集まった連合(The United States)という体裁で進もうとしたが、すぐに邦同士で通商や外交、戦費負担、紛争解決の主導権を巡って対立が表面化する。その結果、緩やかな連合ではなく、諸邦が一つの中央政府を持つ主権国家を確立する方向へと転換。1783年、連邦制を土台としたアメリカ合衆国憲法草案が作成、諸邦に提示され、その批准を待つこととなった。

十三植民地中九植民地での批准により発効することとなるが、憲法草案を巡っては、何分独立戦争が英国の王制支配からの脱却を目指したものであっただけに、強い統一政府の存在に対しては拒否感も強く、連邦制の導入と中央政府の設立を訴える人々は「フェデラリスト(連邦派)」を名乗り、憲法批准反対・主権を持った各州政府による連合を唱える人々は「リパブリカン(共和派)」を自称して、各地で議論が繰り広げられた。

その議論の過程で、合衆国憲法草案を作成した連邦制導入派の三人によって、反対派の様々な意見に対する反論と連邦制導入の必要性を訴える論文が新聞紙上に次々と発表され、世論を大いに盛り上げることとなった。それらあわせて85篇の論文を集めた論集が「ザ・フェデラリスト(The Federalist Papers)」である。

執筆者は、ニューヨーク州代表で強力な連邦制推進論者であり、独立戦争時にはワシントンの副官として軍功をたて、後にワシントン政権で初代財務長官を務め、銀行制度の樹立など実務家として活躍するアレグザンダー・ハミルトン、独立戦争の講和条約であるパリ条約締結に副使として尽力し、後にフランス革命時の英仏両国関係改善のための和親条約(彼の名を取ってジェイ条約と呼ばれる)締結を主導するアメリカ草創期を代表する外交官ジョン・ジェイ、合衆国憲法草案や権利章典を作成して「憲法の父」と呼ばれ、内閣制度を始めとする連邦政府の組織設計者としてその知性を発揮し、後に第四代大統領に就任するジェイムズ・マディソンの三人である。

面白いのは、当時、メディア等での論説の発表は匿名で行われるのが通例となっており、この論文も三人が「プブリウス」という筆名で誰がどの論文かは明らかにせずに発表されたことだ。研究者の間で概ね三人の担当論文はそれぞれ明らかにされているものの、一部の論文についてはまだ特定に至らず諸説ある。ちなみにプブリウスとは紀元前六世紀のローマで王政を廃して共和政を打ち立てた政治家プブリウス・ウァレリウス・プブリコラのこと。共和派もみな匿名で論文を発表しており、特に主要な反対論となった論説を書いた人物はカエサルを殺害した共和派の象徴ブルータスを名乗っていた。「ブルータス」は後の最高裁判事ロバート・イェーツであったと考えられ、同じく有力な憲法反対論を唱えた「カトー」(カエサルに対抗した共和政ローマの政治家)を名乗っていたのがニューヨーク州知事で後にジェファソン、マディソン両政権で副大統領職に就くリチャード・クリントンであったと推定されている。(「ザ・フェデラリスト」P400-401、阿川尚之著「憲法で読むアメリカ史(上)」P81、本間長世著「共和国アメリカの誕生」P185、P195)

「ブルータス」は憲法草案に対してモンテスキューの「法の精神」を引きつつ、アメリカの領土の広大さと人口規模から単一の政府による共和制はアメリカでは成功しないと論じる。増え続ける人口に応じて代表者が増え続ければ、やがて代議制は破綻するのではないか。民主的な政治は小規模の共和国でこそ成功する。大きな政府では少数者の利害を考えることが出来なくなり、やがて圧政に繋がるのではないか。中央政府の確立を目指す憲法草案は圧政を生む危険性を内包している。といった趣旨で鋭く切り込んだ。(本間長世著「共和国アメリカの誕生」P186-188参考)

