艦これの愛すべき残念美人、重巡洋艦「足柄」はなぜ「飢えた狼」なのか

艦これ足柄

ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」で、その妙にハイテンションな戦闘狂っぷりと史実に由来する異名「飢えた狼」という紹介文とで、すっかり残念美人キャラとして定着した重巡洋艦「足柄」だが、彼女が「飢えた狼(Hungry Wolf)」と呼ばれることになった「ジョージ6世戴冠式・観艦式」は、戦間期の国際政治史上の重要イベントの一つでもあった。残念美人足柄さん誕生のエピソードの背景としての「ジョージ6世戴冠式・観艦式」を舞台とした駆け引きを少しまとめつつ、「足柄」のキャラクターに迫ってみよう。

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1)「ジョージ6世戴冠式・観艦式」

英国王エドワード8世が恋に落ちたのは人妻だった。世論も国教会もこの恋を許さず、しかし、王はその想いを捨てることも出来ず、1936年12月11日、エドワード8世は退位を宣言する。「王冠を賭けた恋」の果てに王位を捨てた彼の後を継いで王弟が即位、ジョージ6世となった。そのジョージ6世即位を祝う式典が1937年5月12日(観艦式は5月20日)に執り行われた「ジョージ6世戴冠式・観艦式」である。

世界中からその国を代表する艦船が派遣された。アメリカからは後に硫黄島の戦いや沖縄戦にも参戦して圧倒的な火力を見せつけることになる超弩級戦艦ニューヨーク型のネームシップ「ニューヨーク」、ドイツからは戦艦「アドミラル・グラフ・シュペー」(後にラプラタ沖海戦で英国の重巡洋艦エクゼター他との交戦による損害で自沈、そのエクゼターをスラバヤ沖海戦で沈めたのが妙高型重巡洋艦そろい踏み「妙高」「那智」「足柄」「羽黒」の集中砲火である)、ソ連「マラート」、フランス「ダンケルク」、他諸国から第一線級の艦船が集まり、英国からは「クイーン・エリザベス」を旗艦に本国艦隊旗艦「ネルソン」、戦艦「アイアン・デューク」「フッド」「ロドニー」などが勢ぞろいした。

日本から派遣されたのが妙高型重巡洋艦「足柄」である。

観艦式のためスピットヘッド沖に停泊した足柄(「重巡 妙高・足柄 (ハンディ判日本海軍艦艇写真集」P81より)
観艦式に臨む重巡洋艦足柄

2)重巡洋艦建艦競争と妙高型重巡洋艦の建造

1922年に締結された「ワシントン軍縮条約」によって主要五か国の主力艦・航空母艦保有数と建造に制限が加えられたが、それ以外の艦種については単艦基準排水量一万トン以下、備砲口径八インチ(20.3センチ)以下という規定が設けられるにとどまった。かくして各国でその基準を満たす艦種としての重巡洋艦の新造競争が勃発する。しかし、機能的制限があることからすべての性能を満たす設計は出来ず、それぞれの国の設計思想が色濃く出ることになった。

『日本の艦はスピードと攻防のバランスがとれていたが、居住性と凌波性にいくらか難があり、英国と米国の艦はスピードと防御よりも居住性と航続力に重点を置き、フランスとイタリアの艦はスピードを第一とし防御と航続力に問題があった。』(「重巡 妙高・足柄 (ハンディ判日本海軍艦艇写真集」P5)

日本では、「造船の神様」平賀譲博士指揮の下でまず7100トン級の重巡洋艦「加古」「古鷹」「青葉」が造られ、その発展として一万トン級重巡洋艦の建造が始められた。これが妙高型重巡洋艦である。

「足柄」は妙高型四番艦(三番艦とする説もある。艦これでは三番艦。)として大正十四年(1925)4月11日起工、昭和三年(1928)4月22日進水、昭和四年(1929)8月20日竣工の旗艦設備を備えた最新鋭艦であった。特に妙高型に特徴的なのが技術の粋を集めた軽量化技術である。最小限の構造重量で最大限の船体強度が得られるような設計がなされ、『船体重量は全体排水量の三二パーセントで収まり、五五〇〇トン型軽巡の場合の三八・四パーセントにくらべて大きく軽減されている』(「重巡 妙高・足柄 (ハンディ判日本海軍艦艇写真集」P92)。艦これでも妙高型は非常にスリムボディなデザインだが、この妙高型の特徴に由来していると思われる。逆に妙高型後継の高雄型は装甲・火力重視の設計がなされているが、ゲームでも高雄型がグラマラスなデザインなのはその対比だろう。

3)「飢えた狼」は悪名か称賛か

さて、観艦式当日、イングランド南部ハンプシャー州のスピットヘッド沖に十七ヵ国一六〇隻に上る諸国軍艦が集まり、「クイーン・エリザベス」を先頭に、東西六マイル、南北三マイルの海域に展開、新国王を始め諸外国の要人たちの眼下で華やかな観艦式が繰り広げられた。

