クリスマスは何故12月25日か?あるいは贈与習慣としての日本のクリスマス

歴史的にみれば、クリスマスがイエス・キリストの誕生日であるとする根拠は全くない。オスカー・クルマン著「クリスマスの起源」によると、12月25日をイエス・キリストの誕生日と定めたのは4世紀のことだという。

3世紀頃まで、イエスの誕生は春と考えられていた。イエス誕生時の様子を記した新約聖書「ルカによる福音書」2章8節の『その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。』(日本聖書協会「新共同訳聖書」新約P103)という記述から、当時のパレスチナで羊飼いが野宿をできるのが3月から11月にかけてであること、また天地創造が春から始まることに対応して3月28日、4月2日、4月29日、5月20日などがイエスの誕生日と推定されていた。ただし、当時のキリスト教徒にとってイエスの誕生日がいつなのかは大きな問題ではなかったという。『初代教会にとっては、キリストの死と復活が、キリストの受肉よりもはるかに大きな関心事であった』(P15)からだ。

クルマンが『かすかな、間接的な、クリスマスの起源』と呼ぶのが二世紀、アレクサンドリアのグノーシス主義の一派バシレイデス派で、彼らは神なるキリストがイエスの受洗によって現われたと考え、イエスの受洗を記念する祝祭「顕現祭(エピファニア)」を1月6日(または10日)に執り行った。当時、アレクサンドリアではアイオーン神の誕生の祝祭が1月6日に行われており、またこの日は西アジアでは冬至でもあったから、異教徒の祝祭とキリストの顕現を重ねることで布教を行ったものと考えられている。アイオーン(時間・時代の神格化・高次の霊)はグノーシス主義の重要な観念の一つでもある。後に1月6日の顕現祭は東方教会に広がるが、これが画期だったのはイエス・キリストの顕現を祝うという行為の始まりであることだった。

12月25日に降誕祭が行われるようになったのは、クルマンによると西暦325年~354年の間のいずれかの時期のローマでのことで、記録に残る限りでは336年12月25日にイエスの「降誕祭」が行われたという。また小田垣雅也著「キリスト教の歴史」では西暦354年、ローマの主教リーベリウスによって12月25日に決められたとされている。

325年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によってニカイア公会議が招集され、アリウス派を異端とするニカイア信条が採択されるが、これによってイエスは「造られずして生れ、御父と本質を同一」つまり、洗礼によって父なる神の子となったのでも、父なる神が受肉したのでもなく、父なる神と主イエス・キリストは同じ神であり、神の子であり人間であるとされた(後に三位一体論に発展する)。ここに顕現祭と降誕祭の分離と降誕祭そのものを祝う傾向が生まれたという。

当時、ローマでは太陽神ミトラ崇拝が盛んで、その祝祭が冬至でもある12月25日に行われていた。非常に熱心にローマの人々の大多数が参加する「不敗(不滅)の太陽」を祝うミトラ神の祝祭に対し、キリスト教会は闇の中の光のイメージとしてのキリストの降誕を重ねあわせ、異教徒の祝祭に対抗しようとした。

後にキリスト教に改宗することでも知られるコンスタンティヌス大帝は熱心な信者というよりは『意識的な「シンクレティスト」(宗教混淆主義者)』(クルマンP44)で、その意図には諸説あるものの、既存の太陽崇拝とキリスト教の総合を目指していたことから、彼の影響下でキリスト教の降誕祭と太陽神の祝祭とが同じ日に行われることが進められたと考えられている。やがて、キリスト教がローマ帝国の国教となり、広く拡大していく過程で、ミトラ崇拝が廃れ12月25日がキリストの降誕祭として浸透していった。

現在、ローマカトリック、プロテスタントと正教会の一部が12月25日をクリスマスとして祝い、正教会の多く――エルサレム、ロシア、セルビア、ブルガリア、グルジア、ポーランド、チェコスロヴァキア、エチオピア、コプト、シリア、インドの諸教会が1月6日をクリスマスとして祝っている。

