アメリカにおけるインディアン強制移住を巡る二つの歴史認識の対立

1830年代アメリカのインディアン強制移住についてジャクソニアン・デモクラシーと絡めて書こうと色々書籍を読んでいたけど、主要参考文献になりそうな鵜月 裕典 著「不実な父親・抗う子供たち―19世紀アメリカによる強制移住政策とインディアン」を読み終える前に返却期限が来たので、強制移住についてまとめるのはまた今度にして、同書から米国のインディアン強制移住政策を巡る歴史観の対立についてだけ、簡単にメモ。

アメリカ史においてインディアンの存在は二十世紀半ばまでほぼ黙殺されてきた。『一九六〇年代に入るまでは、合衆国における自国史研究の中で先住民インディアンの存在は無視されるか、せいぜい文明進歩を妨げる障害物、過去の遺物として位置づけられていた。』(P83)契機となったのは1960年代の公民権運動で、黒人たちに続いて、インディアン諸民族も声を上げ、アメリカ国民は『自分たちの国がジェノサイドの上に成立したこと』(センプリーニ「多文化主義とは何か (文庫クセジュ)」P13)に否応なく直面させられた。その結果、自由と民主主義の歴史ではなく差別と抑圧の歴史としてのインディアン史をどのようにアメリカ史の中に位置づけるかが重要なテーマとして浮上する。

二つの有力な見方がある。一つは60~70年代当時のニューレフト(新左翼)史学に代表される、政府の欺瞞と抑圧、被害の大きさに視点を当てた「土地収奪説」、もう一つが「土地収奪説」に対する批判として登場した、強制移住政策の背景となる当時の関係者や社会に広がる強制移住を正当化した人道主義思想に注目した「人道主義説」である。以下鵜月前掲著P84-85より改行等一部改変の上で引用。

「土地奪取説」の主張
1) 一八三〇年代強制移住は、「強欲」=インディアンからの土地奪取要求をその基底的要因とし、インディアンの空間的排除という建国期以来追及された欲求達成手段を国家権力によって東部インディアン全体に暴力的に適用するものだった。
2) 一八一二年戦争以降、綿作プランテーションを急速に拡大する南部諸州が、自州内からのインディアン排除を強硬に主張し、インディアン強制移住を求める急先鋒となった。
3) 説得という穏健な手段によりインディアンに移住を承認させようとする連邦政府と実力行使も辞さないという南部諸州の間には、一八二〇年代に対立が深まったが、この対立を強制移住を断行することで南部の意向に沿って解決したのが「狂信者」ジャクソンである。
4) ジャクソンをはじめとする連邦政府当局者たちは移住をインディアン・白人双方に恩恵をもたらす手段、インディアンを絶滅から救う唯一の手段であるとする一見人道主義的な主張を行ったが、これは土地奪取要求を隠蔽する方便であって、偽善・欺瞞として全面的に否定されるべきである。

「人道主義説」の反論・主張
1) 強制移住を土地奪取という経済的欲求から一元的に説明することはできない。
2) むしろ南部諸州を中心とする白人社会内の強硬な土地奪取要求の存在故に、インディアンを白人の強欲にも連邦と州の軋轢にも影響されない土地に移すことで彼らを絶滅から救い保護しようとする人道主義的主張が存在した。
3) ジャクソンも含むかかる主張の担い手たちは、移住後のインディアンを射程に入れて文明化を中心とする政策を立案・実行した。
4) 従って、強制移住を巡る白人社会内の意図は二元的であり、この点をインディアン=被害者、白人=加害者という図式設定により無視し、ジャクソンを「狂信者」と決めつける土地奪取説は史実を歪曲しているのである。

この二つの見方はどちらかが正しいというものではなく、両方に長所があり問題点があることが指摘される。

『強制移住を排除・放置の論理から捉える土地奪取説には、犠牲者インディアンを可能な限り誇り高く描く一方で合衆国の政策を可能な限り邪悪なものと描く明暗法を採ることで、時として史実に先験的な姿勢で臨んだり一定の事実を捨象する傾向が見られる。インディアン政策の自律性を追及する姿勢に欠けるともいえる。一方、強制移住を分離・保護の論理から捉える人道主義説は、インディアン政策に流れる人道主義的発想を追及しようとするあまり、一部白人の言動を可能な限り好意的に解釈する一方で、インディアンが受けた凄まじい被害や一部白人による侵略・抑圧をも組み込んだ歴史認識を打ち出していない。ともすれば白人側の免罪に終始する危険性も指摘し得る。』(P86)

また、「土地奪取説」の論者は『強制移住が断行される過程に関心が集中し、移住後のインディアン・白人関係をも射程に収める姿勢には欠けている』(P86)。一方、「人道主義説」の論者は強制移住における人道主義的動機を証明するべく、『移住後のインディアン・白人関係に大きな関心を払う』(P86)という違いがある。『それぞれ一定の有効性と難点をもちながら歩み寄っていないのが現状』(P86)だという。