「ザ・フェデラリスト」で最も重要とされているのが、ジェイムズ・マディソンが書いた第十篇「派閥の弊害と連邦制による匡正」である。アメリカの政治機構を生み出した近代屈指の知性であるマディソンは、天才的といっていい深みのある議論で連邦制が派閥(faction)の弊害を抑制する機能があることを論じる。以下『』内は特に断りない限り「ザ・フェデラリスト」からの引用。

派閥の原因を除去することは不可能である。なぜならその方法は自由を奪うか『すべての市民に同一の見解、同一の感情、そして同一の利害を与えること』によってしか成しえないからだ。人間の才能が多様であるがゆえに、人間の利害関係は同一たりえず、『そして、こうした人間の多様な才能を保護することこそ、何より政府の目的なのである。財産を獲得する多種多様な才能のどれをも等しく保護する結果、その程度と種類とを異にするさまざまの財産の所有がただちに生ずる。』ゆえに、社会は党派に分裂する。その党派を支持するのは実際的・思弁的な諸問題に対する見解の違いや、野心的な指導者・自身の運命を左右する人々に対する熱情や献身であり、それが『人間相互の敵意を燃え上がらせ』『互いに抑圧し合う方向へと傾かせる』。

以上のような、人間は『相互敵視へと陥りやすい』『きわめて強力な性向』を持つという前提で、『種々の相反する諸利益群を調整することこそ、近代立法の主要な任務を構成する』のだが、一方で、その諸利益群の存在が『通常必要な政府の活動の中へ党派的な派閥的な感情を導き入れることに』なる。

『さまざまな種類の財産に対する課税率という問題は、最も厳格な不偏不党性が必要であるように思われる。だが、課税の問題ほど、優勢な党派が正義の原則を蹂躙する機会と誘惑とをもつ立法はおそらくないであろう。数において劣る人びとに対し、彼らが一シリング課税するごとに、彼ら自身のふところでは一シリングが節約されることになるわけである。』(P57-58)

派閥の弊害は原因の除去では無くその弊害の抑制によるべきである。抑制するのに適しているのは少数の市民から構成される直接民主政の小規模な国家ではなく、様々な利害を抱えた諸集団からなる大規模な共和政国家である。

『社会が小さくなればなるほど、そこに含まれる党派や利害の数も少なくなり、党派や利益が少なくなればなるほど、多数派が同一党派として形成されることが多くなってくる。また多数派を形成している個人の数が少なくなればなるほど、また彼らがおかれている領域が小さくなればなるほど、彼らが一致協力して、他を抑圧する計画を実行しやすくなる。』(P63)

そこで、『領域を拡大し、党派や利益群をさらに多様化』させることで、『全体中の多数者が、他の市民の権利を侵害しようとする共通の動機をもつ可能性を少なく』し、また、それに対抗させることが可能となる。また大きな国家の方が、代表者にふさわしい公共の善を重んじる候補者を選びやすくなるという点も指摘される。その結果、派閥の弊害を多様性で抑制することが連邦制によって可能となる。

しかし、ただ大きいだけで共和政が守れるわけではない。そこでマディソンは第四十七篇「権力分立制の意味」、第四十八篇「立法部による権力侵害の危険性」、第五十一篇「抑制均衡の理論」など一連の論考において、権力の濫用を防止する仕組みを論じる。共和政とは何か、民主主義とは何か、理念として存在していたこれらの思想に実効性を持った政治制度・組織としての形を与えていく論考で、輝きすら放っている感がある。

反対派が憲法草案は完全な三権分立に立っていないことをモンテスキューの「法の精神」を引いて批判するのに対し、マディソンは第四十七篇で、モンテスキューの「法の精神」について『モンテスキューが真に言おうとしたことは(中略)、ある部門の全権力が、他の部門の全権力を所有するものと同じ手によって行使される場合には、自由なる憲法の基本原理は覆される、ということ以上には出ないのである』と喝破する。

第四十八篇ではむしろ立法部・行政部・司法部の『三部門が相互に憲法上の抑制権を行使しうるように、互いに関連、混合していなければ、自由な政府にとって不可欠のものとして要求されている権力分立の公理は、実際には正しく維持することができない』ことを論じる。三権分立が明確になされなければ専制に陥るではないか?いや、違う。重要なのは分離では無く抑制である。本質的に他を侵害する性質を持つ権力を抑制する機能を整えることにこそ三権分立のキモがある。