このとき、足柄につけられた異名が「飢えた狼(Hungry Wolf)」であった。日本側は褒め言葉と受け取ったが、Wikipediaを初めとする通説ではこれは嫌味であったという。しかし、この通説には疑問を覚えなくもない。一つにはwikipediaが該当部分の参照元としている書籍「艦船夜話」(石渡 幸二著、1984年刊)である。(もう一つの参照元である「軍艦物語」も著者は同じ)。同書を図書館で調べてみるとP112-113では以下のように説明されている。

『爾来、この言葉は、日本の重巡を語る場合によく引用されて有名になったが、実をいうと、これは決して誉め言葉ではなかった。
真相は「何とも形容しがたいグロテスクな姿」という意味合いで使われたもので、日本人がすばらしい軍艦美と見たものを、イギリス人は醜悪ととらえたのである』(石渡P112-113)

として、例として”昭和五十七年”の「ザ・ロイヤル・ネーバル・レビューズ」という英国の雑誌の観艦式に関する「足柄」が『「高速で兵装の強力な艦」』だが『「しかし美しいフネとは決していえない」』(石渡P113)という記事と、1961年刊の「サボ」という書籍の『「アメリカ水兵が日本海軍の戦闘能力の真価を知らなかった戦闘初期には、日本の軍艦を見ると吹き出したものだ。重々しい甲板上の構造物は、まるで舳先が重みで水につかるまで不格好な丸太小屋をいくつもいくつも積み重ねたように見えた。太さと形が全く違う煙突は、爆笑をひきおこすほど滑稽な様子をしていた」』(石渡P113)(おっと扶桑型の悪口は(以下略))という記述を挙げている。しかし、その記述に続くのは『外見のおかしさにもかかわらず、重巡鳥海(高雄型)がいかに恐るべき威力を備えた艦であったかという説明』(石渡P113)だとされる。いずれも同時代のものではないし、後者は足柄ではなく、ましてイギリスですらなく、アメリカ軍兵士が重巡洋艦鳥海を評した言である。また、著者も軍艦を巡るエッセイ集の趣で軽いタッチで書いている書籍であって、実証的な内容を特に重視したものではない。章題も「重巡随想」である。

当時の英国と日本との国際関係を考えると、果たして皮肉や悪口として「飢えた狼」と評したのか、さらに疑問は深まる。

4)式典外交と英国の対日配慮

「ジョージ6世戴冠式・観艦式」は、華やかな式典の裏で、諸国の思惑が複雑に交差し、老獪な外交官たちによる虚々実々の駆け引きが展開されていた。話題の中心はイギリス、日本、ドイツの三か国関係である。

1922年に締結されたワシントン軍縮条約が重巡洋艦建艦競争を生み、重巡洋艦足柄の誕生に繋がったことは述べた。この条約が締結されたワシントン会議ではもう一つ国際関係に関する重要な取り決め、すなわち日英同盟の破棄がなされている。日英同盟破棄後、日本は同盟国をもたず、中国に対する影響力を巡って米国との関係が次第に悪化、重巡洋艦の相次ぐ建造は米の重巡洋艦建造計画を大いに意識したものでもあった。

昭和三年(1928)張作霖爆殺事件、昭和六年(1931)満州事変、昭和七年(1932)第一次上海事変と泥沼の大陸進出が陸軍主導で行われていく中でついに昭和八年(1933)、日本は国際連盟を脱退、孤立の道を歩み始める。昭和十一年(1936)一月、ロンドン軍縮条約脱退、同11月、対ソ戦略の一致からドイツと日本との間に日独防共協定締結、両国は急接近を遂げていく。そんな中で1937年に開催されたのが、この「ジョージ6世戴冠式・観艦式」である。

イギリスとしてはこれ以上のドイツと日本の接近はなんとしても阻止せねばならない。これは外交上の至上命題であった。「日本海軍の歴史」(野村實著)によると、式典でのイギリスは非常に日本に気を使っていることがはっきりと見て取れる。

当時の日本代表は昭和天皇名代として秩父宮雍仁親王夫妻、陸軍武官本間雅晴少将、海軍武官新見政一少将、第四戦隊司令官小林宗之助少将、「足柄」艦長武田盛治大佐(元重巡三隈艦長)、駐英大使吉田茂などである。

吉田と英イーデン外相は戴冠式の機会を利用して日英関係の見直しを進めることで合意しており、様々なかたちで英政府は日本に対して配慮を見せる。まず、戴冠式当日、日本代表は外国王室最高の席に案内される。新見は『秩父宮は常にその首席として優遇された』として、『「イギリスが第一次大戦の場合のように、将来日本を味方に引き入れようとする意図に基づく」』と書き残している。また、観艦式当日はまず最初に日本代表を「クイーン・エリザベス」に招待して歓待、地中海艦隊司令長官で後に第一海軍卿となる当時の英国海軍の第一人者ダドリー・バウンド大将が夫人を伴って熱心に接待したという。