このあたり、インディアン史関連の書籍を読んでみると「土地奪取説」的な、いわゆる素朴で善良なインディアンと邪悪な米政府のスタンスで書かれた本が結構目に付く。読んだ中だと、例えば藤永 茂 著「アメリカ・インディアン悲史 (朝日選書 21) 」(1974年)、アレックス・W. ビーラー 著「そして名前だけが残った―チェロキー・インディアン 涙の旅路」(1972年、日本語訳は1998年)など。どちらもまだレッドパワー運動直後の70年代の本なので、当然といえば当然か。藤永著は殆ど「素朴な」が先住民の枕詞化しているが、amazonなどを見ると未だにインディアン史入門のスタンダードとして売れ続けているようだ。というか、他のインディアン史の本が軒並み絶版か、専門書すぎて手が出せないものがいくつかという感じ。当時としては真っ当な内容だったのだろうと思うが流石に40年経つと厳しいのではないかと思う。後者はチェロキー族強制移住を描いた本だが、まぁ子供に語る昔話風悲劇本という位置づけなので歴史書に挙げるのは流石に無理があるか。

ウィリアム・T. ヘーガン著「アメリカ・インディアン史 第3版」は定期的に改版されバランスは取れていて面白いが、通史というか読み物寄りで、歴史書としてはちょっと物足りないという印象だった。参考書籍にした「不実な父親・抗う子供たち―19世紀アメリカによる強制移住政策とインディアン」は詳細な史料とデータで充実の出来だが、あくまで強制移住前後の法制や当時の社会に焦点を当てた本だし、そもそも絶版で図書館で取り寄せるのも一ヵ月ぐらいかかった。このクオリティでアメリカ・インディアン通史本が出ないかなぁ。チェロキー族強制移住を巡る裁判については以前紹介した「「憲法で読むアメリカ史(上)(下)」阿川 尚之 著」にも判例と前後関係が紹介されていた。

このインディアン史を巡る歴史認識の対立の構図は、類似のものが他の国や社会でも見られるようだ。要するに「国民国家」というのは――アメリカが「国民国家」かどうかというのは勿論議論があって国民国家というよりは多民族国家あるいは帝国とする方が妥当なのだと思うが、それでもアメリカには国民国家と類似の一体性の観念もまた存在している――、「国民の一体性」という観念が広がる過程で「国民」を創出することで誕生するものであり、しかし、その一体性の観念はかならずしも現実に一体になるものではない。むしろ亀裂があることを承知の上で、それを覆い隠す様々な同化政策が実行される過程で「国民」を誕生させる。当然「国民国家」の限界と同時にその亀裂が表面に噴出する。歴史において覆い隠していた亀裂が噴出したときに、まずそのナショナル・ヒストリーへの異議申し立てが共産・社会主義が有力だった当時は左派的な立場から申し立てられ、続いてその異議申し立てに対するカウンターが登場する。その両者の食い違う歴史認識は政治思想の対立の中に組み込まれて先鋭化し、歩み寄りをすることが非常に困難になる。その亀裂が国民国家という枠組みを超えるようであれば、国内の政治思想対立を越えて国際問題となってより根深い対立にもなる。

当ブログの記事だと、例えば「「女海賊大全」より『アイルランドの海賊女王グレイス・オマリーの生涯』」で十六世紀アイルランドの女海賊グレイス・オマリーが語られないあるいは偏ったイメージとして語られていることについての背景となるアイルランドの歴史認識の対立の構図が典型か。あるいは独仏の歴史学者が初めて共同で第一次世界大戦の通史を描いた「「仏独共同通史 第一次世界大戦」ジャン=ジャック・ベッケール、ゲルト・クルマイヒ共著」はその亀裂を乗り越える試みの例として挙げられるかもしれない。また、欧州においてはジプシー(ロマ)問題がここ最近非常に話題になっている。これについても以前書いた記事参照→「「ジプシー 歴史・社会・文化」水谷 驍 著」。あと、インディアン強制移住の過程はブータンにおける少数派ネパール民族排除の構図でもある。→「「ブータン――「幸福な国」の不都合な真実」根本 かおる 著」。まぁ、日本にも典型的な対立が国内・対周辺諸国双方であるが、そのあたりは詳しくは知らないので言及は控えておこう。

というわけで、インディアン強制移住の記事についてはまたあらためてじっくり資料を読んでから、来年ぐらいにでも。

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一応、アメリカの多文化主義についてコンパクトにまとめてあるオススメの入門書を挙げておく。第一章第一節、いの一番にインディアン問題について簡潔に解説されている。

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)
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あわせてこれも基本としておさえておきたい。

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