『まず理論的に権力を、本来、立法・行政・司法に属するものに従って、それぞれ三部門に分類した後、次になすべききわめて困難な仕事は、各部門に他部門よりの侵害に対する一定の具体的な保障を与えることである。この保障がいかなる形で与えられるべきかということが、解決すべき大問題なのである。』(P236)

圧政を生む危険性がある行政部に対しては権力の行使範囲(権限)と行使しうる期間(任期)を大きく制限しつつ立法部への対抗として拒否権を持たせ、立法権という強い権力を持ち他部門に対する権力侵害を犯しやすい立法部は二院制によって権力を分散させ、選挙を通しての代議員制によって人民の監視下に置く。逆に最も弱い立場にある司法部は立法部、行政部からの権力侵害に対する保障を与えなければならない。判事を終身制とすることで任命権者への依存を断ち切り、違憲立法審査権によって立法の権力行使を無効化する力を与える。

第五十一篇の以下の部分はマディソンの論考の白眉として取り上げられることが多い。

『しかし、数種の権力が同一の政府部門に次第に集中することを防ぐ最大の保障は、各部門を運営する者に、他部門よりの侵害に対して抵抗するのに必要な憲法上の手段と、個人的な動機を与えるということにあろう。防御のための方途は、他の場合におけると同様、この場合も攻撃の危険と均衡していなければならない。野望には、野望をもって対抗させねばならない。人間の利害心を、その人の役職に伴う憲法上の権利と結合させなければならない。政府の権力濫用を抑制するために、かかるやり方が必要だというのは、人間性に対する省察によるものかもしれない。しかし、そもそも政府とはいったい何なのであろうか。それこそ、人間性に対する省察も最たるものでなくして何であろう。万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としないであろう。またもし、天使が人間を統治するというならば、政府に対する外部からのものであれ、内部からのものであれ、抑制など必要とはしないであろう。しかし、人間が人間の上に立って政治を行うという政府を組織するにあたっては、最大の難点は次の点にある。すなわち、まず政府をして被治者を抑制しうるものとしなければならないし、次に政府自体が政府自身を抑制せざるをえないようにしなければならないのである。』(P238)

野望には野望をもって対抗させ、利害心を権利と結合させることで相互に抑制・均衡させる。決して天使たりえない人間という冷徹な人間観に基づく彼の思想が理念に形を与えることとなった。徹底して政治体制を掘り下げたマディソンの論ゆえに、本書は古典としての地位を確保したのであり、また民主主義体制が実効的な政治機構として現実世界に顕在化することとなった。

ちなみに、ジェイは多忙もあって外交政策を中心に全部で五編しか書いていないが、ハミルトンは八十五篇中ほぼ六割(著者が特定できないものがあるため正確な数は不明)を書いている。マディソンが理論を深く掘り下げているのに対して、ハミルトンは通商や財政、課税など具体的な問題を実践的に語ったものが多い印象で、冷静に論を進めるマディソンと、情熱的に語るハミルトンという雰囲気である。後にワシントン政権随一の実務家として銀行設立や財政政策に才能を発揮するハミルトンらしい。

ハミルトンはワシントン政権の財務長官として辣腕を振るい将来を嘱望されながら、政敵から決闘を挑まれて受けて立ち、四九歳で命を落とした。米国の財政基盤を整えたのは彼の功績である。また、後にアメリカの外交政策の伝統として国益と通商を重視する現実主義的傾向をハミルトン主義と呼ぶが、それも彼の諸政策と本書を初めとする彼の諸論考に由来するものだ。