追記(2013年12月31日)
このクリスマスの正教会とそれ以外の日付についてはオスカー・クルマン著「クリスマスの起源」P56-57の以下の記述に依っています。
『現在では、ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会以外で一二月二五日にクリスマスを祝っているのは、いずれも(カルケドン系)正教会に属するコンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキア、ルーマニア、キプロス、ギリシア、フィンランド、さらにディアスポラの諸教会であり、これに対して一月六日に祝っているのは、(カルケドン系)正教会に属するエルサレム、ロシア、セルビア、ブルガリア、グルジア、ポーランド、チェコスロバキアの諸教会と、非カルケドン系正教会に属するエチオピア、コプト、シリア(ヤコブ派)、インドの諸教会である。アルメニア正教会は、数日後、一月一八日/一九日に祝っている。』
この日付については、いくつか間違いである旨の指摘を頂いていますので、後日図書館の年末年始休みが明け次第、別資料を探して確認の上で修正するようにします。
追記終わり

ところで、キリスト教世界と違い、非キリスト教徒である多くの日本人がクリスマスを祝っているのは、このような宗教的な経緯とは全く関係なく、おそらく商業的な意図から、日本古来の贈与の習慣をバレンタイン・デー同様上手く喚起出来たからだと思う。桜井 英治著「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)」は十四世紀から十五世紀にかけての中世日本で貨幣経済の浸透と同時に贈与経済の著しい発達があったことを明らかにしているが、そこでデヴィッド・モース、モーリス・ゴドリエによる贈与に生じる四つの義務を挙げている。

1) 贈り物を与える義務(提供の義務)
2) それを受ける義務(受容の義務)
3) お返しの義務(返礼の義務)
4) 神々や神々を代表する人間へ贈与する義務(神にたいする贈与の義務)

贈与に対して人は意識的・無意識的を問わずこのような義務感が生じるのであり、その義務の履行を喜んでさせる仕組みを整えることで、贈与の習慣は社会に容易に根付かせることができる。ごくごく当然のこととして、多くの場合喜んでクリスマスプレゼントを送り(提供の義務)、それをやはり当然のこととして喜んで受け取る(受容の義務)関係性として、クリスマスは習慣づけた。

クリスマスが本来持つ宗教性とは無関係に贈与の習慣として根付いたから、親(サンタクロース)から子の関係性だけでなく恋人・夫婦・友人・同僚など社会的関係性にも援用されて、それは不自然ではない。一方で贈与の本質には「義務」があるから、過度の贈与関係に「義務感」が生まれてしまったりもする。しかし、一度社会に根付いた贈与の習慣はそうそう取り払われるものではない。そして贈与経済が市場経済に大きな効果をもたらし、また相乗効果を促すのは、中世の貨幣経済の登場以来変わりなく続く現象でもある。

ハロウィーンがいまいち浸透しないのは、このような「贈与」の習慣(義務感)を上手く喚起できていないからだと思う。日本に限らず世界各地で見られると思うが、宗教行事を「贈与」関係として輸入することで宗教性を空洞化させつつ儀礼として混淆(シンクレティズム)していくという動きは、とても面白いと常々思っている。クリスマスに、愛する人や親しい人に大して贈り物を何ら疑いなく喜んでするのるのはなぜか、調べてみると色々発見があるんじゃないかな。クリスマスのキリスト教的起源と、現在の日本のクリスマスの習慣との間を埋める何か、という観点からの宗教と経済と習慣の関係って結構面白いテーマだと思うなぁ。ちなみに、クリスマスツリーが非常に近世・近代的習慣であることをクルマンは明らかにしていて、これも面白いので、参考書籍はオススメ。

参考書籍

クリスマスの起源
クリスマスの起源
posted with amazlet at 13.12.25
O. クルマン
教文館
売り上げランキング: 80,656
キリスト教の歴史 (講談社学術文庫)
小田垣 雅也
講談社
売り上げランキング: 176,152
小型聖書 - 新共同訳
小型聖書 – 新共同訳
posted with amazlet at 13.12.25
日本聖書協会
日本聖書協会
売り上げランキング: 7,204
生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866)
井上 浩一
講談社
売り上げランキング: 66,407
贈与の歴史学  儀礼と経済のあいだ (中公新書)
桜井 英治
中央公論新社
売り上げランキング: 109,609
スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする

関連コンテンツ

スポンサーリンク
スポンサーリンク