「生き残った帝国ビザンティン」井上 浩一 著

西ローマ帝国滅亡後も一千年の長きに渡ってローマ帝国の命脈を保った東ローマ帝国(ビザンティン帝国)はなぜ生き残ることができたのか。著者はローマという理念の墨守と、その伝統の墨守を建前としつつ、現実の諸問題には至極柔軟に対応し、徹底的に生き残りを図ってきた二面性にその要因を見ている。

著者のいうローマ理念とはコンスタンティヌスのキリスト教改宗に始まる『国家と宗教が一体となった、「神の名において他人を支配する」体制』(P58)であり、それが支配イデオロギーとして強固にビザンティン人の行動を縛ることとなった。この支配の普遍性に基づく皇帝専制を建前としつつも、現実には様々な諸問題に対して、例えば台頭する新興貴族たちとの関係性を重視して貴族の第一人者的体制に変えたり、女性の地位を向上させていったりなど、ローマ的とはいえない施策を取り、ローマという体裁で、全くローマ的ではない社会・体制へと変化させていきながら、生き延びていった。

ビザンティン帝国の「建国」はいつか?世界史的には皇帝テオドシウス1世(在位379年 – 395年)の死によるアルカディウスとホノリウスによる東西分割を画期とするが、ビザンティンの人々にとっては、ローマ帝国から脈々と続いていたという意識であった。ただ、著者は、コンスタンティヌス1世によるコンスタンティノープルへの遷都(330年)を画期とする『三三〇年の神話』(P78)がビザンティン人の間に強くあったことを指摘する。

コンスタンティノープルはローマ皇帝コンスタンティヌス1世が対立皇帝リキニウスの撃破を祝して地中海と黒海とを繋ぐ要衝に建設した都市だが、建設当初は城壁と教会と広場があるだけの小さなもので首都としての機能は持っていなかった。これが大都市へと成長するのは東西分裂後、フン族の侵攻に備えたテオドシウス2世の城壁建設以後のことになる。しかし、六世紀ごろまでにビザンティン人の間には、コンスタンティヌス1世がローマに比肩する大都市としてコンスタンティノープルを建設したというコンスタンティノープル創建神話が信じられ始め、毎年5月11日に開都式典が盛大に行われるようになる。

丁度、西欧は西ローマ帝国滅亡後諸勢力が拮抗する混乱の中にある一方、ビザンティン帝国はユスティニアヌス帝の治世下で繁栄を迎えており、自分たちこそローマ帝国を受け継ぐのだという「新しいローマ」意識が形成、それを受けての『三三〇年の神話』(P78)が生み出されていったのだという。

基本的に、歴代の有名な皇帝の事跡を中心にしてビザンティン帝国の興亡史を描くというスタイルなので、社会や宗教、庶民の生活は控えめな代わりに、皇帝たちの興味深いエピソードがいくつも見られていて、印象的である。例えばユスティニアヌス帝と皇后テオドラが直面したニカの反乱のエピソードだ。

戦車競走はビザンティン帝国の華で、応援団も「青」「緑」二つの勢力に分かれて争っており、それぞれ応援団であるとともに市民活動の基盤でもあった。ユスティニアヌスも皇帝になるために「青」の支持を取り込んでいたが、即位後帝は彼らと距離を置き、警察による締め付けを強くする。これに対して市民は抗議活動を始め、やがて競馬場に立て籠もって暴動から、対立皇帝も登場して大規模反乱へと展開する。軍を使っての鎮圧作戦も失敗し万策尽きたユスティニアヌス帝が逃亡の準備を始めたとき、皇后テオドラが皇帝や廷臣たちを前に、逃亡を止めるよう大演説を打った。いわく。

『逃亡すれば身の安全が得られるとしても、果たしてそれは命と引き替えにしてよかったといえるようなものだろうか。私は古の言葉が正しいと思う。「帝衣は最高の死装束である」』(P98)

テオドラは貴族出身では無く庶民、しかもかなり低い身分といえる、サーカスの熊使いの娘で、軍人だったころのユスティニアヌスに見初められて結婚、皇后にまでのぼった女性であったという。この言葉に覚悟を決めたユスティニアヌス帝は軍を差し向け市民三万人を虐殺して反乱を鎮圧、ローマ帝国から続く共和政治の命脈が断たれて皇帝専制体制を確立することになった。

「帝衣は最高の死装束である」はビザンティン帝国の伝統となったかあるいは呪縛となったか、1453年のコンスタンティノープル陥落の際、最後の皇帝コンスタンティノス11世は逃亡を薦める廷臣たちの言葉を退け、怒涛の勢いで攻め込んでくるオスマン軍に切り込んで戦死、彼の死によって千年以上続いたビザンティン帝国は滅亡した。

繰り返しになるが、基本的に皇帝の事跡からビザンティン千年史を辿る構成のため、ビザンティン社会、宗教、庶民の生活、経済などについてはあまり触れられていない。また、周辺諸国についても説明は必要最低限に留まっているので、東西の交易の結節点となって繁栄したビザンティン帝国という姿はこの本では見えてはこない。あと、建前と実際の行動の二面性はビザンティン帝国の政策・理念的な特徴として挙げられていたはずが、ビザンティン人の民族性としても繰り返し指摘され、それらがビザンティン人による閉じた国家という印象を与えているようにみえる。それが妥当なのかどうか僕には判断がつかないが。いわば人物中心の縦の歴史としてビザンティン帝国の国家史を描いた内容になっている。

しかし、著者もあとがきで若い人にビザンティン帝国について読んでもらうために書いたという趣旨のことを書いているので、ターゲットとしては世界史に若干興味あるがビザンティン帝国は知らない、という人向けというところだろう。最初は新書であったようだし、それならば人物中心にかなりそぎ落とした内容になっているのもやむを得ないところか。何にしても、紹介される皇帝たちの魅力的なエピソードやコンパクトにまとまった全体像の描き方など、ビザンティン帝国について興味が湧く内容になっているので、以降さらにビザンティン帝国関連の本を読み進める前提での良い入門書になっているんじゃないかと思う。

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