これに対してマディソンは建国時の主要メンバーの中では最後まで生き残り八五歳という長寿を保ち、大統領も務めたが、大統領としての評価は米国草創期の大統領の中では高くない。ナポレオン戦争に巻き込まれて英国との戦争を余儀なくされ、国内の党派対立を抑えきれず、業績らしい業績を残すことができなかった。また、銀行設立問題を巡ってハミルトンと対立して袂を分かち、トマス・ジェファソンとともにリパブリカン党を設立、後の二大政党制へとつながる流れを生むが、一方で自身が批判したはずの派閥対立の当事者ともなった。マディソンは、権力機構を構築し、政治理論を展開して実効性のある体制へと理念を具体化することに関しては同時代、いや史上屈指の知性を発揮したが、権力の行使者には必ずしも向いてはいなかったという点で興味深い人物であるといえる。

しかし、後のアメリカの歴史を見れば、内戦、少数民族の迫害と差別、党派対立、経済格差など様々な派閥の弊害と権力の暴走の歴史でもある。その一方で、南北戦争以後は国家の破綻を巧みに回避して野望に野望で対抗させ、人々の利害を権利と結合させ、多様性によって少数派の暴走を抑止する仕組みが整えられていった過程でもある。十八世紀最高の叡智を現実はいかにして凌駕していったのか、天使ならざる人間たちは如何にしてそれらの課題に取り組んだのか、アメリカ史はそのような視点で見るとより面白いし、その視点で考える土台としてこの本は読んでおく必要がある。

三権分立、権力の抑制均衡、代表民主制、成文憲法主義などをわかりやすく説いた政治制度論や近代憲法史の古典として定番中の定番の一冊であり、伊藤博文も明治憲法案を作成する際に本書を取り寄せて読み、明治憲法は直接的にはプロシア憲法を範としているが、その制定に際して本書も強い影響を及ぼしたという。伊藤博文の側近であった金子堅太郎は本書について以下の通り書き残している。「四人」というのは伊藤博文、伊東巳代治、井上毅、金子堅太郎のこと。

『伊藤公は明治三年以来この書によって憲法を研究し、その後われわれ四人において憲法審議中はもちろん、枢密院で憲法の会議中も常に座右において、何か問題が起れば、この書を繰返して読まれた』(松本重治編「世界の名著33(昭和四十五年刊)」P54:金子堅太郎著「憲法制定と欧米人の評論(昭和十三年)」P65-66の孫引き)

最近、憲法改正が具体的な政治課題として話題に上るようになってきたが、その議論の前提として政治家はもちろん、有権者もぜひ精読しておきたい古典である。憲法改正を唱える政治家の方々は伊藤博文のごとく『常に座右において、(略)繰返して読』んで、マディソンやハミルトンに挑んで欲しいですよね。

ただ、残念なことに、この岩波文庫版は抄訳で全八十五篇中三十一篇だけしか訳されていない。完訳で福村出版刊「ザ・フェデラリスト
」というのがあるようなのだが、amazonには在庫無し、また定価も16000円と高価で研究者以外手を出せたものではないし、そもそも研究者なら英文で読んでいるだろうということで、ぜひ安価な完訳本の出版をお願いしたいところなのだが、いかがなものでしょうか。前述の通り、今後の日本の政治課題を考えれば、広く読まれる必要がある一冊だと思うのだけど。

一応、他の訳本として昭和四十五年刊の松本重治編「世界の名著33」にやはり抄訳で掲載されているがこちらも絶版のため入手は困難。図書館で借りて読んだのだけど。岩波文庫版で訳されているのは1、3、4、9、10、11、14、15、23、25、27、28、33、37、38、39、45、46、47、48、51、52、53、60、62、63、64、70、71、78、85の計三十一篇で、松本編の方は岩波文庫版で未訳の篇だけを抜き出すと2、8、24、49、84の五つ、それでも計三十六篇の日本語訳があるに留まっている。あと駐日アメリカ大使館のサイトでは第十篇の日本語訳と、「ザ・フェデラリスト」の解説のページが公開されているので、参照のこと。

参考書籍
五十嵐 武士、福井 憲彦編著「世界の歴史〈21〉アメリカとフランスの革命 (中公文庫)
本間 長世 著「共和国アメリカの誕生―ワシントンと建国の理念
阿川 尚之 著「憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)
松本重治編「世界の名著 33

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