一方でドイツもこの機会を対日接近に利用しようと、ドイツ政府・海軍が交歓行事を盛んに行い、駐日ドイツ大使ディルクセンが秩父宮・ヒトラー会談の根回しに奔走する。以後、『会見に積極的な親王・日本陸軍と、消極的な昭和天皇・宮内省・外務省などとの間に複雑な折衝が続くこととな』(野村P136)り、やがて同会談は9月にニュルンベルグで実現することになる。

日本がイギリスに少しでも悪印象を覚えたら、国際的な安全保障体制が大きく揺らぐ、そんな緊張感漂う外交関係の中で、果たして日本代表の旗艦である「足柄」を批判したり、言外に悪意を込めるような表現をするだろうか。あるいは批判する言説を許すだろうか。日本側は「いかにもやり方がうまい。さすがイギリスだ」(西園寺公望)と式典でのイギリスの外交手腕を手放しで褒めているのである。同時代の史料があるわけではないので断言は出来ないが、おそらく「飢えた狼」は日本側が感じた通り褒め言葉なのではないかと思う。

5)その後の日本と足柄の最期

海軍きっての知英派だった新見は帰国後、海軍軍令部総長伏見宮博恭親王に対し以下の点を総括して報告している。(野村P140-141)

(1) ヨーロッパでは、遅かれ早かれいつかは戦争が起こる。
(2) 独・伊と防共協定以上のかかわり合いをつけて、ヨーロッパ政局の渦中に巻き込まれてはならない。自由な立場であることが有利だ。
(3) もし日本が独・伊に味方すれば、英・仏ひいてはアメリカを敵とすると考えなければならない。
(4) 第一次大戦の戦訓からすれば、日本がいずれの道を採るべきかは、明白であると思う。

日独伊三国軍事同盟の締結は二年後、昭和十四年(1939)5月22日のことであった。歴史的にドイツに親近感を覚える陸軍とイギリスに親近感を覚える海軍との対立の中で海軍内にも親ドイツ派が台頭し、様々な思惑が交錯して、外交関係の相次ぐ失敗と数えきれないほどの誤算と希望的観測を怒涛の勢いで積み重ねた結果、海軍の手によって真珠湾攻撃が敢行される。いずれの道を採るべきだったかは明白であったにも関らず。

「飢えた狼」重巡洋艦「足柄」は二度の近代化改装を経て最新鋭艦最上と同等の強力な兵装を身に着け(「自分が強くなるこの瞬間が、私は一番好き!」)、太平洋戦争で各地を転戦、次々と戦果を挙げた(「出撃よ!戦場が、勝利が、私を呼んでいるわ!」)が、昭和二十年(1945)6月8日、陸兵1600余名と物資480トンを積んでジャカルタからシンガポールへの輸送任務の途上、イギリス軍潜水艦トレンチャント他に発見され、五発の魚雷の直撃を受けて轟沈した。足柄も一ヵ月前に轟沈した羽黒も『最期となった輸送任務が終わったらシンガポールに係留されて防空艦になる予定だったといわれている』(『帝国海軍艦載兵装の変遷―「妙高」型、「初春」型の改装と最期』P128)。「私、この輸送任務が終わったら防空艦になるんだ」は超強力艦娘死亡フラグのようだ。

史実を紐解いてみると、非常に丁寧にモデルとなった軍艦の歴史や特性がキャラクター造形に活かされていることがわかる。個人的に調べた範囲では「色気がないって嫌味」じゃなくて、ちゃんと褒め言葉っぽいから足柄さんは安心して砲雷撃戦と婚活頑張って欲しいです。

追記:2015年10月26日

重巡洋艦「足柄」の呼称「飢えた狼」についての新たな発見まとめ
旧日本海軍の重巡洋艦「足柄」のニックネームとして知られる「飢えた狼」について、最近、次々と新資料の存在が明らかになっていることが、話題になっ...

その後「飢えた狼」について新たな発見がいくつかあり、そもそも「飢えた狼」という発言自体存在が疑われています。どうやら、観艦式に向かう途上、シンガポールで空母イーグルと比較して足柄が狼のようだと喩えられたのが、話が膨れ上がって「飢えた狼」と呼ばれたという話になった模様。詳しくは上記事でまとめました。

追記ここまで

参考書籍・サイト
・野村 實著「日本海軍の歴史
・雑誌「丸」編集部「重巡 妙高・足柄 (ハンディ判日本海軍艦艇写真集)
・学習研究社「帝国海軍艦載兵装の変遷―「妙高」型、「初春」型の改装と最期 (〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ―真実の艦艇史 (57))
・石渡 幸二著「艦船夜話
・外山 操著「艦長たちの軍艦史
足柄 (重巡洋艦) – Wikipedia
ジョージ6世戴冠記念観艦式 – Wikipedia
ダドリー・パウンド – Wikipedia
平賀譲 – Wikipedia

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